弐
龍の口から喉の奥へ向かい飲み込まれて行く血。
鍵となる血が違っていたら扉が開かないだけなのか。
或いは、罠の類いが発動し襲い掛かって来るのか。
まあ、俺に対してならば、大した問題ではない。
しかし、洛陽の都に対して影響が出る事は避けたい。
「遣っといてだがな…」
呟きながら苦笑。
自分の中の探求心・欲求に負けたとも言えるから何を言っても言い訳だが。
血が全て消えた。
だが、特に変化は起こらず周囲を見回す。
「…少なかったか?」
小瓶に入っていた血の量は約30ccだったが。
一応予備で100cc有るが鍵としては多量に必要とは考え難い。
「………違ってたか」
だとすると、正攻法で扉を開けるのは無理になる。
此処まで来て、収穫無しで引き上げるのは不本意だが仕方無いか。
諦めて溜め息を吐いた。
──その時だった。
ガゴンッ!、と遠くの方で何かが動いた音が響く。
反射的に一歩、後ろへ飛び退いて警戒する。
宛ら地鳴りの様に響く音が少しずつ近付いて来る。
扉の奥──ではなく足下、地下深くから。
迫り来るという感じよりは競り上がって来る感覚。
何と無く、仕掛け扉に有る典型的な展開が脳裏に過り若干気持ちが冷める。
ゴゴゴッ──ゴガンッ!
轟音と共に地面、というか石室が大きく揺れる。
同時に黒い扉に青白く輝く亀裂が入った。
扉全体へと亀裂は拡がり、硝子が罅割れる様な甲高い音を上げて砕け散った。
音も止み、それ以上は特に何も成さそうだと判断してゆっくりと近付く。
パラパラ…と、崩れ落ちる欠片を摘まみ上げる。
「…化石っぽい感じだが、氣の感応性質が有るな」
少しだけ込めた氣に反応し青白い線が浮かぶ。
どうやら、壊れたのは許容限界に因る物だろう。
地下から迫っていたのは、扉の解放の為に蓄えられた氣という事か。
つまりはだ、皇帝の血液は正しい物だった訳だ。
「此処が現実世界ではない以上は造られた時期は謎が深まったが、皇帝の証明は出来たな…」
そうすると後漢の成立期が要点だろう。
正統だと認定される血筋の継承や変更等が無い限りはという前提条件でだが。
「…まあ、あの壁画自体を移動するのは困難だし…
壁画自体が仕掛けとすれば一部だけ、というのも無理だろうしな…」
ある程度、時期は絞れたと言って良い。
製作者は未だに不明だが、それも孰れ判る。
開かれた道の先を見詰めて静かに口角を上げた。
砕けた扉の破片を回収して“影”に仕舞うと先へ向け踏み込んだ。
視界に映ったのは真っ直ぐ地下へ向かって延びている石段だった。
「…これはあれか?
造った奴は深けりゃ良いと思ってたのか?」
つい溢れる愚痴。
好奇心が刺激された直後の事だけに期待を裏切られてテンションはだだ下がり。
製作者の株も大暴落だ。
「深く造るのは悪くない
侵入者の対策としては最もオーソドックスで効果的」
過去、潜った遺跡の中にも地下千階という猛者だって有ったしな。
最下層・最深部・最奥部を終着点としているのなら、正攻法の防衛策だ。
何ら異論は無い。
但し、侵入が困難な場合で尚且つ入場許可の識別法が有る場合には頂けない。
遣る気を殺ぐだけだ。
まあ、それを含めた意図の試練的な場合に於いては、有り得るだろうけど。
「試練、って事か…」
石段へと右足を踏み出して溜め息を吐きながら奥へと下って行く。
試練を与えるという事は、何かしら理由が有る。
仮に此処の主要目的が封印だとしても、試練の理由は封印された“何か”を託す為の選定だと言える。
封印対象が“澱”の類いで有ったなら、下手に此処に近付かせる真似はしない。
その為、本の存在が封印の対象を絞り込ませる。
まあ、封印だと確定した訳ではないけれど。
「それでも此処の存在から推測出来る可能性は多くはないからな…」
此処が異空間で有る以上、現実に強い影響力を及ぼす“何か”が有る。
それに対し、封印・安置・休眠・停止・破棄…
理由は様々だが、その対処として此処が有る。
そして、来訪者を選別する為に幾つかの段階を設けて篩に掛けている。
先ず、本の存在に因って、氣の使用者で有るか否かを見極める。
これが無くては始まらないからだろうしな。
次に、本の秘密文に因って特別な知識が有るか否かを判別している。
英語を理解出来なければ、単なる模様だしな。
ただ…何故、英語なのかに関しては不明瞭。
答えは先にしか無い。
三つ目に、壁画の仕掛けで氣の適性・力量等を見定め更に絞り込む。
故に相応の危険や厄介事が伴うと窺い知れる。
四つ目、長い一本道の螺旋回廊にて精神力を試す。
恐らくは焦れて余計な事をしていたら着けない仕組みだったと思う。
勿論、引き返してもだ。
下手したら記憶消去されて居たかもしれないな。
そして肝になる血の鍵。
正確な選別・識別方法等の仕組みは不明。
だが、時の皇帝に対し接触出来る程度には来訪者への権力・実力が問われる事に繋がりもする。
今だから言える可能性には玉璽等の特別な物と連動し自動的に更新・書き換えが行われていたとも考えられなくはない。
その場合かなり大掛かりな装置が有るだろうが。
儀式的な要素が少ない以上有り得なくはない。
「異空間からの干渉なら、範囲は問わない…
但し、端末や中継役となる外部部品が必要だが…」
さて、そんな物が有るなら気付かない訳が無い。
洛陽から寿春までが効果の最大範囲なら必要無いが…
その可能性は低い。
寿春である必要が無い事が一番の理由だ。
「…にしても、英語の詩の内容といい、此処の造りのダンジョン風味といい…
妙に“現代人”臭いな…」
RPGっぽい流れ。
或いは、冒険物の小説とか映画等だろうか。
これで“お約束”の展開が来たら絶対に製作者の悪意だと言えるな。
──ガコンッ…と音を上げ足下が数cmだけ沈んだ。
「所謂フラグだったか…」
噂をすれば影、ではないが考えた直後に来るなんて、タイミングが良過ぎだろ。
それとも何か、氣を使った思考の読み取り装置とかが有るんですか。
…限定すれば出来るか。
うわ〜…嫌だなぁ。
無心で進めって訳か。
「──って、今は現実逃避してる場合じゃないか」
ゴゴンッ!、と上の方から何かが落ちる様な音が響き石段が小さく揺れた。
続けて、グゴゴゴ…と音を響かせながら此方へ向かい近付いてくる。
多分、“そう”だろうなと予想して溜め息を吐く。
背後──石段の上段側から近付く音に振り返る。
「ほら、やっぱり…」
案の定、視界に映ったのは表面が岩肌の様な回転する巨大な石球。
うん、ド定番だな。
悲鳴を上げながらダッシュして下に逃げてもいいが…
何と無く、それを遣ったら負けの様な気がする。
気のせいだとは思うが。
あと、個人的に癪だし。
「てな訳で──」
右足を一段下に置き左前の半身に構えて、右拳に氣を纏わせて収束。
呼吸とタイミングを重ね、十分に引き付けた石球へと右拳を突き出す。
「──破あっ!!」
一声と共に、右拳が石球を穿ち、表面を砕いて貫く。
宛ら杭を撃ち込まれた様に石球は回転を止める。
石球の質量と回転の勢いで持って行かれそうになるが十分な余裕を持って耐える事が出来た。
今回のは直径が3m程だが過去には直径が10m級の鉄球も有った。
しかも魔術等使え無い状況だったから純粋な物理破壊しか出来なかったし。
あれは危なかった。
あと少しでも大きかったら逃げるしか無かった。
…逃げ場は無かったな。
追い付かれたらぺしゃんこだったよなぁ。
「…おっと、懐かしんでる場合じゃないな」
めり込んだ右拳を内側へと軽く捻りながら、収束した氣を解放する。
グ…ドンッ!、と鈍い音と振動と共に、右拳を中心に石球に亀裂が入る。
一拍置いて、ズドンッ…と砕け落ちた。
土埃が収まるのを待って、欠片の一つを右手で取る。
材質的には花崗岩。
氣を込めてみるが、今回は変化は見えない。
特に術式の痕跡も無いし、単なる罠だろうな。
「…まあ、持って帰っても損では無いしな」
残骸を“影”へ取り込み、ふと思った。
直接“影”に取り込んだら良かったんじゃね?、と。
…虚しいから忘れよう。
いや、次に活かそう。
この屈辱感を無駄にしない為にも。
「…進も…」
小さく溜め息を吐いて下に向かって足を進める。
──ガコンッ!、と再び、足下が下がった。
「一段飛ばしかよっ!?」
思わずツッコミを入れるが動いた罠は待ってはくれず即座に変化が起きる。
空気の圧迫感を感じて直ぐ頭上を見上げれば、天井が前後各々に3m程の範囲で落下している。
石段を押し潰しながら──否、石段自体が天井と共に平坦に成る様に下がる。
足下から“影”を伸ばして対面側を被い、飲み込む。
“影”を介して把握出来た高さは2m程だった。
それ以外の検証は後回し。
今はそれより重要な事実に舌打ちする。
仮に石球から逃げていれば天井の落下が石球を止め、同時に落下を阻害し悠々と助かっただろう。
「“影”は兎も角として、石球を迎撃すると確信した二段構えって訳か…」
確かに強化系の資質を持つ来訪者の可能性は高い。
俺が見てきた者の統計では氣の資質の中で最も比率が多いのが強化系。
だから、納得も出来る。
しかし、製作者が何処かで見ている様な気分になる。
相手の予想通りに動かされ掌の上で踊らされていると考えてしまう。
だが、面白いとも思う。
挑発──いや、製作者から挑戦されている様で。
闘争心に火が点く。
同じ一本道でも、最初とは大違いだった。
基本的には、ずっと下りで一切の角も曲がり無い。
改めて、此処が異空間だと思い知らされた。
さて、その内容だが──
落下天井の次は落とし穴。
穴は底無し──ではなく、高さ3m程の縦穴。
底には鉄杭がびっしり。
高さが無いだけに悪質。
縦横は2m程でぎりぎりに手足が届かない広さ。
慌てれば手遅れになる。
落下と同時に気付き反応をしないと串刺し。
生け花ならぬ生け人。
笑えないな。
底の鉄杭は回収したが。
その次は天井・壁・床から突き出す総黒曜石の槍。
勿体無いから壊さず回収。
純度も高いしラッキー♪。
その後は、頭上から汚水が降って来たり、飛び石風の落下床が有ったり、石段が傾いて滑り台化して数百m滑走したり、また石球かと思ったら五連発だったり、平均台みたいな細い一本橋だと思えばダミーで、実は壁の凹凸を伝って先へ進むロッククライミングだとか道を塞ぐ石版を床との隙間に指先を入れて持ち上げて進むのが十連続だったり、ピンポンダッシュみたいな床石を踏むと石板が上がり通れる道だったり、踏むと崩れる床だったり、足場が無くて天井からぶら下がる縄を使い進む道だったり、またまた石球かと思いきや石球に乗って転がしながら進まないと汚水へ落下する道だったり、踏んでも何も起こらなかったり、それと罠の床がランダムに有って鬱陶しかったりと…
無駄に手が込んでいた。
一部は回収──破壊したら次が用意されてたり。
最後の方の罠は、何処ぞの超人番組かと思ったな。
完全に遊ばれてるなと感じ苛っと来たのは仕方無いと思うんだ。
特に、汚水なんて何年──いや、何十年物だって位の激臭だった。
悪臭ってレベルじゃない。
十分に兵器だったぞ。
なのに、あれで無菌って…どうやって作ったのか。
逆に感心したよ。
ああ、それからオーラス。
石段の先に床が見えたから漸く次に着いたと思ったら前兆も無しに両側の壁から石柱が飛び出したし。
しかもかなりの速度で。
“影”を常時部分展開して備えてたから無事だった。
まあ、氣で常時強化してる場合でも同じだろうが。
油断した所へ不意打ちでの必殺とか質悪過ぎだな。
思わず、製作者に親近感を感じるじゃないか。
まだ製作者が生きていたら気が合うかもな。




