8 狐と狩人
甘寧が首から下げる鈴へと右手を翳し“氣”を送る。
掌が淡く光を纏い。
同時に鈴も淡く輝く。
チリン…と小さく鳴ると、一方へ向かい揺れる。
「此方か」
「この先に…」
鈴の示した方向へ進む。
共鳴は直線上である為に、足下は悪い。
獣道でも有れば良い。
そうでなければ草木を分け道なき道を進む事になる。
普通なら疲弊する道程だが流石と言うべきか。
甘寧は平気そうだ。
「一つ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「凌統の墓は何処に?」
「…私達、錦帆賊の故郷
夷陵の北西の山間部に在る小さな泉の畔だ」
懐古と愁思の入り雑じった表情で答える甘寧。
恐らくは“傷”だろうが、既に“過去”になっている様で安堵する。
「夷陵か…なら途中か」
「途中?」
「俺の予定道中のな
この後は船で夷陵を経由し江陵に行く予定だ」
「…そうか」
思案顔の甘寧。
何れ来る“岐路”に際し、どうするのか。
自らの選択を。
山に入って約二時間。
漸く、目的地に着いた。
「…凌操…」
親しき者の名を呟く甘寧。
その視線の先には亡骸。
衣服は破れ血が滲んでおり身体の肉は喰い千切られ、骨が晒されている。
綺麗な白骨ではなく無惨な姿は哀れでしかない。
チリン…と、鈴が悲し気に鳴った。
凌統も、変わり果てた兄の姿を嘆く様に。
ならば、いつまでも亡骸を放置は出来ない。
「少し下がっていろ」
そう言って、背負っていた翼槍を手にする。
「何をする気だ?」
「火葬だ」
「火葬?」
「土葬が主流だからな
火葬は亡骸を焼き、骨だけにして埋葬する方法だ
遺骨は骨壺に納める」
持ってきていた荷の中から装飾された壺を取り出し、甘寧に手渡す。
「凌統と同じ墓に納める時には取り出しても良い
何にしても、このままでは運べないからな」
「…そうだな、頼む」
甘寧の言葉に頷く。
翼槍に“氣”を送ると鋒に小さな炎が生じる。
その炎を雫の様に亡骸へと落とすと燃え広がる。
衣服を、屍肉を焼く。
しかし、匂いは生じない。
当初はただの炎だったが、今は違う。
炎は“浄炎”に近い。
主が望む存在だけを焼き、それ以外には無害。
木々に囲まれた中、亡骸を抱き燃え揺れる炎を甘寧と静かに見詰めていた。
凌操の魂が輪廻の輪に至り眠れる事を祈りながら。
炎は消えて、残った遺骨を二人で骨壺に納めた。
後は山を下って永安へ戻るだけ──だったが…
一方を見詰めて止まる。
(…血の匂いか…)
甘寧の時と比べると濃い。
場所が近いか…
或いは相当な量の出血。
風に運ばれる位だ。
まだ新しいだろう。
御時世と言えば、そうだが遭遇率が高い。
「どうし……血か…」
不意に動きを止めた此方に訊ね掛け、気付いた。
その嗅覚は流石だ。
「…どうする?」
「気は進まない…が、何が起きているかは、把握して置きたいからな
取り敢えず、様子を見る
お前は先に宿へ戻れ」
「足手纏いには──」
「凌操の遺骨を撒き散らす訳にはいかないだろ?」
戦闘となれば、片手を塞ぐ骨壺は邪魔だ。
それを抱えながら動けば、鈍くもなる。
「…お前の言う通りだな
心配は要らないだろうが…私は恩を返していない
勝手に死んだら許さん」
彼女なりの激励だろう。
彼女の頭を撫でて頷く。
山を下って行く姿を見送り風上へ視線を向ける。
氣の網を広げ探索。
人は離れていく甘寧のみ。
ある程度離れている様だ。
暫くすると、それと思しき気配を見付ける。
周囲には他の人間の気配は見当たらない。
(…弱いな……急ぐか)
瀕死の可能性を考慮。
氣を四肢に巡らせると地を蹴って一気に加速する。
僅か数分で目標に到着。
やはり単独だと速い。
其処で見付けたのは衣服を血で染めて倒れた女性。
それも見た顔の。
「…黄忠…」
軽い驚き。
だが、納得する要素も。
(確か、この辺りの太守は韓玄だったな…
それに昨夜、夕食を採った店で賊討伐と聞いたし…
嵌められたか)
持っている情報から推測し妥当な仮説を立てた。
手当てをする為に黄忠へと近付く。
刹那──黄忠の腕が動き、その瞬間に飛び退く。
視界の中に剣閃が走る。
目の前には、ダラリとした姿で右手に剣をぶら下げて佇む黄忠。
直ぐに翼槍を右手に探る。
対象は黄忠ではない。
彼女を“操る何か”を。
すると、黄忠の身体から、十数本の“糸”の様な物が延びているのが視えた。
即座に翼槍に氣を与え炎を刃に纏わせて一閃。
“糸”を断ち切ると黄忠は力無く崩れ落ちる。
左腕で抱き止め、周囲へと視界を巡らせる。
「…何故だ…」
それを視界に捉えた瞬間、思わず呟いていた。
視線の先に在るのは──
巨大な爪を持つ八つの脚、身を覆う赤と黒の縞の毛、獲物を捕らえる鋏角を持つ巨大な蜘蛛。
そして、血の様に赤く輝く八つの眼が此方を見据え、敵意を向けてくる。
しかし、此所で重要なのは姿形ではない。
その“存在”だ。
(馬鹿な…閉じた世界で、何故“妖魔”の類いが存在していられる?)
儚く揺らめく輪郭。
淡い光を纏う身体。
現世と隔す姿は“正常”な存在ではない。
確かに、“神通力”は存在している。
故に霊力や妖力を持つ者が居ても不思議ではない。
だが、話が“存在自体”となれば別だ。
“式神”が霊力に依る様に“妖魔”も妖力に依る。
しかし、それは“世界”が自らを構成する一部として“存在させている”という大前提に基づく。
それは霊体なども同じ。
決して理には叛けない。
世界が閉じた、この世界で妖魔が存在する。
それは“異常”だ。
しかし、ふと考える。
確かに“単体”での存在は不可能だろう。
だが、この世界には“氣”が在り、用いられている。
“氣”も“神通力”も共に“生在る命”に宿る力で、名称が違うだけ。
つまり、“同じ存在”だと最近理解した。
“氣脈”と“魔力回路”が共通である事。
ならば、“氣”が代行媒体として機能しているのではないかという仮説。
類似例に今、自分が右手に持った翼槍が有る。
自立行動は不可能だが氣を糧とし“能力”を施行するという特殊な存在だ。
正負何方らに傾倒するかに因って在り方が違う事などよく有る話だ。
(“向こう”でも似た様な存在は居た訳だし…
なら、“宿媒”が在る筈だな)
現世に存在する為に必要な“依り代”を見付け出し、破壊すれば消える。
そう結論付けた。
大蜘蛛を見据えたままで、止血と最低限の処置をした黄忠を地面に寝かす。
翼槍に更に氣を与える。
それに応える様に刃の形が変化した。
普段は柄に添って畳まれた横刃が展開する。
宛らそれは鳥が閉じている“翼”を広げる様に。
そして、一層輝く炎を纏い己が力を顕現する。
「彼女を頼むな」
そう言って、翼槍を黄忠の傍らに突き刺す。
翼槍は黄忠を護る様に炎を周囲に広げ、結界を作る。
暫くは大丈夫。
しかし、氣を糧にする以上有限である。
故に必要な事は──
「さあ、始めようか」
少しでも早く片付ける事。
黄忠から離れながら右手を腰の後ろに回し柄を握る。
あの夜、手に入れた曲剣。
この子もまた“特別”。
だが、今の手札では決め手に欠ける。
(この手の相手に物理攻撃は効果が薄いしな…)
翼槍の炎なら楽だろう。
しかし、瀕死の黄忠を敵の前で無防備には出来無い。
逃げられても厄介だ。
確実に討つ必要が有る。
「──っ!」
大蜘蛛が先に動く。
優に5mは有ろう巨躯には似つかわしくない速さ。
だが、蜘蛛であるなら特に変わった事ではない。
此方の左後方に回り込み、左右の第二脚の爪で突きを放つが逆手に抜いた曲剣で後方へ捌く。
そのまま空いた懐に向かい踏み込み、氣を纏った刃で擦れ違い様に一閃。
腹を切り裂く。
駆け抜け、体勢を整える。
金切り音の様な甲高い叫び声を上げる大蜘蛛。
切り口は何事も無い様に、塞がって行く。
ダメージは無いだろうが、痛みは有る筈。
しかし、存在自体が幽体に近い為か、氣による攻撃は効果も薄い様だ。
(予想通りとは言え…
これは骨が折れそうだな)
大蜘蛛は第一から第三脚を器用に使い乱打。
しかし、効果が薄いと理解したのか糸を吐き出す。
切り裂こうと構える──が嫌な予感に飛び退く。
地面と草木を覆う糸。
粘着性なのは定番。
だが、厄介な付加効果が。
草木が枯れてゆく。
氣の流れを視れば糸を介し吸収されている事が判る。
(黄忠を操っていた糸とは違う物だな…
生気を吸収するという事は長期戦は不味いな)
元からする気も無いが。
大蜘蛛が再び糸を吐くが、難無く躱す。
「──っ!?」
だが、バギギィッ!と音を立てて折れた木が此方へと飛んで来る。
身を屈め回避。
大蜘蛛は糸を手繰りつつ、木を振り回す。
それは宛らフレイル。
向かって来た所を躱すと、糸を断ち切る。
しかし、予測していた様に追撃してきた大蜘蛛。
第二・第三脚を繰り出し、同時に糸を吐く。
近くに有った岩を糸で繰り打付けてくる。
それを氣で強化した左拳で打ち砕く。
「っ!?──くっ!」
その瞬間、身体から活力が抜ける感覚。
直ぐ様、氣を左腕に集めて爆発させ、腕に付いていた糸を外す。
相手も馬鹿ではない様で、糸を警戒しているのを見て爪での刺突、二種類の糸を混ぜて攻めてくる。
だが、思考は違う事に対し考察を始めていた。
生気──氣を吸収する糸に捕まった時、感じた。
(何故、魂の叫哭が…
まさか“堕ちて”ない?)
妖魔と見立てた。
だが、実は違う可能性。
改めて見極める。
表面上に変化は無い。
氣に揺らぎも無い。
意識を集中させ、より深く氣を探る。
華佗を真似ての視診。
すると、本の僅かだが氣に“歪み”を見付けた。
(…潜ってみるか)
吸収力を考えれば約十秒がタイムリミット。
それ以上は此方が危うい。
尚且つチャンスは一度。
そう決めると即座に実行。
大蜘蛛の糸に態と捕まり、自分と大蜘蛛の意識を繋ぎ精神の深層へと入る。
濁流の様な憎悪の奔流。
取り込まれそうになる程に強いが耐え凌ぐ。
意識を保ち──探す。
(…何処だ?)
精神界と現実では体感する時間の感覚が違う。
それでも、時間は無い。
焦燥感を抑え込みながら、集中を高める。
……ス……テ……
微かに聴こえた声。
近いと感じる。
…タ…スケ…テ…
その声が聴こえた。
刹那──禍々しい気配が、全てを塗り潰す。
(──っ!?、絳鷹っ!!)
即座に絳鷹を顕現させて、強制的に糸を排除。
精神界から離脱する。
離れ際、赤黒い気配の中に囚われた少女の姿を見た。
戻ると共に大きく飛び退き大蜘蛛から距離を取る。
想定内とはいえ、ある程度氣を奪われた為に倦怠感が身体を蝕む。
(…“アレ”は何だ?)
あの少女は“御霊”。
つまり、この大蜘蛛の根幹たる存在だろう。
そうだとするなら、少女は触媒として囚われている事になる。
そして、少女を囚えている禍々しい気配。
(“アレ”は氣なのか?)
大別すれば氣なのだろう。
だが、あまりにも異質。
本能的に感じた恐怖。
経験から感じた死線。
それが無ければ既に自分も囚われていた。
“生者”の氣とは違う。
“死者”の氣、とでも言い例え様か。
まるで真逆に感じた。
冷たい汗が背筋を伝う。
果たして、“今の”自分に“アレ”を排除し、少女を解放する術が有るか。
(……いや、違うな
“出来るか”じゃない
ただ、“成す”だけだ)
最悪、少女諸共…などとも考えはしない。
余計な思考は排除。
自分の理想だけを想像。
「想像は──創造出来る」