参
曹操side──
予定通りに新たなる州──泱州の新設を決定。
同時に、外部から干渉等を殆んど受けない完全自治領を皇帝に認可されたと周囲に知らしめた。
これに因って泱州で悪事を働く事は困難となった上、不用意に手を出せば自分の首を締める事も宦官共には理解出来ただろう。
実に好い気味だわ。
「上機嫌だな」
「当然でしょ、連中の顔を見れば陛下も溜飲が下がる思いよ、きっと…」
「まあ、そうだろうな…」
そう言いながら雷華と共に洛陽の街並みを見詰める。
現在、私達が居るのは街の中央を伸びる大通りに有る茶屋の二階の個室。
話は終わったが、任命状や新州の印璽の製作許可書等必要な書状の作成を陛下が終えるまでは待たなくてはならない。
その暇潰しの為に二人して街に出て来ている。
「…大体、二刻位?」
「それ位は掛かるな」
事前に必要な書状の種類や数は知っていても、製作が早過ぎれば曹家との関係を勘繰られる。
(結の事が有るから今更と言ってもいいけど…)
不要な嫉妬や悔恨の類いを買いたくはないというのが雷華の方針。
というか、買っても自分に向く様に仕向けている。
「しかし…呆気ない展開で寝そうになったなぁ…」
「楽なのは良い事でしょ
まぁ、私としてももう少し張り合いが欲しかったとは思わないでもないわ」
「その後の“対応”とかも御粗末だしな…
贅肉を付けてる暇が有れば悪知恵の一つも身に付けて置けよな…」
「それが出来ていたのなら多少は手古摺っていたかもしれないわね」
“たられば”話では有るが有り得ない訳ではない。
遣り直しは出来無いから、今後の可能性だけれど。
「次の舞台では、もう少し楽しめるかしら?」
「さて…どうかな…
特に知謀戦は既存の官吏や軍師では華琳は勿論、宅の軍師陣には敵わない」
「…新鋭が出て来ると?」
“歴史”の流れ的に見ても想像出来る事では有るけど雷華の言い方からしても、“何か”が有る筈。
その証拠に雷華が無邪気な笑みを浮かべる。
「まだ見ぬ好敵手や猛者が時代のうねりと共に天下に躍り出て来る…
軈て訪れる群雄割拠の世を彩る綺羅星として、な…」
「綺羅星、ね…」
雷華の言葉を聞きながら、私も心を躍らせる。
厳密には違うとは言っても“歴史”に名を刻み込んだ英傑達との邂逅。
想像の出来無い未知故に、期待は膨らむ。
──side out
華琳の歓喜の気配を感じて胸中で苦笑する。
此方から見れば、華琳達も同じなんだがな。
まあ、言いはしないが。
「話は変わるんだが…
華琳は太子二人に会った事有るのか?」
太子──劉辯と劉協。
子揚の異母弟達の事だ。
実は、俺はまだ会った事が無かったりする。
勿論、接触は避けていたし洛陽にも無闇矢鱈に近付く事はしていなかった。
故に対話は無いとしても、遠目に見た事も無い。
特徴等の情報は有るが。
「遠目に見た程度ね
元々、御祖父様に対しての信頼は陛下特有の物でね、その周囲は御祖父様の事を疎んじて居たのよ
だから、陛下とは幼少から面識が有るけれど…
他の皇族と面識は薄いわ
結は昔から病弱だったから会えなかったしね」
「成る程な…」
“大宦官”とまで称された曹騰は他の宦官共から見て邪魔だったんだろうな。
自分達の私利私欲を満たす為には特に。
実際に彼の引退後──否、死後から宦官共の発言力や権限が強まり、好き勝手を遣って来たらしい。
御義母様達や民衆からでも聞ける話だからな。
信憑性は高い。
というか、宦官に対しての侮蔑意識の強い清流派も、その大半が曹騰の現役期に出世等を阻まれた逆恨みが主因だろう。
自分達の才器を棚に上げて身勝手な物だ。
「…出来たなら、お互いに生きて話したかったな…」
「そう言ってくれるだけで十分だと思うわ
御祖父様も、きっと貴男と同じ気持ちよ
貴男の事を話した時なんて幼い子供みたいな顔をして聞いていたもの」
そう言いながら懐かし気に空の彼方を見詰める華琳。
穏やかな優しい微笑。
少しだけ纏う儚気な雰囲気さえも彼女の美貌を際立て引き立てる脇役。
俺でなくとも思わず華琳に見惚れてしまうだろう。
だが、ふと思う。
ちょっと、待て──と。
確か、以前に御義母様との初対面の際にも、似た様な事が有った筈だ。
何だかんだで流れてしまい今まで忘れていた。
序でに曹家の関係者内での俺に対する期待感や尊敬の理由も同様なのだろう。
だが、本当に今更になって聞くべき事だろうか。
若干、怖い気もするし。
…いや、やっぱりはっきりさせて置くべきだな。
「なあ、華琳…ちょっと、訊きたいんだが…」
そう声を掛けると訝し気に眉を顰める華琳。
「…何?、珍しく歯切れが悪いけど…」
「…お前、俺の事を内輪に“どう”話してたんだ?」
曹操side──
雷華が何か、真面目な様な不真面目な様な雰囲気で、訊ねてきたかと思えば何の事はない。
くだらない質問。
「…はぁ…何かと思えば…
今更そんな事を気にしても意味が無いでしょ?」
「確かに今更なんだが…
でも、意味は有る」
私の両肩を、グッ…と強く両手で固定して真っ直ぐに瞳を見詰めてくる雷華。
昔の私なら、照れから軽い混乱を起こしていた状況。
でも、今は違う。
女としての成長が私の勘を研ぎ澄まし、呆れる事だと言っている。
「…それは?」
「それは男の沽券──」
「──をどうとか言う前に男の甲斐性と責任は?」
白い目をして見詰めながら雷華の言葉を遮り、普段の行いの問題で切り返す。
自覚が有るみたいね。
即座に、無言のまま外方を向いた雷華。
その反応に溜め息を吐き、呆れながら続ける。
「普段、平然とあの娘達を揶揄う割りに、実際に事をしようとはしないし…
確か…そう“蛇の生殺し”だったかしら?
酷い男よねぇ?」
まあ、雷華の生まれ育った世界では一夫一妻が一般的だったらしいから難しいのかもしれない。
恋愛の──それも夫婦事の価値観等は、そう簡単には変えられない。
私も判ってはいるのだけど“待たされる”側の胸中が痛い程判るから…ね。
「…くっ、言い返す言葉が無い……だと!?…」
「馬鹿な事を遣ってないでせめて、二〜三人を側室に迎えなさい
そうすれば他の娘達だって安心出来るでしょうしね」
「いやね、華琳さん?
新婚ですよ?
もっとこう、二人きりでも良いと思うんだけど?」
「それはそれよ
側室が居ても出来るわ
と言うより、側室を理由に扱い等が疎かになったり、放置したりしたら…
どうなるのかしらね?」
ちょっとだけ、想像したら言い表せない程暗い感情が胸の中に生まれた。
「言ってる事矛盾してるし抑俺言ったよねっ!?
新婚なんだから二人きりで良いんじゃないって確かに言った筈だよねっ!?」
「新婚じゃなくなったら、私は放置なのかしら?」
「んな訳有るかっ!!」
「──っ!!」
慌てて居た雷華の躊躇無い返答は飾り気の無い本心。
自分で振って言わせたけど不意に真っ直ぐ言われると此方の方が困る。
驚いて、嬉しくて、幸せで求めてしまって困る。
あと、雷華。
貴男が照れると此方は更に照れ臭いから止めて。
──side out
華琳に俺の件で質問したら何故か地雷を踏んだ。
おまけに華琳の機嫌が急に悪くなって威圧感が増すし訳が判らん。
と言うか、前にも有ったが自分で言わさせて置いて、思考停止するのどうなんですか。
残された此方とら無茶苦茶恥ずかしいんですけど。
「…っ…と、取り敢えず、私がどう言っていたのか、だったわよね?」
立ち直った華琳が今までの会話を丸ごと無かった様に話題を変えた。
まあ、俺も触れたくないし乗っかるけどな。
「ああ、そうだ」
「貴男の事は…そうね…
家族以外に対しては確か、私の師であり目標…
だったと思うわ」
「まあ…それは隠密衆とか曹家直属・直参の者からの反応でも納得出来るが…
期待の部分は?」
「それは……多分、だけど私が幼少時から貴男一筋に想ってたから、かしらね」
つまり、曹家の才媛。
稀代の麒麟児が心酔してる相手だって事で色々な噂や想像が独り歩きした、と。
…判らなくはないか。
「で、家族には?」
──と、聞いたらスッ…と視線を外す華琳。
おいこら、華琳。
お前、何言ったんだ。
「か〜り〜ん〜?」
「し、仕方無いでしょ!
あんな事になったりして、私だって戸惑っていたから色々説明しないと納得して貰えなかったのよっ!」
顔を真っ赤にして反論する華琳を見て軽い目眩。
正直、気を失う程度で話を無かった事に出来るのなら喜んでしたい。
そう、反射的に思った。
「…一体、どんな風に俺の事を説明したんだ?」
「…歳の頃は、私と大して変わらない位の男の子で…
でも、私より色々な知識を有していて経験も豊富…
話していても聞いていても学ぶ事が多くて…
つい、時が経つのも忘れて夢中になってしまうの
だけど、時折普通の子供と変わらない無邪気な一面も垣間見せて──とか…」
「…明らかに時間的な点で可笑しいよな?
絶対、其処の事に気付いて指摘されただろ?
何て言い逃れた?」
「“胡蝶の夢”の比喩よ」
「…何処の誰か──いや、そうか、後だから名前とか言えた訳か…」
「ええ、だから“此方”の世界の何処かに居る貴男と夢の中で出逢い、何度も、逢瀬を重ねた仲で、将来を誓い合った──と話したら御祖母様や御母様は簡単に納得してくれたわ
御祖父様にしても武術まで達者だと言ったら、曹家の未来は安泰だと言ってね」
それで良いのか?
…まあ、話が拗れるよりはずっと良いか。
しかし、華琳の説明って…程んど惚気だよな。
下手に言えない事だけど、よく納得したな。
……ああ、子供だったから許容出来たのか。
「──って、そんな馬鹿な事有るかっての…」
「嘘は言って無いわよ?」
「ああ、違う違う
華琳に言ったんじゃない」
ムッ…とした華琳に慌てて誤解だと言うと、眼差しで説明を求めてくる。
「幾ら子供の話だからって“胡蝶の夢”で納得するの無理が有るだろ?」
「それは…確かにそうね」
俺の疑問に華琳も納得。
昔は誤魔化すのに必死で、納得されて安心してたから疑問に思わなかった。
都合が悪いから疑問を抱き追究しないしな。
「でも、納得した
なら、その理由は?」
「……前例が有った?」
華琳の言葉に静かに首肯。
華琳自身も、俺の言いたい可能性に気付いた。
それ故の推測だ。
「なあ、華琳…
今でも“知らないまま”で居るのか?
それとも──“知れない”で居るのか?」
「………後者よ」
長い沈黙の後、苦々し気に短く返す華琳。
その様子から見ても色々と調べてはみたんだろう。
だが、手掛かりは無し。
しかし、此処に来て少しの矛盾を掴んだ。
「…“同じ”だと?」
「可能性は有るだろうが…
説明出来無い点が多い
ただ、何かしらの普通とは違う要因は有った、と見ていいとは思う」
「…そう…」
小さく、逡巡の中で華琳は返事をするが、心の迷いは手に取る様に判る。
伊達に夫はしていない。
そっと身体を抱き寄せると素直に胸元へ顔を埋める。
「…知るのが怖いか?」
「……怖くないと言えば、嘘になるわね…
私自身の性格上、はっきりさせないと気が済まないし明確にはしたいわ
でも、事が事だけに正直に言って悩む所ね…」
「俺も似た性格だからな、気持ちは理解出来る
…悩む事も有るしな」
「…貴男にも?」
「…何故、俺が“此処”に居るのか、とかな…」
「──っ…そうだったわね
貴男は自分の意志で来たのではなかったわね…」
「まあな…だからこそだ
事象には須らく起因が有る
俺は知らなくてはならない
俺達の未来の為にも」
「…そうね」
顔を上げる華琳。
笑い合い、唇を重ねながら心に誓う。
共に在る未来を。




