第5話 職人の目覚めと、広場の行列事件
コトコト村に、新しい朝が来た。
窓から差し込む朝日の眩しさに、ケン(三好賢治)はいつもより少し早めに目を覚ました。
隣ではサオリ(沙織)がまだ穏やかな寝息を立てている。
「よし、やるか」
ケンは静かにベッドを抜け出し、庭の空きスペースへと向かった。
今日、サオリが屋台を出すために、彼はどうしても作らなければならないものがあった。
ケンはマジックバッグの口を開き、昨日リナが聖剣でなぎ倒した巨木の丸太を取り出した。
「……それにしても、マジックバッグってどれだけ入るんだろうな?」
昨日、リナが勢いでなぎ倒した三本の大木。
そのうちデカい丸太を二本、丸ごと突っ込んでみたのだが、バッグは重くなることも膨らむこともなく、あっさりと飲み込んでしまった。
神様のサービス精神には、今更ながら驚かされる。
これなら、村一つ分の資材でも持ち運べるのではないだろうか。
ケンは『精密工作』のスキルを発動させた。
脳内に設計図が浮かび上がる。手のひらから伝わる魔力が、ノミや金槌を吸い付くように動かしていく。
「車輪はゴムがないから、木製を重ねて強度を出すか。
……よし、この軸受けの精度を上げれば、木だけでもスムーズに動くはずだ」
数時間後。
そこには、マジックバッグに入っていたテントの布を屋根にした、立派な移動式屋台が完成していた。
昨日の丸太から削り出された木肌は美しく、村の通りに置いても目を引くこと間違いなしの仕上がりだ。
「ケン、ご飯ができたわよ。リナを起こしてきてくれる?」
奥のキッチンからサオリの声が響いた。
料理の準備は万端のようだ。
ケンは二階へ上がり、まだ夢の中のリナを揺り動かした。
「リナ、起きろ。冒険者ギルドに行くんじゃないのか?」
「……うーん、あと五分……最強勇者は眠いの……」
「最強勇者が寝坊してどうする。ママが昨日獲った鹿肉のスープを作ってくれたぞ」
「! 食べる!!」
食欲には勝てない最強勇者を連れ、三人は食卓を囲んだ。
昨日の残り肉とは思えないほど、サオリの手によって洗練されたスープが胃に染み渡る。
「よし、行動開始だ」
朝食を終えた三人は、それぞれの持ち場へと向かう。
リナは「いってきまーす!」と元気よく冒険者ギルドへ駆け出していった。
ケンは完成したばかりの屋台の取っ手を握り、広場へと歩き出す。
「おお……身体強化のおかげで、全然重くないぞ!」
丸太をふんだんに使った重量級の屋台のはずだが、ケンの体感ではベビーカーを押している程度の重さしかない。
チート能力の便利さを噛み締めながら、サオリを連れて村の中央広場へと到着した。
「じゃあサオリ、準備頑張れよ」
「ええ。ケンも、いい本が見つかるといいわね」
サオリと別れたケンは、村の散策を開始した。
今日の彼の目的は、この世界の「知識」に触れること。
特に、魔道具師としての力を引き出すための「文字」と言語の調査だ。
「まずは、本屋か図書館だな……」
通りすがりの村人に尋ね、教えられたのは、村の外れにあるという古い古書店だった。
看板には、読めないはずなのに、神様の加護のおかげで『英知の鱗亭』と意味が理解できる不思議な文字が並んでいる。
カランカラン、と古びた鈴を鳴らして中に入ると、そこは天井まで届くほどの書架に埋め尽くされた空間だった。
埃の匂いと古い紙の匂いが、ケンの知的好奇心をくすぐる。
「……すいません。
少し、本を探したいのですが」
ケンの問いかけに、奥から顔を出したのは、瓶の底のような眼鏡をかけた偏屈そうな老人だった。
「……ほう、旅の者か。
この村で本を求める奴など、村長か教会の神父くらいなものだが」
「この世界の文字について、より深く学びたいんです。
特に、魔法道具、歴史や魔法に関わる古い文字に興味があります」
ケンは棚から一冊の本を手に取った。
そこには、幾何学的な模様のような文字が並んでいた。
「(これが、この世界の一般的な文字か。
……でも、神様が言っていた『漢字』はここにはないな)」
ケンはマジックバッグに入れていた、神様直伝の『魔法教本』を取り出し、店主から見えないようにこっそりとページをめくる。
そこには、幾何学的な模様のような文字が並んでいる。
こちらの言葉は象形文字に近い、まるで詠唱と実行の言葉自体が魔力を含んでいるように精緻に組み込まれている感じだ。
(神様は言っていた。
こちらの言葉は魔法回路の命令言語になる、と。だとしたら、これを術式に組み込めば、魔道具が作れるんじゃないか?)
本を読むと、ケンの読み通りこの世界の魔道具は、詠唱を刻んだり、魔方陣を彫ったりするのが主流のようだ。
ケンは店主に頼み、基礎的な語学書と、この世界の魔法の仕組みを解説した入門書、そして魔道具の基礎理論の本を数冊選んだ。
「これをもらうよ」
「……金貨5枚だ」
(……っ! 高いな……!)
日本円で約5万円。
中古の本数冊でこの値段だ。
この世界において、情報の価値がいかに高いかを思い知らされる。
しかし、ケンに迷いはなかった。
「……これもお風呂のためだ、しょうがない」
家族全員の悲願である「温かいお風呂」を実現するためには、熱制御の理論が不可欠だ。
ケンは震える手で金貨を支払い、貴重な本をマジックバッグへと収めた。
さて、家に帰ってさっそく勉強を始めよう。
そう思って広場を横切ろうとした、その時だった。
「ケン~~! 助けて~~っ!!」
聞き慣れた、けれど悲鳴に近いサオリの声が響いた。
ケンが慌てて声のする方――サオリの屋台の方を見ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
「な、なんだこれ……!?」
サオリの屋台を起点として、広場を蛇行するように、見たこともないような「長蛇の列」ができていたのだ。
並んでいるのは村人だけではない。
ガタイのいい冒険者から、買い物途中の主婦、さらには鼻をヒクヒクさせて並ぶ村の犬たちまで。
屋台からは、昨日リナが獲ったホーンディアの肉を燻製にし、さらにそれをサオリ特製のスパイスで炙り焼きにした、暴力的なまでに食欲をそそる香りが立ち上っている。
「ちょっと! おじさん押さないでよ!」
「うるせえ、俺はこの香りを嗅いだ瞬間から、これを食わなきゃ死ぬって決めたんだ!」
殺気立つほどの熱気。
その中心で、サオリは千手観音のような手つきで肉を焼き、袋に詰め、会計をこなしていたが、あまりの客数に完全にキャパシティをオーバーしていた。
「ケン! 早く! リナもまだ帰ってこないし、一人じゃ無理よ!」
振り向いたサオリの目は、半泣きだった。
どうやら、日本で修行を積んだ料理人の腕と、異世界の魔物の肉、そして神様印のスパイスが組み合わさった結果、初日から村の経済を揺るがすレベルの「大ヒット」を記録してしまったらしい。
「わ、わかった! 今行く!」
ケンは家で本を読む計画を即座に破棄し、エプロンを締め直して怒涛の行列へと飛び込んでいった。
魔道具の研究の前に、まずはこの飢えた村人たちを鎮めるのが先決だった。
三好家のコトコト村初仕事は、予想もしなかった大波乱の幕開けとなったのである。




