第1話 コトコト村の「ちょっと変わった」三好家
「カチリ」と、精密な金属音が静かな店内に響く。
そこは、緑豊かなコトコト村の端にある、少し変わった建物のなかだった。
一階に二つの店舗、二階が住居という造りは、この辺りの素朴な石造りの家々のなかではひときわ目を引く。
店主のケン(三好賢治)は、手元の作業台に置かれた「魔動バリカン」の最終調整に入っていた。
「よし、これでレッドラズリのラインが繋がった。
……ブルーラズリで『静』の字を書いたから、これで振動音も抑えられるはずだ」
ケンが手に持っているのは、元美容師としてのこだわりが詰まった逸品だ。
本来、この異世界には「髪を整える」という文化が希薄だった。
村人たちは伸びた髪をナイフで削いだり、あるいは伸び放題にしている。
そこにケンは、前世の知識と、神様から授かった「魔道具師」の力を注ぎ込んでいた。
ケンは立ち上がり、店内の大きな鏡を丁寧に拭き上げる。
店内は驚くほど清潔だ。
異世界には不釣り合いなほどピカピカに磨かれた大きな鏡が二枚。
その前には、座り心地を追求して自作した革張りの椅子が二脚、静かに出番を待っている。
壁の棚には、彼がレッドラズリとブルーラズリを駆使して作り上げた魔道具が並ぶ。
「レッドラズリで魔力の道を引き、ブルーラズリで書いた文字に命令を宿す」その独自の「漢字回路」は、この世界の魔法体系とは一線を画していた。
だが――。
「……ふぅ。今日も、美容師としてのお客さんはゼロ、か」
ケンは苦笑いしながら、鏡に映る自分を見つめた。
棚に並んだ「魔力を通すとお湯が出る蛇口」や「暗くなると灯るランプ」は、村人たちに大好評で飛ぶように売れる。
おかげで家計は潤っているのだが、本業であるはずのハサミを握る機会は、まだ家族以外に訪れていなかった。
すると、壁の向こう側から、暴力的なまでに食欲をそそる香りが漂ってきた。
クミン、コリアンダー、そしてピリッとした唐辛子の刺激。
「おっと、あっちが始まったな」
ケンは店先に『今忙しいので隣にいます』という張り紙を出し、隣の店舗への連絡扉をくぐった。
「あなた! 六番テーブルにこれお願い!」
「はいよ! お待たせ、『コカトリスのオムライス』だ!」
隣の店舗、『レストラン・サオリ』は、まさに戦場のような活気に包まれていた。
店主であり、ケンの妻であるサオリ(三好沙織)が、フライパンを鮮やかに振っている。
「四番テーブル、ビッグブルの牛カツカレー上がったわよ!」
「おーい、サオリさーん! 今日もこの『お米』ってやつ、大盛りで頼むよ!」
「はいはい、ガンツさん。あまり食べすぎるとお腹が出ちゃうわよ!」
客席は村人たちで満席だ。
もともとこの村の食事は、肉を焼くか野菜を煮るかという単純なものばかりだった。
そこにサオリが持ち込んだ「スパイス」と「出汁」、そして「米」という概念は、村人たちの味覚に革命を起こした。
特に、三好家の庭で大切に育てられているスパイスの苗――神様から貰った種から育ったそれらは、この世界にはない複雑な風味を料理に与えている。
ケンはエプロンを締め、手際よく注文を捌いていく。
「ケン、お水足りないよ!」
「わかってる、今補充する」
ケンが厨房の蛇口に魔力を籠める。そこには「魔石」が埋め込まれ、レッドラズリの回路が引かれている。蛇口の出口にはブルーラズリで『水』の一文字。複雑な詠唱など必要ない。魔直を籠めれば水が出る。その当たり前の光景は、三好家の生活を支える確かな技術だった。
「……ふぅ、落ち着いたわね」
ピークが過ぎ、サオリが額の汗を拭う。
「今日も大繁盛だったな、サオリ」
「ええ。でもね、あなた。あなたの魔道具を買った村の人たちが、『三好さんの家の蛇口にしたら、お皿洗いが楽になった』って喜んでたわよ」
「そうか……。まあ、魔道具師として役に立ってるなら、いいんだけどな」
そんな夫婦の会話を遮るように、表から凄まじい地響きが聞こえてきた。
「ただいまー! パパ、ママ、お腹すいたー!」
ドォォォォン!!
店の前に、何かが叩きつけられる衝撃音が響く。村人たちが驚いて外を覗くと、そこには十代後半の少女が、自分の背丈の5倍はある「アースベア」の巨体を担いで立っていた。
三好家の一人娘、リナ(三好莉奈)である。
「見てパパ、今日の獲物! これ、絶対脂が乗ってて美味しいよ!」
リナは「勇者」だ。かつて期末テストで赤点八個を取った少女は、今やこの辺りで一番の腕利き冒険者として知られている。
「リナ、またそんな大きなのを……。裏に運んでおきなさい。あとでお父さんが解体所に持って行くから」
「はーい! よいしょっと」
リナは勇者特有の身体強化をフルに使い、巨大な熊を軽々と裏庭へ運んでいく。その動きには一切の無駄がない。……もっとも、その力を洗濯物を一瞬で取り込むことや、重い荷物を片手で持つことにしか使わないのが、リナのリナたる所以なのだが。
その日の夜。二階の住居にあるリビングで、三人は食卓を囲んでいた。メニューはアースベアの照り焼きと、具沢山の味噌汁。
「リナ、明日からの遠征、これ持っていけよ」
ケンがテーブルに置いたのは、手のひらサイズの滑らかな魔石と、一対の革手袋だった。
「あ、これ! 前に言ってたバッテリー?」
「そうだ。無属性の魔石に『貯』の回路を組み込んだ。魔力が切れたら『出』の手袋で握れば、パーティーの魔法使いも一瞬で全回復だ。使ったらちゃんと『入』の手袋で充電しておけよ。これ一個で三回はフルチャージできるからな」
「すごーい! パパ、やっぱり天才じゃん!」
「勉強しなくていい代わりに、こういう道具の使い方はしっかり覚えろよ」
サオリが笑いながらサラダを取り分ける。
「でも、こうやって平和に暮らせるのって、本当に幸せね」
「本当だよ。勉強もしなくていいし、美味しいもの食べられるし」
「リナ、勉強はしなさいって言ってるでしょ。この魔導教本の詠唱、まだ半分も覚えてないじゃない」
「えー! だって暗記難しいんだもん!」
「「それはダメ!」」
夫婦のツッコミがハモり、リナが「ちぇー」と唇を尖らせる。
異世界に来て一年。トラックに突っ込まれ、死後の世界で奇妙なおじいさん――神様に会ったあの日から、三好家の運命は大きく変わった。
日本語の「漢字」が魔法の命令言語になり、元美容師の器用さが魔道具の回路を生み、元調理師の腕が村人の胃袋を掴み、勉強嫌いの娘が「勇者」の力で食材を狩ってくる。
「……あ、そういえばパパ。今日ギルドで聞いたんだけどさ」
リナが思い出したように箸を止めた。
「『魔王オルトロス』っていう凄く強い魔獣が現れたんだって。二つの頭を持ってて、すごく怖い咆哮を上げるらしいよ。ギルドの人たち、みんな真っ青になってた」
ケンとサオリは顔を見合わせた。
「魔王ねぇ……。まあ、王都の方ならともかく、こののどかな村までは来ないだろ」
「そうね。それより明日の仕込みの方が大事だわ。リナも遠征で疲れてるんだから、しっかり食べて早く寝なさい」
「はーい。……あーあ。もしシャンプーとリンスがここにいたら、このお肉、喜んで食べてくれただろうなぁ」
リナがぽつりと、今は亡き愛犬たちの名を呟く。
「そうだな。……あいつら、今頃どこか別の星で、元気に走り回ってるといいな」
ケンは窓の外に広がる、日本とは違う二つの月を見上げた。神様は言っていた。彼らはもう別の生を送っていると。今はただ、この空のどこかで、あの子たちが幸せに暮らしていることを願うばかりだ。
「さあ、明日は早いぞ。リナ、勇者の仕事もいいけど、魔導教本の予習も忘れるなよ」
「えー! 今から!? パパの鬼ー!」
笑い声が絶えない家。窓から漏れる温かな光は、静かな村の夜を優しく照らしていた。ちょっと変わった三好家の異世界生活は、まだ始まったばかりだった。




