とんがり帽子
ドアをノックする音がしてから、女性の声がした。
「あのー、
すみません」
「はい、
何ですか」
俺はドア越しに声をかける。
六畳で家賃二万五千円のアパートの一室に住んでいた俺は、本当にたまにきた客、しかも女性に驚いたが、一応、用件をきかなくてはいけない。
「そのぅ。
セールスなんですよぉ」
合格だった。
このような媚びを含んだものの言い方をする女性に、俺は滅茶苦茶、惹かれるのだ。
「何」
といって開けると、芸能人のような目鼻の整った、前髪が特徴的にくるりと反っている、おしゃれな栗色の髪をした女性が現れる。どこかの事務員みたいなピンク系のスーツを着ていた。
「あの〜。
セールスなんですが、きいてもらえますか」
「いくらでもきくよ。
ただし、買うかどうかは知らないけれどもね」
「アハハハハハ。
お客さん、面白い」
「そうかなあ。
で、何なの? 」
「これです」
その女性は鞄から、黒いとんがり帽子を出してきた。
「えっ」
「これなんです」
「こんなのを売るの」
「はい」
「これ、何? 」
「とんがり帽子です」
「ふ〜ん、で、どんな意味があるの」
「幸運になれますよ」
「だって、こんなのつけて、外に歩けないじゃない」
「あっ、これは家の中で、一日、十分間、被ればいいんです」
「それだけでいいの」
「はい。これみてください」
帽子の裏地には、小さな光る石がはめ込まれていた。
「これ、タキオンです」
「ああ、よく雑誌とかで見る幸運の石みたいなやつね」
「はい」
「この帽子はタキオンの力が出てくるの」
「はい。そうですね。
普通よりも45倍くらい出ますから」
「どうやって測ったのよ」
「アメリカの大学で実験結果が出ているんです」
「ふーん。
正直、興味ないや」
「あ、そんなこといわないで買ってくださいよ。
どうですか? 」
「いくらなんだい」
「500円です」
「安いなあ。
ホントにそんな安いの」
「はい、慈善事業ですから」
「へええ。
それで、いいんだったら、買うよ」
「それじゃあ」
というと、女性はとんがり帽子を渡す。
そして、お金を受け取ると、潤んだ目をして、こちらに顔を近づけてきた。
「すみません。
あたし、一目惚れしちゃったかもしれません」
「えええ。
俺に」
「そうです。
電話番号が、ここですんで、電話してくださいね」
「わかった」
「あの〜。
あなたの携帯も教えてよ」
「あ、そうだね」
そして、俺は彼女が去ったあとに、とんがり帽子をつけてみた。
すると、タキオンの力が働いたのか。
「キュイイイイイン!
ウィイイイイイン! 」
という音がする。
「あれ?」
帽子を外すと音がやむ。
気になるのでまた、つける。
「キュイイイイン!
ウィイイイイン!」
と音が鳴って、しばらくすると声がする。
「夢の人生。
夢の人生」
俺は帽子を脱ぐ。
するとその声はやんだ。
「何だこれ」
俺は気持ちが悪くなって、帽子をゴミ箱に捨てる。
しかし、そのままというのも気味が悪いので、調べると、帽子にはセンサーがついていて、被ると、音声を発するようになっていたのである。
明らかに、元値の500円は越している。
どうしてこんな嫌がらせみたいな仕掛けをしたのか、わけがわからない。
それから数日後に電話がかかってきた。
「あの〜、帽子の方はどうですか」
「あれかい。
捨てちゃったよ」
「そうですか」
「うん。
だってさ、あれ、被ると何か、変な声がしたから」
「えっ!
何て言っていましたか? 」
「夢の人生、と言っていたなあ」
「わ〜、
ごめんなさい。
会ってくれませんか」
「ああ、いいよ」
というわけで、俺は彼女と、近くの喫茶店で会うことになった。
今度は彼女はカジュアルな服装をしていた。
やはり、何度みても綺麗だ。
これは、俺が女性に飢えているからかもしれないが、いや、そういう状況でなくても、掛け値なしに綺麗だった。
目に特徴があった。
まるで吸い込まれるような目なのだ。
情熱的であり、優しくもあり、どこかに聡明さと、育ちの良さを感じさせる多面的な輝きをもつ目であった。
「夢の人生、って言っていましたか」
「うん、
言っていたねえ」
「そうですか」
というと彼女は俯いて、頬がほのかな赤みを帯びていた。
「どうしたんですか」
「いや、何でもないんです」
とハンカチを出すと彼女は涙を拭いた。
「事情を説明してください」
「わかりました。
実はあの帽子は、私の亡き夫が作った最後の作品だったのです」
「えええっ、そうなの」
「主人は、小さな帽子屋をやっていたんですよ」
「帽子だけ売っていたのか」
「はい。
彼は最高の帽子を求めて、世界中を旅して、ようやく巡り合ったのが、あのとんがり帽子の製法だったのです」
「そうなのか。
俺、捨てちゃったよ」
「いいんですよ。
主人は、言っていました。
『こんな帽子は売れないだろう。
ただし、俺は、この帽子に、ある妖精を宿らせたんだ。
もし、ちゃんと宿ったのなら、
『夢の人生』
と言うことだろう』
なんて言うんですよ。
おかしくなったのか、って思ったら、本当だったのねって」
「そうなんですか。
けれども、後で調べたら、センサーがついていて、変な音と音声が出るようになっていたよ」
「じゃあ、主人がそんなことをしたんですね」
「一体、どうして? 」
「どうしてって、その、それは、主人の趣味ですよ」
「悪戯好きだったのか」
「そうなんです」
「って、おかしいだろう」
「はい、そうですね」
「さっきの、妖精の話はどうなったんだい」
「ごめんなさい」
「えっ」
「すべては、あなたに近づくために、ついた嘘だったの!」
「いや、嘘をつくにしても意味がわからないよ」
「お願い、私を見捨てないで」
「ちょっと、ちょっと」
彼女はいきなり抱きついてきた。
「待ってくれ。
待ってくれ。
一体、あの帽子は何だったんだ? 」
しかし、彼女は俺の胸に顔を埋めて泣いたまま、答えを言おうとはしなかった。
俺はそんな彼女を受け入れることにした。
そのまま俺と彼女は結婚をして、三十年の時が過ぎたのであった。
もちろんのこと、結婚してからは、良いこと悪いこと、様々なことがあったが、何とか二人で潜り抜けてきたのである。
幸福な家庭ということはできたであろう。
三人の子供を作り、子供たちはすべて、巣立って行った。
そして、二人でゆっくり余生を過ごそうと思ったときに、俺は彼女に、どうしても気になるあの、とんがり帽子のことをきいてみたのだった。
「お前は三十年間、いつだってこの質問をすると答えなかったが、今回だけは教えてくれ。
あの帽子は何だったんだ? 」
「あれ?
あれは、だから前の夫の発明品よ」
「発明品」
「あの人は、帽子屋なんていうのは、本当は嘘で、発明家だったのよ」
「そうなのか」
「で、この発明は、最高の作品だ、というのね」
「うん」
「この帽子を被ると、三十年間分の擬似人生を体験できる、というのよ」
「へ〜〜、
って、これって、じゃあ、何? 」
「もう気付いたかな?」
「本当に、待ってくれよ。嘘〜」
「そうそう。
この三十年間って、とんがり帽子を被ったあなたの見た夢だったのよ」
というと、彼女の姿は消える。
あたりの空間が白くなったり、青くなったり、様々な色が混じったりして、絵の具を溶かしたようになる。その多くの色の混沌の中で、俺は意識を失った。
気がつくと、三十年前の部屋に俺はいて、とんがり帽子を頭に被っていた。
「うぎゃあああ」
あわてて、とんがり帽子をぶん投げると、ゴミ箱に捨てる。
時計を見ると、前に、とんがり帽子を被ってから、十分しかたっていなかった。
「うわああああ!!
あの三十年間は何だったんだぁ」
と俺は叫ぶ。
それから小一時間くらい、俺は茫然自失の状態であったが、急に電話がかかってきた。
「はい?」
「あのー、さっきの者ですが」
「あの帽子なんなんだよ!」
「あれは、亡き主人の発明品だったんです」
「それは本当なのか」
「本当です」
「それでどうですか?」
「何がだ」
「私ともう一回、三十年間を過ごしてくれますか?」
電話の向うの彼女の声は少し震えているようであった。
「そうだなあ……」
俺はわざとひと間隔おくと、答えた。
「また、お願いします」
完




