第8話 家計の危機と、言霊を宿す漢字回路?
「終わったぁぁぁーーっ!!」
夕暮れ時のコトコト村。
広場の中央で、リナが両手を天高く突き上げ、思い切り背伸びをした。
その背後では、サオリが手際よく屋台の火を落とし、鉄板を磨き上げている。
二日目にしてさらに加熱した「三好家屋台」の熱狂は、用意したジャイアントボアの肉が底をつくまで止まらなかった。
三人は並んで夕闇の道を歩き、家へと向かう。
「ホントに、すごいな二人は……」
ぽつりと、ケン(三好賢治)が力なく呟いた。
「どうしたの、あなた? さっきから元気がないじゃない」
サオリが顔を覗き込むと、ケンはさらに肩を落とした。
「……だってさ。
リナは今日、薬草採取とジャイアントボアの討伐ボーナスで金貨約三枚(三万円)も稼いだだろ?
サオリに至っては、屋台の売り上げだけで金貨十枚(十万円)以上だ。それに比べて俺は……」
ケンはマジックバッグに入った数冊の古書と、さっき買ったばかりの回路用の粉末セットを見つめる。
「俺なんて、知識と道具を揃えるだけで金貨マイナス十枚だ。
一家の主なのに、一人だけ支出が凄まじいことになってる。
これじゃまるで、俺が二人の稼ぎで暮らしてるニートみたいじゃないか……」
「パパ、ニートって何? 新しいお肉の名前? 美味しいの?」
「リナ、お前は少しは言葉も覚えなさい。
……ニートっていうのは、働かずに飯を食う魔物のことだよ」
「えっ、パパ魔物になっちゃうの!? それは困る!」
リナの天然ボケに脱力しながらも、家に着いた三人はサオリの作った夕飯を囲んだ。
「ニートだなんて、何言ってるのよ。
あなたがいなきゃお風呂も沸かせないし、屋台だって作れなかったでしょ。
これは先行投資よ」
サオリの優しい言葉と、昨日作った特製露天風呂に浸かって少しだけ元気を取り戻したケンは、家族が寝静まった頃、庭に作った小屋の作業机に向かった。
「……よし、やるか」
ケンは机の上に『赤石粉』と『青石粉』、そして膠を混ぜたインクを並べた。
まずは基礎実験だ。
ケンは木の板の上に、赤石インクをつけた筆で一本の直線を引いた。
「(本には、線を細くすると魔力の淀みができて爆発する、と書いてあったが……)」
ケンは『精密工作』のスキルを発動させ、集中して魔力を流す。
驚くべきことに、ケンの筆先から生み出される線は、髪の毛よりも細いにもかかわらず、顕微鏡で見ても歪みがないほど均一だった。
赤石インク に魔力を送ってみる。
「……爆発は起きないな。なるほど、細いのが悪いんじゃない。
線が歪んで魔力の流れが滞るから爆発するんだ。
俺のスキルなら、超極細の精密回路が描けるぞ」
一つの発見に胸を躍らせながら、次は魔法陣の実験に移る。
ケンは青石インクを筆に浸し、コンパスを使ったかのように綺麗な円を描いた。
「(さて、ここからが本番だ。
このサークルの『線上』に、詠唱になる祈りの言葉を重ねて書くのがこの世界の基本らしい)」
ケンは古書の記述に従い、サークルの輪郭をなぞるように極小の文字を書き込んでいく。
〈天に在す至高の理よ、授かりし命と縁に感謝を捧げん。
願わくは御名の輝きを我が回路に宿し、天の理が成るごとく、地に事象を成したまえ… …〉
「どこの世界も、神様に祈る言葉は似たようなもんなんだな。
本によると神への感謝と許可を得る事で魔道具の効果を最大限に出来るらしい。
神様には実際会ってるし、感謝は誰よりもあるぞ。
……よし、これで外枠は完成だ」
サークルの線そのものが、びっしりと書き込まれた聖句で構成されている。
これ自体が魔力を安定させる「器」になるのだ。
そして、そのサークルの中心に、おこす事象……今回は「水を出す魔法」の詠唱を書き込んでいく。
「(こっちの言葉だと、水を出すだけでも随分と長くて難しいな。
まあ実験だし、まずはこの通りに書いてみるか)」
書く際に魔力を消費するが、神様から授かった『魔力強化』のおかげか、全く疲れを感じない。
ケンは魔法陣の起点に、ジャイアントボアの魔石をそっと置いた。
回路の「スイッチ」をオンにするイメージで魔力を流す。
――瞬間。
チョロチョロと、魔法陣の中心から水が湧き出してきた。
「おお……! 出た! 本当にミークラの赤石回路と同じだ!」
湧き出した水がそのまま青石のインクを濡らし、魔法陣を消し去ってしまったため、水はすぐに止まったが、確かな手応えだった。
「……成功だ。
だが、この長ったらしい詠唱と事象をいちいち書くのは効率が悪すぎる。
……待てよ、日本には『言霊』って言葉があったよな」
ケンは濡れた板を拭きながら、思考を巡らせる。 言葉には霊的な力が宿る。
だとしたら、何行にもわたるこの世界の詠唱を、その意味を凝縮した『漢字』一文字に書き換えられるのではないか。
「『漢字』そのものに事象の言霊を封じ込めて、回路に組み込む……。
もしそれができれば、この複雑な魔法陣をもっとコンパクトに、かつ強力にできるはずだ。
神様はこの事を言ってたのか」
ふと窓の外を見ると、二つの月は既に高く、かなりの深夜であることは間違いなかった。
「おっと……もうこんな時間か。
みんなもう寝てるな、俺もそろそろ寝るか」
ケンは、水に濡れて滲んだ魔法陣を片付けながら、二階の寝室へと向かった。 明日への課題は見えた。
次は漢字を使った言霊回路の実験だ。
一家の「支出担当」と思っていたパパの逆襲は、この小さな木の板の上から、本格的に始まろうとしていた。
こうして、三好家の異世界生活・実験初日は静かに幕を閉じた。




