【第9話】スキルのない新人に、俺が渡せるもの
月曜の午後、社内会議が終わったあとの雑談で、上司がこんなことを口にした。
「佐藤くん、最近よく坂本に相談してるみたいだな。いい傾向だ。頼れる先輩ってのは貴重だよ」
褒められた、というよりは、少し背筋が伸びた。
“頼られている”──そう言われるのは悪くない。
でも、ふと心に浮かんだ疑問があった。
(俺は、あいつに何か“渡せてる”んだろうか)
その日の夕方、佐藤くんが俺のデスクに来た。
慣れない顔で、ノートを広げながら言った。
「あの……もしよかったら、坂本先輩の“メモの取り方”とか、コツがあれば教えてもらえませんか?」
「え?」
意外だった。
そんなこと、考えたこともなかった。
「メモなんて、もうクセでしか書いてないけど……」
俺は自分のノートを見せた。
要点だけが箇条書きで並び、余白は多め。ところどころに自分用の記号が並んでいた。
「……これ、すごく読みやすいです。自分のはもう、文字の海で……」
「まあ、自分で後から見返す前提で、できるだけ“未来の自分にやさしく”って感じで書いてるかも」
そんな何気ない一言に、佐藤くんは目を丸くした。
「未来の自分に、やさしく……。それ、すごくいいですね」
その瞬間、はっとした。
俺は、たしかにスキルをいくつも持ってる。
でも、彼が“受け取った”のは、そのスキルじゃなかった。
【スキル反応:なし】
通知は鳴らない。
でも、それでいい。
休憩スペースに移動して、しばらく話を続けた。
「スキルとか、見えない能力があるような気がして、不安になるんです」
「自分には何もないから、差が開いていく気がして……」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
俺も昔、そう思ってた。
「できる人」には、見えない何かがあって、自分にはないと思っていた。
「……でもさ、“スキル”って、後から思い返して“あれが力だったのか”って気づくようなもんじゃないかな」
佐藤くんは黙ってうなずいた。
「だから、今は“姿勢”を覚えるだけでいいよ。結果よりも、目の前の人の話をちゃんと聞くとか、納得いくまで考えるとか……」
「……はい。そうします」
その夜、自宅でスマホを見た。
今日は通知が一度も来なかった。
でも、何の焦りもなかった。
(今日は“スキルを渡す日”じゃなかった。渡すのは、自分の中にある“考え方”だった)
それは数値でも、レベルでもない。
でも、確かにそこにあって、誰かに伝わるものだった。
「……俺も、少しずつ“教える側”になってるのかもな」
スキルを見せびらかすんじゃなくて、
“ない人にどう届くか”を考えられるようになってきた。
それはきっと、“卒業”の準備の一歩だ。