第7話 魔道具屋と魔法回路、そしてリナの算数
三好家にとって、異世界での三度目の朝がやってきた。
キッチンでは、サオリが手際よくジャイアントボアの肉を仕込んでいる。
昨日の大繁盛を受けて、今日はさらに気合が入っているようだ。
「よし、今日はリナも手伝ってくれるし、昨日よりたくさん用意したわよ。
リナ、看板娘としてしっかり頑張ってね」
「任せてよママ! ジャイアントボアを仕留めた勇者の腕前、接客でも見せてあげるんだから!」
鼻息を荒くするリナを頼もしそうに見つめながら、ケンは自分のマジックバッグを確認した。
「俺は今日、昨日買った本の内容を確かめるために、必要な材料を買い出しに行ってくる。
……二人とも、無理はするなよ。特に行列がヤバくなったら、一旦店を閉めて休憩しろ」
「大丈夫よ。じゃあ、行ってくるわね!」
「パパ、夕飯までには帰るからねー!」
活気ある声と共に、二人は立派な屋台を引いて広場へと向かっていった。
静かになった家の中で、ケンは机の上に一つの石を置いた。
それは、昨日リナがジャイアントボアの肉を引き取った際、解体所の職員からもらったという「魔石」だった。
『お父さん、魔道具師なんだろ? だったらこれが必要になるはずだ。
ジャイアントボアの魔石だよ、あんたの娘さんの功績だからな』
そんな言葉と共に渡された魔石は、淡く光って透き通り、時折内側から鼓動のように光を放っている。
ケンは昨日買った古書を広げ、その記述と魔石を見比べた。
「……なるほどな。魔石はこの世界のエネルギー源。
日本で言うところの『電気』にあたるわけか」
本によれば、魔道具を作るには三つの要素が必要だという。
一つは、エネルギー源である**『魔石』。
二つ目は、魔石から魔力を引き出し、目的地まで導く道となる『レッドラズリ』。
三つ目は、その魔力を「どのような現象にするか」を命令する術式を描くための『ブルーラズリ』**。
これら二つの鉱石を粉状に砕き、膠という接着剤と混ぜてインクにし、特殊な筆で回路を描くのが魔道具製作の基本だという。
「……これって、リナと一緒にやってた『ミークラ』の赤石回路にそっくりじゃないか。
レッドラズリの粉末が赤石粉で、ブルーラズリが命令ブロックみたいなものか」
概念が理解できれば、あとは実践あるのみだ。
ケンは身なりを整え、材料の調達と「実物」を見るために、村の目抜き通りにある魔道具専門店へと向かった。
訪れた店の看板には、壊れたランプを直す手のマークが描かれていた。
カラン、と鈴を鳴らして中に入ると、店内には不思議な光を放つランプや、勝手に動くモップ、用途不明の不思議な歯車などが並んでいた。
「いらっしゃい。見ない顔だが、旅の者かえ?」
奥から出てきたのは、白髪を綺麗に整えた、物腰の柔らかいお爺さんだった。
ケンは一歩前に出ると、丁寧に頭を下げた。
「初めまして。最近この村に住み始めたケンと言います。
実は、魔道具師の端くれとして修業をしておりまして、本場の魔道具というものを勉強させていただけないかと思い、こちらを伺いました」
「ほう、魔道具師を目指しておるのか。この村には少ないからなぁ、歓迎するよ」
親切な店主のお爺さんは、新米の魔道具師を自称するケンを快く受け入れてくれた。
彼は実際に魔道具の内側を見せながら、詳しく解説してくれた。
「いいかね、レッドラズリで描く『線』の太さが重要なんじゃ。
細すぎれば魔力が詰まって暴発し、太すぎれば無駄に魔力を消費してしまう。
そしてブルーラズリで描く『魔法陣』、これが命じゃな。
代々伝わる図形を寸分違わず模写せねばならん」
ケンはお爺さんの説明を聞きながら、一つの確信を得ていた。
この世界の魔道具は、複雑な幾何学模様……いわゆる「魔法陣」を使って現象を起こしている。
しかし、それは何世代もかけて「こう描けばこう動く」と伝えられてきた、いわばテンプレートの使い回しに近い。
「(……成程、魔法陣を書くには中心に事象の命令を書いて、その周りに円を書いて円の上にに詠唱を書いて、魔石の力を使って発動させるんだな、発動のきっかけは使用者の魔力だな、よしこれなら作れるかも。)」
ケンは店主から、最高品質のレッドラズリとブルーラズリの粉末、そしてそれらを定着させるための膠、さらに極細の筆を数本購入した。
「よし、これで実験ができる。
お爺さん、ありがとうございました」
「頑張りなさい、若い魔道具師さん。
新しい発見があれば、また教えておくれよ」
店を出たケンは、早く家に戻って回路を描きたくて仕方がなかった。
「まずは、昨日作ったお風呂を自動で温める『温水器』からだな。
魔石に『湯』の回路を繋いで……」
そんなことを考えながら広場を通り抜けて帰ろうとした、その時だった。
「パパ~~ッ! 助けてぇぇ~~っ!!」
聞き覚えのある、けれど切実すぎる絶望の声が広場に響き渡った。
見れば、昨日以上の大行列ができているサオリの屋台の端で、リナが両手で頭を抱え、半泣きでしゃがみ込んでいた。
「どうしたリナ! 敵襲か!?」
ケンが慌てて駆け寄ると、リナは震える手で、客から渡された数枚の銅貨と銀貨を指差した。
「パパぁ……。もう無理、わかんないよぉ!
三枚で九枚で、お釣りが二枚で……あれ? 銀貨一枚渡されたら、銅貨は何枚返せばいいの!?
そもそも九枚に二枚足したら何枚なのぉ!?」
「…………は?」
ケンの足が止まった。
リナの目の前では、お腹を空かせた大男たちが
「おい、早くしてくれよ!」
「お釣り、計算まだか?」
とイライラしながら待っている。
「ちょっと待て、リナ。お前……九足す二がわかんないのか?」
「だってぇ! 緊張すると数字がぐるぐる回るんだもん!
暗算なんて日本にいた時から苦手だったし、異世界のコインは形も違うし……あーもう、爆発しそう!!」
ケンは深く、深いため息をついた。
世界を救うべき「勇者」が、まさかの足し算と引き算でパニックになり、あわや暴発寸前という惨状。
「(……そういえば、こいつ赤点八個だったな……)」
神様、加護を授けるなら身体能力だけじゃなく、最低限の算数能力もつけてやって欲しかったです――。
ケンは天を仰ぎ、手に持っていた魔道具の材料をマジックバッグに突っ込むと、エプロンを引っ張り出した。
「どけ、リナ! 交代だ! お前は肉を運ぶ係をやれ!」
「パパぁ……! 神様に見えるよ……!」
こうして、ケンの魔道具実験は、娘の「算数赤点問題」というあまりにも家庭的な理由で、再びお預けとなったのである。
三好家の平和な(?)異世界生活は、まだまだ計算通りにはいかないようだった。




