お気遣いありがとうございます
昼休憩から戻った雫は「ただいまぁ」と東山と西川に声を掛けた。
前のデスクの西川は「少し早いけど」と、貴重品を出すために机の引き出しを開けている。
「おかえり」と一瞬顔と口角を上げた東山は、雫の隣の席。
雫が所属している経理課は『本店』と呼ばれる店舗の隣にある。
隣と言っても大きな本棚を間仕切りのように利用し、机の塊が離れているだけとも表現できる。
だから『本店』に居る営業マンたちの声は、今日も雫に聞こえていた。
経理課も店舗もビルの一階にあるため社員、特に経理課と本店の事務員はビルの出入口から職場へと入る。
しかし出入りのためにはビルの長い廊下を通るという遠回り。
だからお昼休憩をゆっくりしたい雫は、だいたいお弁当を家から持ってくることにしていた。
「行ってくるね」と西川は店舗へと優雅に足を向けた。
東山と雫は同時に「行ってらっしゃい」とお昼休憩へ行く西川を見送る。
店舗に行くということは外でのランチへの近道ということだ。
西川の声が隣に聞こえていたのだろう。
本店の営業マンが「俺も昼行ってきます」という声が経理課にまで聞こえてきた。
雫は本体軸に描かれているキャラクターが消えかかったシャーペンを握りながら思う。
「今回も奢ってもらえるのか。西川さんは美人だからいつも得だなぁ。仕事は言われた事しかしないのに」と。
彼女の姿を見て東山がクスリとする。
「奢ってもらえるとは決まってないんじゃない?」
大きく眉をしかめて口元まで歪ませた雫は、キリっとばかりに東山を見た。
「それに新谷ちゃんはいつもお弁当だもん。そりゃ、奢ってもらうなんて無理な相談よ」
東山がまぁまぁ抑えて言わんばかりに雫を諭す。
「確かにそうなんですけどぉ」
雫は唸る様に「んー」と言い、持っていたシャーペンでメモ用紙にぐるぐると落書きをした。
「あ、でもでも、もしかして私たちだけじゃないですか!?西川さんがお財布開けてるの見たのって。この前の私たちだけ3人での送別会のとき!!」
「そうかもしれないわねぇ」
と、左手でお腹を触る東山。
「西川さんに奢ってもらえるなんて、新谷ちゃんもラッキーだったわね」
「東山さんのお陰って事ですかねぇ。
でも、東山さんの送別会なのに『後輩だから』って私まで奢ってもらっちゃって良いのかなぁ」
「彼女がそうしたいって言ったんだから問題ないんじゃない。
それに新谷ちゃんは、ちゃーんと送別会の日にプレゼントくれたじゃない」
そう話した東山は、自分のまだ目立ってきていないお腹に軽く手を置いた。
「あんなに赤ちゃん用の物が可愛いなんて知らなかったなぁ。なんていうか、ちっちゃいだけなのに見てるだけでテンション上がっちゃうっていうかぁ」
送別会の帰り道、東山に彼女は二人になったときに彼女が生む赤ちゃん用の小さな靴を渡したのだ。
「荷物にならないと良いんですけど」と言いながら。
「ふふ」と笑う東山は続けて言う。
「そうね、靴なのに両手に収まっちゃうんだもの」
頬を緩めながら話す雫に、笑顔で首を縦に軽く振った東山。
彼女が黒く長い睫毛を瞬かせると、まるで「ありがとう」と聞こえるようだった。
「新谷ちゃん、あのブランドかなり憧れていて欲しかった本当にありがとうって思ったのよ」
「ご本人ちゃんに気にいってもらえるかは分かんないですけどぉ、恵ママがご機嫌の様子だから私が優勝って事で良いですかぁ?」
「うふふ」と笑う妊婦は「意味わかんないけど、それで良いわよ」と眉を下げる。
「ですよね、ですよね。うーん、それより明日から私は東山さんの分の仕事まで出来るかなぁ」
ワザとらしく机につっぷした雫に「コラ、今もお仕事しなさい」と笑いをこらえるように東山は言う。
「はぁい」と、改めに座り直し、溜まり始めた書類を見た。
今の仕事で手いっぱいだからと泣き出しそうに課長に訴えた西川。
そのせいで殆ど東山の仕事が雫に回って来たのだ。
自分が一番下だから、指示待ちの内容が多かったことは把握している。
しかし東山さんの仕事を、ほとんど自分にふられてもなぁと雫は思う。
「これらを入力して、あっちに置く」雫の前の今は誰も利用していない机の上を目を追う。
そこは一応課長のデスク。
しかし基本的には処理済書類置き場、兼月初めに来る税理士が座る席。
今はあまり書類の乗っていない机を雫は睨みつける。
「そそ、頑張って。新谷ちゃんなら出来る出来る」
そんな彼女に軽い様子で未処理の書類たちを指さした東山。
仕事を一から仕込んでくれた尊敬できる、慕う先輩が言うのだ。
頑張るしかない、そう雫は思った。
それでも
「税理士さんに見せる書類なんて、先輩である西川さんが引き継ぐべきじゃーん。あの人、東山さんと同期なんだしさぁ」
そんな思いを西川に巡らせているせいか、メモにはぐるぐるがどんどん増えていく。
そっかそっか、あの人は税理士さんのおもてなしが、お仕事だもんねー。
私がセットしておいたコーヒーサーバーからコーヒーをカップに注いで持って行くだけ。
ついでに「いつもお洒落ですね」とか「髪をカットして更に小顔に見えますね」とか。
そうやってさぁ、女性の税理士さんにだって媚売れるんだからさぁ。
たまには私や東山さんにだって、もっと気ぃ遣ってよ!!
雫は思考だけが動き、手は完全に疎かだった。
「新谷ちゃん」と、そろそろ本気で怒りますよとばかりの声を出した東山。
「はぁい、今からも明日からも頑張りますぅ」と蚊のような声の雫に、東山は小さなガッツポーズを作って応援。
雫はそんな彼女の姿を見て「明日からも来てくれるのは東山さんだったらなぁ」改めて思う。
そしてお喋りを終えた二人が黙々と机に向かい仕事を始めた。数十分後。
「戻りました」と西川の笑顔の声が耳に入る。
「メグちゃん」と東山に声を掛ける西川は、目顔で後ろにいる男性を伝えた。
西川とランチを共にしていた営業マン。
彼は照れたように籠に盛られた黄色く小さな可愛らしい花々と共に感謝の言葉を差し出した。
「お世話になりました」
「これもしかして、わたしに、ですか?」
戸惑いの声を出しながらも席を立つ東山。
営業マンから花籠を受け取り「お気遣いありがとうございます」とワントーン上げた声。
やり取りをにこやかに見つめる西川。
雫はそんな西川を、なんとなく不思議なものを見た気がした。
その後、経理課はいつも通り仕事を進めていく。
終業時刻の約一時間ほど前の事だ。
隣の本店から「ピンポーン」という来店の音が鳴った。
「いらっしゃいませ」と本店の事務員が扉まで出迎えながら叫ぶ。
「あ、鈴木店長じゃないですかー」事務員の声が、すっとラフになった。
「隣、東山さんいる?」
出迎えた事務員に聞くが早いか、鈴木店長と呼ばれた男は経理課までそそくさと足をのばす。
既に椅子をクルリとし、体ごと鈴木を迎えるように座っていた東山。
「物件、売れた自慢か何かでしょうか?」と尋ねつつ、彼女は席を立った。
「東山、本当にそういうとこモテないぞ。と、言いたいが既に俺より先に結婚もして。ううっ」
大げさに顔を腕に埋めて噓泣きをする鈴木。
「で、店長自らどうしたんですか?」と正当な疑問を彼女は問うた。
「ホレ」鈴木が持っていた大きな営業カバンから、箱買いされた駄菓子が3っつも出てくる。
「退職祝いに。と思ったけど、東山さんがいらないなら経理と本店で食べてもらっても良いし」
そう言い「お気遣いありがとうございます」とお礼を言う東山に手渡した。
鈴木店長を合図のように、他の店舗の営業マンたちが何かしらのプレゼント持ってやって来た。
そんな激しくなった出入りを見て雫はハタと気付いた。
西川に対しての違和感に対してだ。
今日が東山の退職日だからだろうか。
普段の西川なら誰もちやほやしないと少しずつ周囲の空気を重くしていた。しかし今は一切それが無い。
それどころか、鼻歌まで歌いだしそうな雰囲気ですらある。
首を捻りたくなる気分になった雫。
あと数十分で今日の仕事は終わる。
だからこのまま今日が終われば東山さんへの最高のプレゼントになるかも。と、雫は心の中で西川がご機嫌でいてくれることを祈った。
「ピンポーン」
また店舗の扉が開く。
「東山さんの人徳ですね」
本店の事務員がチラリと経理に顔を出したあと、扉へと向かう。
事務員に軽く手を合わせ「迷惑かけちゃってごめんね」と言う東山。
「いらっしゃいませ?」
事務員の疑問符が付いた出迎えの声が耳に入る。
お客だと思われる人物の声、すぐに出て行ったようだ。
「ありがとうございまし、た?」
もう一度疑問符を付けて見送る事務員。
店舗の方から「おぉ」やら「すごい」という感嘆の声が上がっている。
「東山さん、あの」と、店舗の方から白いモノが動いてきた。
白いモノの正体は事務員が抱える様に持つ、華やかに咲き誇る鉢植え胡蝶蘭。
「花屋さんっていうか、西川さんからのお届け物です」
雫ですら豪華な蘭を見て「うわぁ」と鮮やかな声を上げた。
当然、東山は席を立ち前に座る西川の方へ歩み寄る。
そして「ありがとう」と、伝えてる彼女の頬は赤らんで見える。
「そんな、全然たいしたことないし。メグにはずっとお世話になっていたから」
謙遜のような態度を取り、西川は顔をブンブンと横に振る。
雫は「お花は下に置いたら失礼だよね」と、目の前の机を分かりやすく片付けて事務員を誘導した。
事務員は蘭を机の上に置き軽い会釈と「ありがとね」。
そして「この大きさって東山さんの体に障らないかな」と彼女は雫に耳打ちをし本店へ戻って行く。
プレゼント中の一際堂々とした見栄えの鉢植え。
雫はやっと気付く、西川がご機嫌だった理由を。
お礼を言われた後の彼女は、嬉しそうにしたり顔をしているように見えたからだ。
そうか、このプレゼントで自分を皆が見てくれていると分かっていたから送ったのだろう。
本店の方でも「さすが西川さん、やることお洒落だなぁ」や「アレ幾らくらい?」という蘭への会話が飛び交っている。
「あの蘭だけでも大変そうなのに」とプレゼントの山を軽くもう一度整頓し席に戻った雫。
社内用のメールを開き東山の名前を探した。
「なんか疲れちゃいました。今日は大盤振る舞いでタクシー使っちゃいます!!
だから一緒に乗って行ってください。もちろんプレゼントも」
東山は聞こえるか聞こえない程度の声で雫に呟いた。「うん、ありがと」
そして彼女がメールを閉じるためのカチリというマウスの操作音。
雫の耳にはいつも以上に大きく響いたのだった。




