【第10話】通知のない日々は、案外、心地よかった
今週、スマホから“あの通知音”は一度も鳴っていない。
生活経験値も、スキル熟練度も、新しいレベルも──何ひとつ変わっていない。
なのに、俺はなんだか、ずっと落ち着いている。
朝。目覚ましのアラームが鳴る前に目が覚めた。
枕元のスマホには、当たり前の天気通知だけ。
(ああ、今日も“いつも通り”か)
少しだけ伸びをして、ゆっくりベッドから起きる。
コーヒーを淹れて、窓際でぼんやり空を見る。
特に特別な予定もない。ただ仕事があるだけの日。
でも、どこかで「それで十分だ」と思えるようになっていた。
出勤中の電車。
吊り広告を眺めたり、周りの人たちの様子をぼんやり観察したり。
ある女性が小さく咳をして、近くの人がさっと身体を少しだけずらした。
その動きがなんだか、妙に優しく見えた。
(ああ……こういうの、前より“見える”ようになったんだな)
でも、スマホは無言のまま。
会社では、いつも通り業務をこなす。
困ってる後輩がいれば声をかけ、頼まれた資料は淡々と仕上げる。
上司に軽く褒められても、過剰にうれしいとは思わなかった。
それより、昼食を食べながらぼーっと空を見上げている時間の方が、よほど豊かに感じた。
夜。家に帰ってシャワーを浴び、さっぱりした気持ちでリビングに戻る。
食事も洗い物も済ませ、ソファでひと息ついたとき──
スマホを手に取って、画面を確認した。
通知は、やっぱりなかった。
「……なくても、ぜんぜん困らないな」
ポツリと口に出す。
少し前までは、経験値が入るのがうれしかった。
レベルアップすれば、“自分が前に進んでる”気がした。
スキルを得れば、“何者かになれた”ような気がした。
でも、今は──
経験値が増えなくても、自分がどれだけ人と丁寧に接したかはわかる。
レベルが上がらなくても、朝にスヌーズを使わなかったことがちょっとうれしい。
スキルがなくても、今日は自分でちゃんと「やること」と「やらないこと」を選べた。
(スキルは、もう“自分の一部”になったのかもしれないな)
そう思ったとき、スマホの通知をONにしてる必要があるのかすら、よくわからなくなってきた。
通知が来ない。
でも、生活は、ちゃんと回っている。
誰かと笑い、仕事をこなし、ちゃんと疲れて、夜は静かに眠る。
何も起きない1日が、ただそこにあって、満ちていた。
その晩、スマホをそっと伏せて、照明を落とした。
静かな部屋。
聞こえるのは、外の風の音と、自分の深呼吸だけ。
不意に、ひとつだけ思いが浮かぶ。
「……“生活レベル”って、もしかして“通知が要らなくなること”が、最高の状態なのかもな」
思えば、ゲームじゃないんだ。
人生に「レベル表示」はない方が自然だ。
でも、それでも前に進んでるって、自分でわかっている。
──そう思えたら、きっともう、大丈夫なんだろう。