参
劉寛side──
何処で狂ったのだろうか。
劉姓を持ちながらも家柄は庶人と変わらぬ生まれ。
一部の劉姓を持つ者だけが高い地位や権力を得ていて自分には名前だけ。
その不公平な現実に怒りを覚えて奮起した。
自分は必ず“上”へ行く。
そう誓って。
幸いにも読み書きは親から教わる事が出来た。
それだけで、他の一般人と差を付けられた。
“出来る”という噂を聞き官吏の目に止まって私塾に通う事が出来た。
勉学は楽ではなかったが、己が野心を叶える為と思い必死に食らい付いた。
そうして、孝廉にも上がりゆっくりとではあったが、確かに近付いて行った。
五年前、県令に任じられ、その半年後には当時の汝南太守が賊に殺された事から自分に御鉢が回ってきた。
そして、三年前。
ついに豫州の州牧に成り、自分の野望を叶えた。
これからは搾取される側の“弱者”ではない。
搾取する側の“強者”だ。
それを実感した時は思わず大声で笑った。
それが──今はどうだ。
高が刺史の小娘風情に追い立てられている。
意地汚い宦官の孫に!。
「あの老い耄れめ…
死して尚邪魔をするか…」
その顔を、その目を、今も鮮明に覚えている。
十年前、県令になる機会を“不相応”と言って潰した死に損ない──曹騰。
奴さえ居なければ、もっと早くに出世出来た物を。
下らない評価で邪魔をし、挙げ句に五年間もの不遇を強いられた。
実に忌々しい。
実に腹立たしい
「だが、安城に着けば後は此方の物だ…」
安城で籠城。
平輿では北に援軍の登場で叶わなかったが。
しかし、平輿の砦を落とす為には時間か戦略を要し、此方に利を生む。
それに西華の別邸の連中が残っている。
安城の県令である桓威とは言わば主従関係。
小心者の奴を上手く使い、今の地位にして遣ったのは他でも無い自分だ。
奴は忠実で愚鈍な駒だが、馬鹿ではない。
裏切っても、寝返っても、未来は無いと判る位には。
(安城の民と、人質を取り従わせている兵共…
あの老い耄れの孫は随分と良い風評だからな…
民を見殺しに、犠牲にしたなどと噂が立てばどうなるかは目に見えている…)
ククッ…と漏れ出す嘲笑を堪えながら顔を上げる。
視界には安城が映る。
口角を吊り上げ、この戦の勝利を確信した。
「も、申し上げます!」
慌てて駆け寄ってきた兵の言葉を聞くまでは。
──side out
曹操side──
北軍の珀花・桂花・紫苑が合流し、彩音が戻った事で待つ必要性が消えた。
進軍速度を上げ、劉寛軍の尾を捕らえた。
安城を目の前に足を大きく落としていた事から西軍が勝ったのだと判る。
そして、行き場を無くし、戸惑っている事も。
絶好機で有ると判断し走りながら陣形の展開を指示。
縦長に並んでいた隊列が、横に広がり鶴翼陣を形成し劉寛軍に迫る。
それはまるで鶴ではなく、鷹が獲物を襲う様に。
此方に気付く劉寛軍だが、気付いただけ。
陣形を作る事すら出来ずに無造作に広がるのみ。
安城を目前とした平野で、決戦が開始される。
──なんて、大それた事に成りはしない。
盤上では既に結末が見え、後は詰めるだけ。
油断と失敗は許されないが別段難しい事は無い。
「我が名は曹孟徳っ!
豫州州牧・劉寛っ!
己が私利私欲の為に働きし貴様の悪事は明白っ!
官吏としての責を負うなら潔く自害しろっ!」
そう言っては見る物の従う事は無いと確信している。
奴は人質が“居る”と信じ疑っていないだろう。
その醜く、穢れた“鎧”を剥ぎ取ってあげるわ。
「劉寛に従う兵よ聞けっ!
非道なる劉寛に囚われし、汝等の大切な者達は一人も残す事無く保護したっ!
汝等が戦う理由は無いっ!
その命を捨てるなっ!
其処の外道には汝等の命を賭す価値は無いっ!
武器を捨て投降せよっ!」
私の言葉に明らかに動揺と躊躇が兵達に広がる。
人質を取る事でしか従える事の出来無い兵に命懸けで尽くす者など居ない。
何より、その原因が死ねば助けられるのだから。
戦う必要性が無くなる。
その事に気付いた者が一人また一人と武器を捨てて、道を開ける。
それは砂に水が染み込んで消えて行く様に。
中央に一塊の者達を残して取り囲む様に退く。
劉寛と直属の部下達を。
紛れて投降しようにも顔を知られていて出来無い。
従っただけで“甘い汁”を吸う事が出来た者達は指示無くして動けず。
その首魁も予期せぬ事態に反応出来ずに居る。
無様で、滑稽な物だ。
私は兵を引き連れて堂々と劉寛の前に進む。
絶影に跨がったまま劉寛を見下ろすと歯を噛み締めて表情を歪める。
「…忌々しい小娘め…
あの老い耄れと、同じ目で儂を見るか…」
「なら、御爺様の見る眼は確かだったという事ね
私利私欲に溺れた者は人を統べる器ではない…
ただの犯罪者よ」
膝から崩れ落ちて項垂れる劉寛を捕らえる様に命じ、汝南の戦は終局した。
劉寛と部下達は此方の軍を前にして抵抗する気力さえ失った様で楽に捕らえられ事後処理も淡々と進む。
「まるで脱け殻だな」
そう言うのは劉寛の様子を見て来た雷華。
まあ、誰が見ても同じ様に思うでしょうね。
「余程お前の言葉が堪えたみたいだな」
「…聞いていたの?」
あの場には居なかったし、一緒に居たと言う思春にも確認は取って有る。
本隊に居た彩音達が話したとも思えない。
雷華の事で惚気合う真似はしてもだ。
「氣での強化はな、単なる戦闘手段じゃない
使い方次第だ
例えば、城壁の上から街の外の戦場を除き見たり…
その場の会話を聞いたり、なんて事も出来る」
“してやったり”と笑みを浮かべる雷華。
言っている事は信じ難いが彼なら遣れると思って納得してしまう自分に呆れる。
「朱に交われば赤くなる、だったかしら?」
小さく溜め息を吐き雷華の顔を見て言うと肩を竦めて苦笑して見せる。
言いたい事は判る。
その影響を誰よりも受け、染まっているのは私自身。
もう、今更な話。
それでも、言いたい。
「本当、非常識よね…」
恐らく、曹家に連なる者に雷華の事を訊いたならば、その一言は出るだろう。
“非常識な人は誰?”と、訊ねれば殆んどが、雷華の名を挙げる事だと思う。
しかも、本人に聞いても、自分を指差しながら笑って肯定するでしょうね。
そういう性格なのだから。
「で、どうするんだ?
今の劉寛を公開処刑しても意味が無いぞ?
下手すりゃ、恐怖政治とも取られ兼ねない」
「其処が頭の痛い所ね…」
正直、“ああ”成るなんて誰も予想していなかった。
私や将師、御母様達でさえ劉寛の経歴や出自を見れば野心の果てと思ってしまう事も仕方無いだろう。
不遇や貧困故の渇望と。
「贅沢や権威に憧れた事、野心が有った事…
それらが原動力だったのは間違い無いだろうな
ただ、奴自身が受けていた理不尽に対する嫌悪や憤怒なんかの感情等も有ったが故の自己嫌悪…
茫然自失になった、と…」
「…出逢いが、道が違えば民にとって信じられる良き官吏になって居たかもね」
“もしかしたら…”と考え私は頭の中で否定する。
現実は現実。
空想を混ぜてはならない。
人の生、人の道とは奥深く儘ならない物ね。
──side out
少しだけ“もしも”を考え心を揺らす華琳。
本人は気付かれていない、表に出していないつもりで居るのだろうが…
俺には丸判りだ。
だからと言って慰めたり、励ましたりする様な真似はするつもりは無い。
寧ろ、抉りに行く。
「罪を憎んで人を憎まず」
そう言って、華琳の意識を此方に向けさせる。
少々、感傷的になっている様だから警戒心が緩い。
深読みする事無く言葉面を素直に受け取っている。
「人間は過ちを犯す
その過ちから学び正す
歴史や繁栄・衰退なんて、その繰り返しだ」
「…そうかも知れないわね
もし、過ちが無ければ誰も“何が”正しいか判らない
過ちの先に正しさは有る…いえ、出来るのね」
理解した様に呟く華琳。
その表情から脳裏に浮かぶ思考を読み取る。
多分、劉寛への罰で民へ、国へ貢献させる事で更正を促すのも有りか。
そんな所だろう。
しかし、それは頂けない。
その甘さが“司法”の形を歪めてしまう。
「生まれながらの悪人など先ず有り得ない事だ…
だが、罪は罪
特に官吏の立場に有る者の罪は殊更に重い」
華琳が心に抱いたであろう“甘い幻想”を真正面から打ち砕く。
「犯罪に大も小も無い
しかし、犯罪者の立場等に因っては重さが異なる
高い地位や立場に有る者の犯罪と、一般人の犯罪とはその意味が違う
横領という罪を犯したのが一般人なら罰を与えて裁き更正を促せば良い
だが、官吏等が犯したなら同じには扱えない
立場が違う、それは背負う責務の違いでも有る
同じ金額の横領でも後者は死罪を免れれはしない
民を守り、導く者が犯した罪を見逃せば規律に歪みが生じる事になる
その歪みは必ず国を、民を侵し、蝕み、貪る」
真っ直ぐに双眸を見詰めて言い切ると華琳は今自分が抱いた甘さに気付く。
しかし、眼差しは逸らさず見詰め返してくる。
受け止める覚悟の証だ。
「信賞必罰の必要性…
それは単純な賞罰の有無を説くのではない
王と臣が権力を有する事を自覚し、戒める為…
我欲に溺れぬ様に自他共に律し、正す為だ
“身内だから…”と言って甘い顔をしてはならない」
「…その通りだわ」
「王は寛大で在れ
然れど、王は厳格で在れ
甘い王に、甘いだけの王になんて成るなよ?」
「ええ、勿論よ
貴男を失望させる事なんて絶対にしないわ」
そう言った華琳に頷き返し笑みを浮かべ合う。
本来の価値は無くなったが劉寛は役に立ってくれた。
華琳の無意識下に埋没する“甘さ”は危険だ。
出なければ害は無い物だが一度表に出れば少なからず矛盾や軋轢を生む。
もしくは繋がる。
それを今、華琳に自覚させ理解させる事が出来たのは今後に取って大きい。
将来的な危険性を潰せた事になるのだから。
「それで、貴男の意見は?
劉寛をどうするつもり?」
華琳に訊かれ意識を戻し、今の問題の劉寛の扱い方を考える事にする。
「単純に殺して自害扱いで公表しても良いが…」
「露骨過ぎない?」
「かと言って、尋問したり出来そうにないしなぁ…」
本当、面倒だ。
「単硅は捕らえたのよね?
其方との繋がりを吐かせる為の餌に出来無い訳?」
「餌が無くても喋るって
奴は“取引”が出来る物と疑って無いんだからな」
「そうだったわね…」
二人して頭を捻る。
何か良い案が無い物か。
ふと、視線を巡らせた先に映ったのは青空を横切った一枚の木の葉。
「…落葉、か」
「………?、あの落ち葉がどうかしたの?」
不意に呟く俺の視線を辿り同じ物を見る華琳。
だが、意味が解らず小首を傾げながら訊ねる。
「…うん、そうだな
劉寛には“落葉”に成って貰おうか」
「……雷華?」
今一理解出来無くて華琳が不機嫌そうな声で呼ぶ。
拗ね気味の視線に苦笑し、左手で頭を撫で気を逸らしながら説明する。
「葉は枯れ落ちるが然り
然れど、それは地を肥やし次の“芽”を育む
決して、地を腐らす事など有りはしない
それが“落葉の理”だ」
「…劉寛を肥やしにする
それは解るけど…
というか、それが出来無くなったから考えてるのではなかったかしら?」
「予定の形では、な」
「…ねぇ、雷華?
何かしら新しい方法を思い付いたのなら、説明をして欲しいのだけど?」
「判ってるって…」
俺が勿体振っているとでも感じたのか若干キレ気味に早口になる華琳。
口調にも棘が有るしな。
全く、そんなつもりは無い…とは思う…多分。
まあ、華琳って揶揄ったり焦らすと反応が可愛いからついつい遣りたくなるのは自覚してるけどさ。
苦笑しながら華琳に概要を説明していった。




