【第12話(最終話)】ここからは、自分で選ぶだけ
日差しが柔らかくて、空気が少しだけ夏の匂いをまとっていた。
日曜日の午前10時。
アラームなしで自然に目が覚めて、カーテンを開けて、伸びをひとつ。
スマホは机の上に置いたまま。
もう、通知を見る習慣はない。
トーストにバターを塗って、いつものようにコーヒーを淹れる。
食卓に座って、ゆっくりと口に運びながら、ふと窓の外に目をやる。
公園に向かう親子連れ、散歩中の犬、ベランダに洗濯物を干す人。
世界は相変わらず、静かに回っている。
何も特別なことは起きていない。
でも──そのことが、ただうれしかった。
朝食を終えて、手帳を開く。
まだ数ページしか使っていないが、それでも書き慣れてきた。
◎6月8日(日)
・天気:晴れ
・朝からコーヒーが美味しかった
・洗濯をして、部屋を少しだけ片付けた
・今日は、どこに行こうか考え中
そこでペンを止めた。
“考え中”という言葉の後ろに、ぽっかりとした空白がある。
でもその空白は、以前のように不安ではなく、ただの“余白”だった。
(今日は、どこに行ってもいい)
誰かに言われたわけでもない。
アプリが提案したわけでもない。
通知が知らせてきたわけでもない。
──自分で、決めていい。
リュックに水筒と本を入れて、玄関のドアを開けた。
風が少し強かったが、気持ちいい空だった。
目的地は決めていない。
電車に乗って、降りたい駅で降りて、歩きたい道を歩く。
そんな日があっても、いい。
午後、古本屋で気になった短編集を買った。
隣のカフェでページをめくる。
登場人物のひとりが、こんなセリフを言っていた。
「選択ってのはな、どれを選ぶかじゃない。“自分で選ぶ”ってことが一番大事なんだよ」
思わず、笑ってしまった。
まるで、今の自分に向けられた言葉みたいだった。
日が傾き、家に戻る。
夕飯は冷蔵庫の残りもので済ませて、食器を洗い終えたころには、夜の風が吹いていた。
手帳に、今日のことを簡単に記す。
・行き先を決めずに歩いた
・古本屋で良い本に出会えた
・今日は、特に“通知”がなくてよかった
スマホを開く。通知は、やっぱり来ていなかった。
でもその画面を見て、ふっと思った。
「……ありがとう」
あの頃、あの通知に導かれて、少しずつ世界が見えるようになった。
行動が変わって、心が変わって、自分が変わった。
でも、もうその補助輪はいらない。
スマホを伏せて、灯りを消す。
深呼吸をひとつして、ベッドに入る。
明日、何が起こるかなんてわからない。
でも、わからないからこそ、自分で選ぶ。
それが“今の自分”にできる、いちばん自然な生き方だと思えた。
静かな夜に、こんな言葉が浮かんだ。
「レベルもスキルも、もう見えない。
でも、ここから先は──全部、自分で選んでいく。」
それは、かつて憧れた“チート”よりも、ずっと確かな力だった。