26 面影の彼岸 壱
興覇達に必要な説明をして次の目的地へと向かう。
同じ城内では有るが。
すれ違う者達と挨拶や会話を交わしながら進む。
廬江は担当地だった分だけ顔の浸透も早い。
まあ、子魚の手回しの良さでも有るだろうがな。
城を出て向かうのは許昌に倣って街外れに新設された鍛練場。
まあ、規模としては許昌に勝る訳は無いが。
各地に設ける城外鍛練場は郡都に限定している。
それ以外は、これまで通り城内の鍛練場で十分。
勿論、整備はするが。
必要な戦力は治安維持用の衛兵隊が中心。
過度な戦力を配置したりはしないのが方針。
その代わりに、泱州内では軍部以外の武器類の所有を禁じる事にしている。
要は民を戦いから遠ざける為の措置法案だ。
その分、賊退治や治安維持等には軍部が動く。
より迅速に、広域に渡って活動が出来る様に街道等も整備しないといけないが。
まあ、暫くは各地に駐屯の皆に頑張って貰う予定。
既に概ね目立つ“火種”は消しているから外部からの流入が無い限りは大丈夫と見てはいる。
その証拠、とまでは言いはしないが舒の街の様子にも変化が見て取れる。
子魚の──周家の統治下で栄えている街だが、裏では問題は有った。
洛陽を始めとする愚豚共の私欲の為の街程ではないが貧困の差は有った。
その最たる要因は仕事。
遣る仕事が無いという事は働く場所が無い。
働けなければ収入が無い。
収入が無ければ食べる物も買えずに飢える。
飢えない為に悪事を働く。
悪事が増えれば治安は乱れ街の雰囲気は悪化。
商人や旅人が来なくなれば流通は激減。
働き口は更に減少──と、負の連鎖はスパイラルして拡大する一方だ。
勿論、何もしなかった訳は無いのだが、解決するには至らない事も有る。
主に、州や国の一部という枠組みが邪魔で、だ。
それが曹家の完全自治化で可能に成った。
とは言っても、まだ数日が過ぎただけで効果が出ると誰も思わないだろう。
だが、水面下で進めていたならば話は変わる。
曹家の統治を前提条件とし改革に取り組んで来た。
俺が子魚を訪れた日から。
つまり、実際は三ヶ月近い期間を費やしている。
それが実った、というのが正しい所だ。
人口を集束する事に因り、増える働き口の問題。
それも土地の全てを曹家が所有する事に因って解決。
大規模な農業等の事業を、国営──曹家主導で運営し民を雇うからだ。
色々と利は有るが…
国も、民も共に富む為にも効率が良いだろう。
人通りを抜けて街外れへと到着すると視界に映るのは真新しい建物。
木造の扉と櫓。
高さ3m程の石垣の外壁。
本当は漆喰で白壁にしたい所だったが、あまり目立つ造りはしない方が良いかと考えて断念した。
側に近付いて行くに従って地鳴りと喧騒が聞こえる。
絶賛、鍛練中の様だ。
入り口──と言っても隊の出入りする正門ではなく、普段利用する勝手口に近い裏門の方から入る。
守衛の兵士達が緊張してる姿に内心で苦笑しながらも挨拶して通る。
本当に、華琳に端を発した印象はどうにかならないのだろうかね。
肩が凝って仕方無い。
通路を抜けて演習場へ。
迷う様な事は無い。
見知った、と言うよりかは設計したから知っている。
「──次っ!」
「御願いしますっ!」
威勢の良さに厳格さを持つ女性の声と、謙虚さの中に向上心を秘めた女性の声が耳に届く。
前者は此処に来た目的──仲謀の物だ。
後者の声には覚えが無い。
だが、思い当たる者ならば少なからず居る。
先の尋陽での一件。
張遉が相手の茶番劇の際に仲謀が配下を押さえていた所を目撃した侍女数名から兵士に志願者が出た。
勿論、出来るなら孫権隊に配属を、との希望通りに。
まあ、仲謀からは溜め息と苦笑が漏れたがな。
話を聞けば、孫堅が存命の頃から憧れていたらしい。
孫堅ではなく仲謀に。
最初は驚いていたがな。
仲謀自身、自分を評価して憧憬を抱き、信頼している彼女等の存在には戸惑うも嬉しそうだった。
俺が直接話をした侍女は、代表者の一人だけだったが見処が有った。
仮に挫折しても侍女として下地になるだろうからと、打算も有ったが。
通路を抜け、陽光を右手を翳して遮りながら演習場へ視線を向ける。
石畳の舞台上にて対峙する仲謀と女性兵士。
一対一での鍛練か。
元々の孫権隊の面子は既に一通り終えた様で、二人を遠巻きに見ている。
邪魔をしない様に気配等は完全に消しているから誰も俺に気付いてはいない。
二人が手にするのは木棍。
孫権隊は槍兵の部隊だから当然では有るが。
侍女の頃にも箒を使ったりするからか中々に上手い。
ただ、体捌きが拙い。
まだ基礎体術が未熟だから仕方無いか。
──と、見ていると仲謀の突きを右に横転して躱し、立ち上がって構えた彼女を見て自然と動いていた。
「──其処まで」
孫権side──
急に声を掛けられて驚くが声の主を直ぐに理解すれば納得してしまう。
小さく息を吐き構えていた木棍を下げる。
「いきなりですね?」
声のした方へと向きながら発するのは不満を隠さない棘を含んだ言葉。
幾ら子和様とは言っても、勝手に止められたら私でも少しは怒ってしまう。
…いつの間にか居た事や、良い所を見せたいとかではないのだけれど。
ええ、違うわ。
「悪いな、仲謀…
ただ、彼女はこれ以上続行不可能だと判断してだ」
「──っ!?」
子和様の言葉に対し反応を見せた鍛練相手の彼女。
私の視線に気付くと俯いて顔を隠してしまう。
子和様は彼女に近付くと、右手で彼女の右手から棍を取り上げて私に投げ渡す。
それを左手で受け取りつつ見ていると子和様は彼女の右腕──肘の辺りを左手で掴んで、右手を彼女の掌に下から掬う様に添える。
瞬間、彼女の身体が僅かにビクリと震えた。
「回避した所までは悪くはなかったが、基礎体術等が未熟だからな…
受け身を取り損ねてしまい痛める事は珍しくない」
その言葉で十分だった。
彼女が負傷──右の手首の辺りの物だと判る。
私は彼女に更に怪我をさせ下手をすれば重症を与えたかもしれない事に気付き、己の不甲斐無さに苛立ちを覚えてしまう。
だが、今は彼女に謝る事が先決だろう。
私は二人に近付き、彼女に頭を下げた。
「…すまない
私が気付かないばかりに、怪我をさせる所だった」
「ち、違いますっ!
決して仲謀様が悪い訳ではありませんっ!」
「だが…」
彼女は私の体裁を気にして言ってくれるが、鍛練中に部下に怪我をさせてしまう事自体が私の責任だ。
だから、私が悪い。
「──悪いのは此方だな」
──だが、そう言いながら子和様は彼女の頭を左手でコツンッ…と叩く。
悪戯をした子供を叱る位の軽い物では有るが、私には驚く事だった。
いや、彼女も驚いている。
周りに居る隊士達にしても意外そうな様子が雰囲気で伝わってくる。
「確かに鍛練中に負傷者が出れば隊長等の指導者側に責任や問題は出る
だが、今回の様に隊士側が無理をして続行していたりするのなら話は別だ」
そう言って子和様は彼女を厳しい眼差しで見る。
彼女は緊張している様だが私は理解した。
子和様の眼差しに籠った、本当の優しさを。
子和様は恐る恐る見詰める彼女を真っ直ぐに見返して話し始める。
「戦場で弱音を吐く事など許されはしない
だがな、鍛練中に負傷した事を隠し無理をすれば皆に迷惑が掛かる」
「…申し訳有りません」
そう言われてしまったら、返す言葉は無い。
私の立場でさえ、弁護する言葉が見付からないのだ。
彼女は勿論、周りの皆にも何も言えないだろう。
「鍛練で手を抜いていては実戦では役に立たない
しかしだ、鍛練で負傷してしまえば元も子もない
何の為の鍛練だ、という事になるだろ?」
「…はい…」
小さくなっている彼女には申し訳が無いが、子和様の言葉は正しい。
「それでも、な?
お前の仲謀の元で強くなり役に立ちたいという想いは理解出来る…
俺だけじゃない
皆が理解している
此処に居る隊士全員が同じ志を持っている
お前と同じ志を
お前と同じ、命を託し合う仲間全員がだ」
「…ぁ…」
彼女は自然と周囲に居て、自分達を見ている皆の方へ視線を巡らせる。
皆、急に振られた割りには動揺してもいない。
一様に笑顔を浮かべながら頷いて見せている。
彼女の視線が再び子和様に戻ると子和様も笑む。
「間違うなよ?
己が未熟を理解すればこそ努力する事は正しい
だが、焦る必要は無い
大切なのは、一歩一歩でも前に進む事だ
焦り慌て走って転ぶより、ゆっくりでも確実に歩いて進む方が近い事も有る
今は未熟でも構わない
皆と共に歩んで来い
お前は一人ではない
その事を忘れるな」
「…は、はいっ!」
涙を浮かべながらも彼女は泣かない様に堪えて右手で拭い顔を上げて答えた。
──って、右手っ!?
「ただの捻挫だ
この程度なら直ぐに治る」
私の心中を読んだかの様に子和様は右手をヒラヒラとさせながら笑う。
…ああ、そうだったわ。
子和様にとって、この位の怪我は怪我に入らない事を失念していたわ。
大きく溜め息を吐く。
治療された彼女は彼女で、自分の事なのに自体が理解出来ずに戸惑う。
氣の事や、実際に子和様に治療を受けた事が有る者も少なくない為、周りからも苦笑が溢れる。
結局、彼女達新人への氣の説明等は皆に任せる事にし鍛練は終了した。
何だか、子和様に良い所を持って行かれた様な感じで終わったが、格好良い姿の子和様を見れたので良しとしておこう。
役得、という事で。
──side out
暫定で隊の副官役を務める女性隊士に明日の昼頃まで仲謀を借りる事を告げて、二人で鍛練場を後にした。
その際仲謀が女性隊士から“頑張って下さい!”とか言われていたなんて事は、知らない。
何を、何て自爆必須だろう質問もしない。
ええ、しませんとも。
曹家の中でも華琳と同様に砕けた話し方をする少ない相手だったりする。
だから俺としては今暫くは現状維持で行きたい。
だからな、仲謀。
そんな期待を込めた視線を向けたり、若干照れながらチラチラ見るな。
そういう意味の“御誘い”じゃないから。
それと、今歩いてる場所は街の通りだからな。
周囲からの生暖かい視線に気付こうな。
コホンッ…と咳を一つして仲謀が此方を見る。
キリッ!、と顔を切り替え普段の凛々しい姿。
「そ、それで何かしら?
きゅ、急に言われても私も色々と準備が有るし…
それにまだ日も高いし…
出来れば夜に改めて…」
──に見えたのは一瞬。
吃った時点で台無し。
最初の一言以降は小声ではあったが、聞き取れない程ではなかった。
ただ、聞いても訊かない。
それがフラグの躱し方。
「実はな、これから一緒に寿春へ行こうかと思って
勿論、どうしても、都合が悪かったら構わない
またの機会に──」
「──だ、大丈夫よっ!」
ぐぐっ!、と食い付く様に顔を近付けて言う仲謀。
普段なら抱き寄せて揶揄う場面だったりするのだが、今日は自重する。
…別に誤解を招くからとか言う訳じゃない。
ただ、そういう事も今日は憚られるというだけ。
「出来るだけ早く発ちたい所なんだが…
身仕度を整えるのに何れ位掛かりそうだ?」
「…正直に言えば四半刻は欲しい所だけど…」
約三十分か。
まあ、女性からしてみれば短い方だろう。
華琳なんかは基本いつでも動ける身形だしな。
「なら、俺は慶閃と一緒に中庭で待ってるな」
…烈紅?、華琳達と一緒に許昌に帰らせた。
人は乗せないから馬車馬に偽装させてだが。
「ええ、判ったわ
それじゃあ後でね」
「ああ」
丁度、城門の前に到着し、間借りしている部屋に戻る仲謀を見送って、厩舎へと向かって歩く。
自然と見上げた空。
白い雲は有るが雨雲は無く夕立は来ないだろう。
それを確信し小さく笑む。
雨は相応しくないから。




