追放テイマー、ヒモ男キラーにテイムされて甘やかされたら、いつのまにか最強になっていた
ジャイアントベアの鋭い爪を持った前腕が振り下ろされる。
その真下にいたアストレアは突然の状況に理解が追い付かないのか、迫りくる前腕を見上げたまま、杖を抱きしめるようにして固まっていた。
「危ないッ!」
気が付けば、俺は自分の役割も忘れて走り出していた。
本来、後衛のアストレアにヘイトは向かないはずだった。前衛である剣士のベレロフォンと盗賊のカストゥラがヘイト管理を受け持っていたからだ。
ところが、冬ごもり前のジャイアントベアは気性が荒く、二人の攻撃は先ほどから全く当たらなくなっていた。そのため、アストレアにヘイトが向いてしまったのだ。
「スキュータム!」
まずは、アストレアの前に壁をつくる。だが、これはほんの気休め程度にしかならない。ジャイアントベアの腕のひと振りでガラスのように割れてしまうだろう。
俺の魔力量は他の冒険者に比べて極端に少なかった。もしかしたら、生活魔法しか使わないような一般人にも負けてしまうかもしれない。
だから、今まで鍛えてきた。普通なら、自分の属性の魔法しか使えないところをどんな属性の魔法でも使えるように。俺には誰よりも多くの魔法を扱える自信がある。
「ピクシス!」
防御魔法によってできた一瞬の隙を利用して、アストレアに転移魔法をかける。アストレアの位置が二歩ほど右にズレた。
「きゃっ」
しかし、距離が足りず、アストレアの肩に長い爪が掠める。服が破けて、赤く染まった。
「くそッ」
悔しがっている暇はない。まだアストレアにヘイトは向いたままだ。
こちらにヘイトを向けさせなければ、次こそ直撃してしまうだろう。
「グラキエス・サギッタ!」
ジャイアントベアの横腹に氷の矢が何本か当たる。硬い皮膚にダメージを与えられるほどのものではないが、俺にヘイトを向けさせるには十分だ。
「こっちだ! こっちにこい!」
ジャイアントベアが大きな咆哮を上げた。俺に向かって突進してくる。
もう魔力は底を突いていた。自分を守ろうにも手段がない。
追い付かれるかと覚悟を決めたとき、ベレロフォンとカストゥラがジャイアントベアを挟み込むのが見えた。すかさず、二人の攻撃がジャイアントベアを襲う。
アストレアや俺への攻撃は最後のあがきだったのかもしれない。ジャイアントベアは大きくのけぞると、地を揺らして倒れた。
俺たちのパーティーはやっとのことでジャイアントベアを討伐した。
***
しばらくの間、俺は倒れたジャイアントベアを見ながら、息を整えていた。
落ち着いてくると、周りで戦わせていた使役魔獣たちのことを思い出す。戻ってくるように呼びかければ、我先にと俺のもとへ帰ってきた。
「ほったらかしにしてごめんな。夕飯には大好物をやろうな」
元気な飛び付きや毛並み豊かな頬ずりを受けながら、俺は辺りを見回す。最後に見たときと全く変わらない場所でアストレアは立ちすくんでいた。
俺は使役魔獣たちにその場で待機するよう指示を出し、アストレアに駆け寄る。声をかけると、ハッとしたように俺を見た。髪色と同じ、静かな深緑色の瞳が揺れている。
「すまない。俺の魔法が弱いばかりに怪我をさせてしまった。手当てするから、傷口を見せてほしい」
アストレアはおもむろに腕を差し出したが、手当てするうちに意識がはっきりしてきたのか、小さな声で俺の名前を呼んだ。目線をアストレアの顔まで上げる。
「あのっ、さっきはありが――」
「アルレシャ!」
いきなり大声で呼ばれて、反射的に肩が跳ね上がった。振り返ると、金髪碧眼の剣士――ベレロフォンが口元に笑みをたたえて、こちらを見ている。
「戦闘中、君は僕にどんな仕事を与えられていたんだっけ?」
「……仲間の回復や集まってくる低級討伐などの後方しえ――」
「そうだよね。じゃあ、それを指示した僕はこのパーティーの何?」
「リーダーだ」
「そうだよねぇ! なんで君はいつもいつもリーダーの指示を無視するのかなぁ」
返す言葉もない。俺は日頃からよくベレロフォンに注意されていた。
数種類の魔法を組み合わせる鍛錬をしていたら、クエストに響くと止められたこと、報酬を考慮してクエスト以上のことをしたら、仲間を危険に晒すつもりかと叱られたこと……。
数々の場面が脳裏に浮かんでくる。
今日だって、ベレロフォンにはベレロフォンなりの作戦があったのかもしれない。それをリーダーでもない、一介のテイマーが出しゃばった。
自分のしたことに後悔はないが、意思疎通は図るべきだっただろう。
「悪かった。次からは――」
「どうやら君とはここでお別れのようだね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。脳が理解を拒んでいた。
しかし、徐々に頭は整理されていく。
つまり、俺はパーティーからの追放を言い渡されたのだ。
「リーダーの言うことも聞けない奴はこのパーティーにはいらないんだよ」
ベレロフォンの言葉が辺りに冷たく響く。
「アルレシャってサイッテー! せっかく心優しいフォン様が、どこのパーティーにも入れてもらえないアンタを拾ってくれたのに。恩を仇で返すなんて!」
長い赤茶色の髪を後ろで結んだ盗賊――カストゥラはいつも通りベレロフォンに同調した。
「庇ってくれてありがとう、トゥーラ。でも、僕のことはもういいんだよ。それより、他の冒険者のことが心配だ。こんな役立たずをパーティーに引き入れてしまったら、クエストの成功が困難になるだろうからね。後で忠告しておいてあげないと」
「やっぱり、フォン様は心優しいお方だわ」
ベレロフォンはカストゥラに微笑みかけると、アストレアのほうを見た。
「そういえば、レイア」
「は、はいっ」
「この前、アルレシャの使役している魔獣が欲しいって言ってたよね」
「い、いえ、私はそのようなこと――」
「言ってたよねッ?」
「ッ! い、言いました……」
怒鳴られたアストレアが肩をすくめる。心なしか声も震えているように聞こえた。
糾弾されている立場とはいえ、さすがにこれは見過ごせない。俺はベレロフォンを睨むように見返した。が、目の前には手のひらが差し出されていて、俺は拍子抜けする。
「何してるの? まさか、こんなことも理解できないとは言わないよね?」
使役魔獣を全てよこせ。ベレロフォンの顔にはその言葉とともに嘲笑の色がありありと浮かんでいた。
***
「永従の契りを結んでないのはこれだけか。まぁ、そんなお荷物は元からいらないけど」
ベレロフォンが俺から奪った使役魔獣たちを撫でながら言う。
一方、手元に残った唯一の使役魔獣――相棒のルスタスが煽られたことに気付いて唸りを上げた。ビリビリと体に電気を帯びさせて、今にもベレロフォンに飛び付きそうな勢いだ。
「よせ、ルスタス」
俺が止めると、ルスタスは耳を倒して申し訳なさそうに俺を見上げた。それから、足の間に擦り寄ってくる。
それを見て、ベレロフォンは満足そうに笑った。
「役立たず同士、周りの人に迷惑をかける前に野垂れ死んでよ」
そう吐き捨てて去っていく。カストゥラが跳ねるような小走りでそれに続いた。
アストレアは俺とベレロフォンを交互に見比べて、何か言おうとしていたが、やがて諦めたようにベレロフォンの背中を追った。
使役魔獣たちは何度も振り返って、取り残された俺のことを不思議そうに見ていた。
「……今まで世話になった」
誰からも返事はない。ただ、ベレロフォンの舌打ちだけは俺の耳へと確かに届いた。
***
一心不乱に薬草へ鎌を当てていく。そうでもしないと、どす黒い感情に支配されてしまいそうだった。
ベレロフォンはどうやら本当に俺のことを役立たずだと言って回ったらしい。それだけならまだしも、ありもしない噂を流されたため、ギルドのどこにも俺の居場所はなかった。
そうして、当の本人はというと、もっと大きなクエストを受けるために、仲間とともに別の町へ移ってしまったらしかった。
俺は今、薬草採取のクエストを一人で受けている。使役魔獣は戦闘に向かないルスタスのみだし、俺の実力ではジャイアントベアどころか、ゴブリンすら倒せない。
突然、背中に軽い衝突を受けて後ろを向く。ルスタスが俺の背中に頭を擦り付けていた。
もしかしたら、手の止まってしまっていた俺を咎めにきたのかもしれない。
「一から頑張ろうって決めたばかりだったな。気付かせてくれてありがとう、ルスタス」
あごの下を撫ででやると、ルスタスは機嫌よさそうに喉を鳴らした。
「俺はお前が側にいてくれるだけで救われているよ」
ルスタスとはもう十年の付き合いになる。当時六歳だった俺が、遊びに入った森の中で瀕死の大怪我をしているルスタスを見つけた。
本当にひどい怪我だった。尻尾は根元から切れており、背中には大きな穴が開いていた。後ろ脚はぐちゃぐちゃになって、原形を留めていなかった。
俺は服が汚れるのも構わず、急いでルスタスを家に連れて帰った。
ルスタスは母の回復魔法でなんとか一命を取り留め、切断するしかなかった脚も祖父のつくった魔力を込めた義足を使えば、走り回れるようになるまで回復した。
それ以来、ずっと一緒にいる。永従の契り――一生、俺に従い、俺が死ぬときにはともに死ぬことを誓う契約は、俺が十歳になる年に結ばれた。ルスタスの額にはそのことを示す紋章が刻まれている。
ルスタスは正体不明の雷属性魔獣なのだが、見た目上は少し大きいただの白猫だ。
目を引くのは瞳の色くらいだろう。中央はサファイアのような青をしていて、外側へ行くにつれて黄色にグラデーションしている。
ルスタスは十年前から大きくなることも、姿形が変わることもなく、大きい魔法は少しも使えない。だから、ベレロフォンの言った「お荷物」の意味が分からないでもなかった。きっと、誰だってそう思うのだろう。
そして、そう思われているのは俺も同じだ。
「役立たず同士、か」
目を閉じて気持ちよさそうに撫でられていたルスタスが、耳だけ動かして反応する。
俺が冒険者になったのは祖父や父の影響だった。役立たずではない、優れた祖父や父の。
二人とも若い頃は今の俺と同じように冒険者をしていたという。
祖父はその昔、地方一帯を支配していた強力なドラゴンを封印し、その功績に莫大な土地をもらっている。俺たち家族の家はその土地に建っていて、農作物を売ることで生活してきた。
父は祖父のような功績を残したわけではなかったが、冒険の途中で母と出会ったらしい。
俺は祖父や父の目に見える成果に憧れているわけではない。
家には時々、冒険者時代の祖父に助けてもらったという人が訪ねてきた。普段はのんびりとした性格の祖父がそのときばかりは凛々しく見えたのを今でもはっきりと覚えている。
父に命を救われたという母は昔の父のことを語るとき、俺に向けるのとはまた違う優しい顔をしていた。
祖父や父は誰かのために戦った、俺の憧れの冒険者だ。俺はその憧れに少しでも近づきたい。
魔力量の少ない俺が冒険者になると言い出したことで家族にはたくさん心配をかけた。それでも、最後は快く送り出してくれた家族を安心させてあげたい。喜ばせてあげたい。
じゃあ、ここでクヨクヨしている暇はないだろう。これまで通り地道にやっていくしかない。
俺は鎌を握る手に力を込めた。ルスタスのあごにあった手も薬草のほうへと伸ばす。
――そのときだった。俺の腕で誰かの足を引っかけてしまったのは。
「うわぁっ」
ザザザッと草むらを滑って、その人物がうつ伏せの状態で止まる。駆け寄ると、彼女はゆっくりと上体を起こした。
「だ、大丈夫か? 俺のせいで申しわけ――」
紫がかった綺麗な銀髪が風にそよぐ。野いちごのような赤い瞳と目が合った。
「逃げて!」
瞬間、手首を掴まれて走り出される。鎌が手から滑り落ちた。
「お、おい! いきなりどうしたんだ!」
彼女は答えない。というより、俺の声が届いていないみたいだ。ただ前を向いて、息を切らしながら走っている。
俺はルスタスを呼び寄せるので精一杯だ。何が起こっているのか、さっぱり分からない。
「何があったのか教え――」
事情を訊こうとして気付いた。取り囲むように周りを無数の影が走っている。
大きな三角形の耳。口から覗く鋭い牙。木の根でできた地面の起伏を物ともしない強靭な脚。
人を好物とする凶悪な狼型魔獣――テーリオンの群れだ。ざっと見るかぎり、五頭はいる。
この辺りでは滅多に出くわさないはずだった。戦う準備もしていなければ、俺が倒せるような相手でもない。
よく見れば、彼女も冒険者らしい装備を全く身に着けていなかった。もしかすると、この辺りに住んでいる一般人なのかもしれない。
魔物がうろつく森の中になぜ? そんなことをいちいち訊いている余裕はない。
一頭のテーリオンが今にも脇腹へ噛み付こうとしてくる。
「フランマ!」
手のひらから炎を出すと、テーリオンは後退した。が、反対側のテーリオンが隙を突いて肩に噛み付こうとする。俺は体をすばやくひねって、そいつに手のひらを向けた。
「スコルピウス!」
毒の針がテーリオンの片目に直撃する。テーリオンはキャインと甲高く鳴いて走り去った。
安心したのも束の間、前を走っていた彼女が急に止まる。ぶつかった小さな背中が微かに震えていた。何か悪い予感がする。
顔を上げると、ほんの二十メートルほど先にテーリオンが立っていた。後ろへ下がろうにも、追ってきていたテーリオンたちがいる。
もう一度、炎を立てようかと思ったが、これだけの数を怖がらせるほどの炎は魔力量的に無理がある。非力なルスタスを戦わせるわけにもいかない。
そうこうしているうちにテーリオンたちの円はどんどん小さくなっていく。目と鼻の先まで近づいてきたとき、一頭のテーリオンが口を開けた。そのまま飛びかかってくる。
せめて、彼女だけでも……! 俺は彼女を抱き寄せ、鋭い歯の並ぶ口に手を伸ばす。
そのとき、彼女が俺の胸の中で大きく息を吸うのが分かった。
「来ないでぇぇ!」
途端、テーリオンのすぐ下から木の幹ほどはありそうな、いばらが勢いよく生えてくる。串刺しになったテーリオンは細かく痙攣したかと思うと、じきに動かなくなった。
***
他のテーリオンたちが去って、辺りが静かになった後で、俺たちは軽い自己紹介をした。
彼女はエイプリルと名乗った。近くの町に住む商人の娘で、やはり冒険者ではなかった。
「冒険者でもないのに、どうしてこんな危険な森の中へ?」
エイプリルは言いづらそうに下を向いたが、やがて覚悟を決めたように口を開く。
「……私、魔法がうまく使えないの」
「テーリオンを一撃で倒したのに、か?」
「あれは偶然。昔から魔力量だけは誰にも負けないんだけど、それを使いこなせなくて。テイムさえできないの。テイムなんて、子供でもできる初歩中の初歩の魔法でしょ? どうしてもできるようになりたかった。テイムされる魔獣はその人の魔力量に比例することが多いって聞いて、もしかすると強い魔獣ならって」
「それでテーリオンを」
エイプリルは静かにうなずく。
「でも、駄目だった。テーリオンを怒らせて、仲間まで呼ばれちゃうし。挙句の果てにはアルレ君を巻き込んじゃった」
エイプリルがまた下を向く。泣いているのか、肩と声が震えていた。けれど、すぐに手で目を拭うと、俺の顔を見上げる。
「助けてくれてありがとう。アルレ君がいなかったら、私は今頃、テーリオンのお腹の中だよ」
冗談めかして笑うエイプリルの目元には涙が光っていた。
「……救われたのは俺のほうだ」
肉体的にも、精神的にも。ありがとうなんて久しぶりに言われた。
「町まで送っていこう」
俺たちは森を抜けるために歩き出す。かなりの距離を走ってきてしまったようで、現在位置が分からなくなっていた。
まずは見晴らしのいい場所に出て、探知魔法を使う必要があるかもしれない。
時間がかかるかと思ったが、目の前の藪を抜けると、すぐそこが見晴らしのいい場所になっていた。森全体を見渡せるような高台で、数歩先は崖になっている。
おかしい。俺はある違和感を覚える。
あまりにも都合が良すぎだ。これではまるで何者かに誘い込まれたような……。
そのとき、背後で葉の揺れる音がした。
「ッ!」
瞬間的にエイプリルを抱き寄せ、崖側へ跳ね退く。牙がすんでのところで腹を掠めた。
「なんで……」
状況を理解したエイプリルが言葉を失う。
藪から現れたのはテーリオンだった。先ほどよりも数が増えている。
頭のいい魔獣だとは聞いていたが、ここまでとは。さらには執念深いときた。
テーリオンはゆっくりとした足取りで近づいてくる。追い詰められた崖から小石が落ちていくのが見えた。この高さ、俺たちが落ちれば確実に死ぬ。
俺はテーリオンたちを睨んだまま、ルスタスを抱きかかえた。
「エイプリル、さっきみたいに植物を生やすことはできるか? なるだけクッション性の高いような――」
そこまで言うと、俺が何を言いたいか分かったらしい。エイプリルがすごい勢いで否定する。
「無理だよ! コントロールできない。もし、さっきみたいなのが生えちゃったら……!」
「分かってる。だけど、これしか方法がない。俺もサポートするから、頼む」
横目でエイプリルを見ると、不安げに見つめ返してきた。が、ほどなくして、前を見据える。
「……やってみる」
俺はその声と同時に、エイプリルの腰へ手を回す。次の瞬間には宙に浮いていた。
俺たちの体は真っ逆さまに落ちていく。
「グルース!」
本来は空を飛ぶ魔法だが、そこまでの浮力はない。けれど、少しは落下スピードを緩められるだろう。
「エイプリル! 今だ!」
「グランデ・リリウム!」
エイプリルが叫ぶと、人一人は余裕で包んでしまえるほどの大きな白い百合が花開いた。甘い香りが辺りに広がる。
数多くの魔法を習得してきた俺でも初めて見る魔法だった。
輝くような美しさに見惚れているうちに地面へ着く。
百合の花は無事にクッションの役割を果たしたようだ。しかし、さすがに一人と一匹を庇っての受け身はまずかったらしい。
ゴッと鈍い音が耳の奥からして、俺は意識を失った。
***
暖かい。俺は春の陽だまりで昼寝をしているような暖かさを感じて、目を覚ました。
目を開けて初めに飛び込んできたのは黒い点だ。視界がはっきりしてくると、それが右肩の鎖骨辺りにあるほくろだと認識される。
そのまま視点を上に移動させると、見覚えのある顔とぶつかった。
「目、覚めた? どこか痛いところはない?」
そう言って微笑みかけてくる。――エイプリルだった。
俺はぼんやりとした頭でうなずく。
「良かった……頭を強く打ったみたいだったから、一時はどうなることかと……」
頭を強く……? そう聞いて、崖の上から飛び降りたことを思い出す。
俺はエイプリルやルスタスを残して、のんきに気を失ってしまっていたのだ。周りの安全も確認できていないというのに。
「まだ起き上がっちゃダメ。回復魔法をかけてる最中だから、今は安静に、ね?」
頭を浮かすとエイプリルから制される。しぶしぶ元の位置に頭を戻した。
体勢から察するに、俺はエイプリルの膝の上に寝かせられているのだろう。初めての感覚に体中がムズムズする。
「私とルス坊なら無事だから」
エイプリルがあごで示したほうに顔を向けると、ルスタスがちょこんと座って俺を見ていた。手を伸ばせば、顔を擦り付けてくる。
こうしてされるがままにしていると、エイプリルが自分の不甲斐なさを泣いていた人物とは別人のように見えた。いや、中身は同じなのだけれど、俺が寝ている間に何年も経ってしまっていたような、そんな錯覚を起こさせる感じだ。
いつのまにか魔法を安定して使えているからだろうか。それもなんだかしっくりこない。
「実はアルレ君に伝えなきゃいけないことが二つあります」
エイプリルが改まった調子で言う。ちょうど彼女のことを考えていたため、ドキッとした。
「まずは一つ目。私、崖から落ちたときに前世のことを思い出したみたい」
なるほど。エイプリルに対して抱いた違和感の正体はこれだったのか。
――転生者。昔、パーティー内に転生者がいたという祖父から聞いたことがある。
彼らはギフトと呼ばれる膨大な魔力量と前世に由来するユニークスキルを持っている、と。
そのときは半信半疑で聞いていたが、まさか本当に存在するとは。
「じゃあ、自分が持っているユニークスキルにも気が付いたのか」
「それが二つ目の伝えたいことに関係しているの。といっても、気付いたときにはすでにスキルが発動しちゃっててね、たぶん、手遅れ――見てもらったほうが早いかな」
何か言いかけていたような気がするが、聞かなかったことにする。
エイプリルは手で丸をつくると、俺の顔先に差し出した。輪っかの内側が鏡になっている。
「おでこ、見て?」
短髪のため、常に額は出ている。だから、指示されなくても分かった。
「なッ⁉」
六年来、これを見ない日は一度もない。――ルスタスの額に刻まれたものと同じ種類の紋章が俺の額にも刻まれていた。
エイプリルが身を乗り出して、俺に迫ってくる。今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「私、一生、アルレ君のこと離してあげられないかも……っ!」
その日の薬草採取のクエストは失敗に終わった。
***
日が昇るにはまだ早い時間、白み始めた空ではもう鳥が鳴いている。
俺は魔導書を閉じて近くの木に立てかけた。魔力が尽きてしまったため、回復するまで時間を置く必要がある。
地面には俺の練習の跡がいくつも残っていた。ルスタスは興味深そうに、それらへ鼻を近づけている。
質は悪くない。あとは魔力量という威力さえあれば。日々の鍛錬の中でそう思わない日はない。そしてその度に、そんな考えは捨てようとさらなる鍛錬を積んできた。
「お疲れ様」
突然、後ろから声をかけられて振り返る。タオルとコップを持ったエイプリルが立っていた。
「できるだけ宿から離れたつもりだったんだが……起こしたか?」
「ううん、そうじゃないから気にしないで。実はあんまり寝られなくて窓の外を眺めてたら、アルレ君が見えてね、せっかくだし起きてきちゃった」
エイプリルが苦笑いを浮かべながら言う。旅に慣れていないため、初めて泊まる宿というものに寝付けなかったのかもしれない。
俺たちが「主従関係」になってしまった日から二週間が経過していた。
エイプリルは今、永従の契りを破棄する方法を探るため、俺と旅している。今朝はこの町で迎える最初の朝だ。
互いの意思とは反して結ばれた永従の契り。しかも、人間の俺がテイムされているというのはいろいろとマズいのではないか。二人の間ではそう結論付けられ、俺たちの関係は周りには隠すことにしている。
そのため、俺は常にターバンを巻くことにしたし、エイプリルはテイマーではなく、魔法使いとしてギルドへ登録することにした。これでテイマーと魔法使いのコンビにしか見えない。
「いつもこうやって練習してるの?」
エイプリルがタオルとコップを差し出しながら訊いてくる。俺は礼を言いつつ、それらを受けとってから答えた。
「ああ。冒険者を目指し始めたときからの日課なんだ」
「どうりで。属性関係なく魔法を使える技術があって、どの場面にどの魔法が適しているか考えられる頭の良さがあって、コツコツ努力できる性格の良さもある……アルレ君はすごいね。やっぱりかっこいい!」
エイプリルは目を細めて、俺の顔を覗き込んでくる。
前世の記憶があるとはいえ、二歳しか変わらない俺のことを幼い子供か何かだと思っていそうなのは理解できない。もっと不思議なのは、そうして褒められて嫌な気はしない自分自身だ。
エイプリルはふんわりとした髪を耳にかけながら続ける。その横顔が少し寂しそうに見えた。
「だからさ、そんなかっこいいアルレ君だからさ、私、足手まといになってないかな」
そうか。俺はようやく気付いた。エイプリルはこの前のことをまだ気にしていたのだ。
それは二人で初めて受けたクエストでの出来事。依頼内容は町の近くに増えてしまった低級の魔物を数十体ほど討伐してきてほしいというものだった。
魔力量が少なく、威力のない俺には近接攻撃のほうが向いている。そのときも躊躇なく魔物に向かっていった。それがエイプリルの目には危険に映ったのだろう。
『アルレ君! やめて!』
使役されているものはテイマーの命令に必ず従ってしまう。命令を拒否することは絶対にできない。
魔物の前で動けなくなった俺は攻撃を受け、怪我を負った。
『こんなこと、もう二度としないって約束するから!』
怪我をすることはパーティーに所属していたときからよくあった。だから、俺にとってはたいしたことでもない。
そう説明しても、エイプリルは俺の手当てをしながら泣いてくれた。あの日のエイプリルが鮮明に思い浮かぶ。
今日は二回目のクエストを受ける予定だった。それに対する不安もエイプリルがなかなか寝付けなかった原因のひとつなのかもしれない。
「この前のことなら、もう気にしないでくれ。あれは俺の責任でもある」
エイプリルには俺の魔力のことを話していなかった。がっかりされるのが怖かったからだ。
でも、いつまでも話さないなんて卑怯な真似はできない。俺は意を決して口を開いた。
「ああやって捨て身で攻撃するしかないことを伝えていなかった俺の責任だ。今まで黙っていたが、俺は生まれつき魔力量が少ない。それも、異常なくらいに」
俺はコップを持った手とは反対の手から水を作り出す。
「普通の人の魔力量がこのコップに入った水なら、俺の魔力量はこうだ」
人差し指から滴った水が意味もなく地面にシミをつくっていく。
「成長しても、鍛錬を重ねても、魔力回復薬を飲んでも、今まで魔力量が増えることはなかった。俺の場合、受け止める器自体がないから、魔力はいつまでも溜まらないんだと考えてる」
足手まといは俺のほうだ。そう言おうとしたとき、エイプリルから息を吸う音が聞こえた。
「じゃあ――」
視界にエイプリルの両手が入ってくる。器のようにして、俺の人差し指の下に構えた。そこに水が溜まっていく。
「――私がアルレ君の器になるよ」
ぐっと近づけてきた顔は自分の役割をやっと見つけたと言わんばかりの笑みで溢れていた。
「前に話したでしょ? 魔力量だけは誰にも負けないって。きっと、器も大きいよ」
赤い瞳から目が離せない。同時に、言われてきた言葉が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
『その魔力量じゃ……』『他のパーティーなら紹介するけど』『もっと努力したら?』
『役立たず同士、周りの人に迷惑をかける前に野垂れ死んでよ』
何もかも気にしないように、前だけ見て頑張ってきた。けど、本当は――。
「問題はどう有言実行するか、なんだよね。魔力を分け合える魔法とかあれば――」
エイプリルが楽しそうな声音で話している。その声が途中からぼやけて、ほとんど聞こえなくなる。
――このやるせなさを誰かに受け止めてもらいたかった。
エイプリルの両手にどんどん水が溜まっていく。俺の人差し指から水はもう出ていない。
その出所が自分の両目だと気付いたとき、俺はすでにエイプリルの腕の中にいた。
地面に落としてしまったコップとタオルを見て我に返る。
「鍛錬で汗をかいてる。せめて拭かせて――」
「しー」
「んぐ」
命令には逆らえない。
もう二度としないと泣いて誓ったのはなんだったのか。故意なのか無意識なのか、エイプリルはこういうときだけ力を行使するのだからずるい。
ふっと口元が緩む。俺は人肌の心地よさを感じながら、しばらく抱きしめられていた。
***
自分でも何が起きているのか分からなかった。
「すごい! すごいよ、アルレ君!」
エイプリルは手を叩いて喜んでくれている。
地面には勢いを落とした炎が、俺たちを中心にして円状に広がっていた。円の上にはところどころ低級の魔物が倒れている。
二人で受ける二回目のクエストにて、俺は低級の魔物たちを一瞬で倒してしまっていた。
相手へ攻撃の隙を与えないように、炎で軽く境界をつくるだけのつもりだったのだが、予想以上の力が出たようだ。高火力の火属性魔法など、ついこないだまではできなかった。
確実に魔力量が増えている。
何か特別なことをしただろうか。俺は必死に考えを巡らせた。
普段と変わっていたところといって思い付くのはひとつしかない。
「エイプリル。もう一度、今朝みたいに抱きしめてくれないか」
エイプリルは少しの間、ぽかんとしていたが、すぐに顔をほころばせた。そのままの勢いで腕の中に招き入れられる。
「いいよ! アルレ君がしてほしいことならなんでもしてあげる!」
俺は顔が熱くなるのを感じた。自分から頼んだとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいし、簡単に慣れるものでもない。
数秒ほど経つと、心地良い体温はゆっくりと離れていった。
俺はエイプリルに背を向けると、手のひらを前に突き出す。
「フランマ!」
そう唱えた途端、激しく噴き出した炎はらせんを描いて、数十メートル先の木の葉を焼き尽くした。二週間前は手の上の灯火ぐらいにしかならなかったのに、だ。
俺たちは顔を見合わせる。
エイプリルのユニークスキルは「人間をテイムできる」というだけのものではなかったらしい。言い直すならば「スキンシップを取ることで使役対象の魔力を上昇させる」というものなのだろう。
だが、ともに過ごす時間が長くなってくると、それも微妙に違うということが分かってくる。
「私がアルレ君に何かしてあげることで、アルレ君の魔力を上昇させるスキル?」
「ああ。例えば、料理の用意や傷の手当て、もっと些細な、声をかけてくれたり、物を取ってくれたりするだけでもいい。抱きしめるなどのスキンシップを取らなくとも、魔力は上昇する」
あるとき、俺は考えを告げた。出会ってから実に一ヶ月が経過していた。
エイプリルはしばらく、あごに手を置いて身をよじり、おおげさに考えるポーズを取っていたが、突然、顔を輝かせてこちらを見た。
「つまり、うーんと甘やかしてあげればいいってこと?」
「まぁ、そういうことになるのか……?」
エイプリルの顔がさらに輝く。
「それなら任せて! 『ヒモ男キラー』の異名が付いた私だよ? 得意分野なんだから!」
俺たちの間に「主従関係」ができてしまったあの日、エイプリルは町に帰る道すがら、前世の記憶を聞かせてくれていた。
責任感が強く、面倒見がいい性格は前世からのものだったらしい。何か頼まれると断れず、人の喜ぶ顔を生きがいにしていたそうだ。
「彼氏なんかできたことはなかったんだけどね、友達には『あんたは将来、絶対にヒモ男キラーになる。好きな男どものために頑張りすぎて倒れるんだ』とか『死なれたら、私たちが困るんだから無理しないでよ』なんて、冗談っぽく言われてたっけなぁ。でも、今考えてみれば、目だけは真剣だった」
笑いながら話していた横顔が寂しそうに歪んだ。
「あのとき、ちゃんと聞いていれば良かったのかな。だけど、まさか本当に命を落とすことになるなんてさ……思わないじゃん」
俺は静かに相槌を打ちながら、これからは決してエイプリルに無理をさせないと誓ったのだ。
それが結局、エイプリルを頼らないと強くなれないと判明してしまって、俺としては情けないこと限りないのだが。
せめて、もらった力でエイプリルを守り抜こう。そう、俺はこの瞬間に誓い直したのだった。
それからはされるがままに、エイプリルが言うところの「甘やかされる生活」を送った。
エイプリルは本当によく尽くしてくれた。何も返すことのできない俺は、その分、クエスト成功に精を出した。
ひとつだけ不満を言うなら、日課の鍛錬もやらせてもらえなくなったところぐらいだろう。
エイプリルは「私が全部やるから、アルレ君はゆっくり休んでてね」が口癖になっていた。
俺は鍛錬を、顔を洗ったり、服を着替えたりするような日課と同じように捉えていたはずだったのだが、どうやら趣味の要素も兼ねていたらしい。
けれど、皮肉なことに鍛錬をしないのと比例して、俺の魔力量は増えていった。
しかも、上限がないみたいに使わなければ使わないほど、魔力は蓄積された。
低級の魔物に始まり、あのジャイアントベアも一撃で倒せるようになって、最終的にはガーゴイルやオーガなどの上級の魔物も楽に倒せるようになった。
そうして、俺たちはいつのまにか、この辺りでは名の知れた冒険者になっていた。
変わったのは俺たちばかりではない。
風がだんだんと暖かくなってきた、春の昼下がりのこと。クエストを受け終え、町へ帰る支度をしていると、すぐ近くで悲鳴が上がった。
俺は声のした方へ急いで駆けつける。そこにはルスタスを抱えて尻餅をついているエイプリルの姿があった。打った腰をしきりにさすっている。
「お腹の毛をとかしてあげようと思ってね、抱っこしようとしたんだけど……」
話題に出されたルスタスはエイプリルの腕の中から飛び出すと、気まずそうにあとずさった。
「ルス坊、なんだか大きくなった?」
ルスタスは十年前からずっと同じ姿のままだ。それがこの半年で変わるわけがない。
俺は否定しようと口を開きかけて……止まってしまった。
今のルスタスの体高は俺の膝を優に超えていて、大きさでいえば猫というより大型犬に近い。それに、前脚から背中にかけたラインは筋骨隆々としていて、立派になっている。
常に側にいたのに、全く気付かなかった。いや、だからこそ気付けなかったのかもしれない。
さらによく見ると、義足を押すように後ろ脚の切断面が出っ張っている。まるで、骨が再生してきているかのような……。
「まさか、脚が生え始めてるのか!」
俺は思わず、ルスタスに駆け寄った。大声に驚いたルスタスの毛が逆立つ。
体が大きくなったのなら、今の義足は小さいはずだ。なのに、転んだり、歩きづらそうにしたりしなかったのは、脚が生え始めて、うまいことバランスが取れていたからだったのだ。
「このままじゃ、生えてくる脚に良くない。じいちゃんに頼んで、新しい義足をつくってもらわないとな」
俺はルスタスのあご下に手を伸ばす。撫でてやると、数秒でこわばっていた表情が和らいだ。
どうやら、エイプリルに尻餅をつかせたことを怒られていると思っていたらしい。
そこで俺はエイプリルの存在を思い出し、ハッとして振り返った。エイプリルは幼い子供の行動を見守るような笑顔でこちらを見ていた。一瞬で顔に熱が集まる。
俺は咳払いをして気を取り直すと、口を開いた。
「故郷に寄ってもいいか?」
「もちろん! これまでのアルレ君の活躍も、ご家族に話してあげないとね」
「そうだな……!」
信頼できる仲間がいて、怪我を負うことなくクエストがこなせて、生活に困ることなく冒険が続けられている。半年前には考えられなかったことだ。これなら、家族を少しは安心させてあげられるかもしれない。
エイプリルとルスタスを連れて、久しぶりに故郷を目指す俺の心は踊っていた。
***
「なんだ、これ……」
故郷で待っていたのは、初夏の風が吹く爽やかな草原でも、人々で賑わう市場でもなく、炎に包まれて変わり果てた町並みだった。
俺は悪い夢でも見ているような気持ちで町の中を走っていく。人影はどこにもない。
中心の広場まで行くと、町のシンボルにもなっている噴水の影に、一人だけ倒れているのを発見した。俺は大声で呼びかけながら、走り寄る。
噴水の縁を回り込むと、顔がはっきりと見えた。その顔に見覚えがあった。
元パーティーの魔法使い――アストレアだ。
「アストレア! しっかりしろ、アストレア!」
エイプリルに頼んで、アストレアに回復魔法をかけてもらう。アストレアはすぐに目を覚ました。
「アルレシャ、さん……?」
アストレアは何が起きているのか、掴みかねているようだった。が、意識がはっきりしてくると、その深緑色の目から勢いよく涙を溢れ出させた。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ、私のせいで……!」
俺はエイプリルと顔を見合わせる。とりあえず、火の回っていない町の外まで連れ出すと、アストレアは嗚咽を漏らしながら、俺と別れた後のことを説明し始めた。
あの後、やはりベレロフォンたちはより強力な魔物が出てくるような地域へ移っていたらしい。しかし、そこでクエストを受けるも、一向にうまくいかず、一ヶ月もしないうちに帰還。
……その頃の俺たちはと言えば、ちょうどエイプリルのスキルに気付き始め、クエストもバンバン成功してきている頃だ。
ベレロフォンたちがこちらへ戻ってきたときには、受けられるレベルのクエストはもうなくなっていたという。主に俺たちの手によって。
次第に俺たちの名声が響き始め、それと比例するようにベレロフォンの機嫌も悪くなっていった。今までに見たことがないほど恐ろしい顔をしていたとアストレアは語った。
だが、そこまでならまだ良かったのだ。ベレロフォンは俺の故郷にドラゴンが封印されていることを思い出してしまった。
ベレロフォンは考えた。手柄を立てられる魔物がいないのならば、自分で用意してしまえばいい、と。
「あのとき、私がもっと粘っていれば、こんなことには……!」
アストレアはベレロフォンを止めようと必死になって説得したが、その態度が気に入らないとパーティーを追放されてしまったらしい。
アストレアは人にものを言うのが得意な性格ではないだろう。俺のために闘おうとしてくれただけで十分に嬉しかった。
「あんまり自分を責めないでくれ。アストレアは本当によくしてくれた」
アストレアは俺の礼にいっそう涙を浮かべると、言葉を続けた。
その続きは予想する通りだ。ベレロフォンはドラゴンの封印を解いた。
解き放った自分に従うと思っていたようだが、祖父でも封印するしかなかった魔物だ。命令など聞くはずも、倒せるほど弱いはずもなく、町の中まで侵入してきてしまった。
ここでもアストレアは被害を最小限に抑えようと戦ってくれたらしい。が、力及ばず、噴水の前で動けなくなっていたというわけだ。
俺は町の方へと目を向けた。空は真っ赤に染まり、遠くからは建物の崩れる音がする。自然と拳に力がこもった。
あいつは祖父が命を懸けて封印したドラゴンを自分の手柄のために呼び起こした。そのうえ、みんなを危険にさらし、町を破壊させたのだ。絶対に許せない。
平和な町も、俺の故郷も。お前が奪ったもの全て、俺は必ず取り返してやる。
「エイプリル。一緒に戦ってくれるか」
俺は町の空に上がる炎から目を離さずに言った。返事は間も置かずに返ってくる。
「当ったり前だよ! 私たち、二人でひとつ、でしょ?」
そのとき、俺の足に何かが擦り寄った。思わず足元を確認すると、ルスタスが頭を擦り付けている。そして、俺と目が合うと、体中に電気を帯びさせた。
再びエイプリルと顔を見合わせる。エイプリルは頼もしい顔で笑った。
「もちろん、ルス坊もね」
俺たちはドラゴン討伐へと先を急いだ。
***
「グラキエース!」
俺はドラゴンの脚に氷属性魔法を放った。地面に脚が固定されれば、身動きは取れなくなる。
もちろん、大人しく捕まっていてくれるとは考えていない。ドラゴンは氷を溶かそうと、体の熱を上げ始めた。
町の状態からも分かる通り、このドラゴンは火を扱う。火属性の魔物は体に炎を纏っていることが多く、体の熱を上げれば、自然とその炎は大きくなった。
「アクア―リウス!」
そこにすかさず、水属性魔法を放つ。ドラゴンはギャッと短い悲鳴を上げた。
火属性の魔物が体の炎を消されることを嫌うのは、それが生命力のバロメーターだからだ。
ドラゴンの炎は今にも消えそうになって、真っ赤だった体も熱を失った炭のような色に変わっている。しきりに炎を吐こうとしているが、口からは煙しか出てこない。
「トニトゥルス!」
俺はドラゴンに向けて、さらに魔法を放った。今度は雷属性魔法だ。
けたたましい叫び声を響かせて、ドラゴンは瓦礫の山へ突っ込む。水属性魔法と作用して、相当なダメージになったはずだ。
戦闘開始から三十分。俺たちはすでにドラゴンを圧倒していた。
初めて相まみえたとき、ドラゴンは俺たちに猛烈なヘイトを向けてきた。自分を封印した人間という存在にひどい憎しみの感情があるのだろう。それを利用させてもらった。
それぞれが代わる代わるターゲットになり、三方向に気を散らせることで、ドラゴンの判断力を鈍らせたのだ。その度に魔法をもろに食らったドラゴンは、もう虫の息だろう。
「次で最後だ! サポートを頼む!」
俺はドラゴンに向けて右手を構えつつ、少し離れたエイプリルに声をかける。
そのとき一瞬でも、ドラゴンから目を離したのがいけなかったのだろう。
大きく開けた口から火花が散るのが目の端に映った。すぐに高火力の炎が迫ってくる。
無理だ、これは避け切れない。エイプリルの悲鳴を聞きながら、俺は悟った。
ドラゴンはよろけて瓦礫に突っ込んだんじゃない。瓦礫から炎を取り込むために突っ込んだのだ。まさか、そんな芸当ができるとは。
くそッ、こんなところで死ぬわけにはいかないのに。ここで倒せなければ、ドラゴンはこの町どころか、近くの町や村まで焼き尽くすだろう。やがては王都だって。それは絶対に駄目だ。
体の一部くらい、焼けてしまったって構わない。反撃さえできれば――
ドンッ。
突然、体の側面に強い衝撃を受けて、俺は地面に転がった。ものすごい熱が体の横を通り抜けていく。その直前、青い、特徴的な瞳と目が合った。それを俺は何度見てきたことだろう。
「ルスタスッ! やめろッ!」
命令は届かない。ルスタスはすでに赤い炎の中へと消えていた。
「そ、そん、な……ッ」
苦しい。うまく息が吸えない。しばらく喘ぐような呼吸を繰り返していると、後ろから抱きすくめられる。俺はその腕に顔をうずめるようにして、うなだれた。
「アルレ君! 一旦、退避だよ! ここにいたら――」
不意に、エイプリルが大きく息を呑んで言葉を止めた。かと思うと「あれ」と言って、俺の肩をしきりに叩いてくる。俺はおもむろに頭を上げた。
目の前には、炎が何かひとつの物体のように、その場で留まっていた。よく見ると、中心に青い炎が灯っている。それはみるみるうちに大きくなって、完全な青い炎へと姿を変えた。
突如、強い風が吹き抜ける。青い炎が渦を描いてかき消えると、そこにはドラゴンよりもはるかに大きい、四つ足の獣が立っていた。
蛇の頭を持つ尻尾、蹄を持った凛々しい後ろ脚、背中の大きな翼、顔の周りを覆う立派な鬣、渦を巻いた二本の角……。
その獣はペガサスともキマイラとも見えるような姿をしていた。
ふと、獣がこちらを振り返る。その瞳は青色と黄色をいっぺんに持つ神々しいものだった。
「ルスタス、なのか……?」
大きな顔がぐっと近寄ってくる。俺は少し身構えたが、その獣は気にすることなく、さらに顔を近づけて――よろめくほど強く頭を擦り付けた。喉の方からはゴロゴロという音さえする。
その仕草は間違いなくルスタスのものだった。
「ルスタスッ、ルスタスなのか! お前、こんなに大きくなって……!」
俺は笑っているのか、泣いているのか分からないようになりながら、ルスタスを撫で回した。エイプリルも鬣に突っ込むように抱きついている。だが、再会を喜んでいる暇はないらしい。
ルスタスに恐れおののいたのか、ドラゴンが空へと飛び立った。ここから逃げる気のようだ。
「マズい! あっちは王都の方だ。追いかけるぞ」
走り出した俺たちの前にルスタスの背中が立ちはだかる。振り返ったその顔は「乗れ」とでも言っているようだった。
***
ルスタスは身を翻して、吐き出される炎を華麗に避けていく。ドラゴンより重いはずの体は本当に軽やかで、滑空姿勢は空を制す鳥みたいにも見えた。
ドラゴンは逃げ回りつつも、攻撃の手を止めない。それに、先ほどからルスタスの背中ばかりを執拗に狙ってきている。
あいつは俺たちが追いかけてきていることを分かっているのだ。俺がやられれば、ルスタスがやられることも。
さすがに全ての炎は避け切れない。激しい炎がごくたまにルスタスの翼の羽毛を焦がした。
危うく背中も火に包まれそうになる。しかし、そのためのエイプリルの防御魔法だ。
いばらを球状に絡ませ、火の手を防ぐ。が、これにもドラゴンはめざといらしい。
いばらを焼き切ろうと集中砲火し始めた。火力も圧倒的に増している。
エイプリルが扱えるのは草属性の魔法だから、火属性のドラゴンとは相性が悪い。
間もなく、エイプリルのつくった防壁は焼き尽くされてしまった。ドラゴンがそれに気付いて、再び口を開ける。決着をつける最後の炎を吐き出すつもりだ。
傍から見れば、俺たちは絶体絶命のピンチへと追い詰められているのだろう。
エイプリルがにやりと笑ったのが、遠く離れたここ――ドラゴンの上空からでも見えた。
『俺は乗らない。ルスタスとは別に追って、攻撃のチャンスを窺おうと思う。それまで、ドラゴンの気を引いておいてくれないか。俺が最後の一手を打って、必ず仕留める』
ルスタスに背中を向けられたとき、俺はそう告げていた。エイプリルはすでにルスタスの腰へ足をかけているところだった。
不安定な空の上でドラゴンの気を引くとは、一歩間違えれば、命にも関わることだ。そう易々と聞き入れられる願いじゃない。
けれど、エイプリルは言ってくれた。俺の言葉を「信じる」と。
「エイプリル、本当に助かった。おかげで、特大のが打てそうだ」
俺はドラゴンには聞こえないよう、声を潜めてエイプリルに礼を言う。聞こえるはずがないのに、エイプリルは「行ってこい」とでも言うように深くうなずいた。
「グラキエス・サギッタ」
構えた右手をドラゴンの額めがけて振り下ろす。巨大な氷の矢が固い皮膚を貫いた。
「人も飛べるってことを忘れない方がいい」
ドラゴンはふっと力を失って、瞬く間に落下していく。すでに重力の塊でしかない。
エイプリルが巨大な百合の花を咲かせ、ドラゴン落下による被害の拡大を防ぐ。その百合は俺たちが出会ったあの日に咲かせたものよりもずっと大きく、ずっと綺麗なものだった。
むせかえるような甘い香りが辺りに広がって、焦げ臭さを塗り替えていく。
こうして俺たちはドラゴンの討伐に終止符を打った。
***
「あの日」から半年。燃えてしまった町並みも元通りになりつつある。
町民は父と祖父の誘導により、一人の犠牲者もなく無事だった。町に着いた時点で人影がなかったのは、そのためだったのだ。さすがは俺の尊敬する二人だと鼻が高くなる。
あの後、ドラゴンが封印されていた山の頂上で気を失っているベレロフォンを見つけた。常に行動をともにしていたはずのカストゥラはおらず、今でも捜索が続いている。
ベレロフォンはこの件の首謀者として咎められ、王都へと連行されていった。そこでどんな刑罰が待っているのか、俺はあえて聞いていない。だが、死を免れないことだけは確かだろう。
この件は平和な町にとって衝撃的なものだったため、数日はベレロフォンの話題で持ち切りだった。が、それも一週間としないうちに聞こえなくなり、名前すら話題に上がらなくなった。
俺たちはドラゴンを倒した褒美として、土地でも地位でも、望むものは何でも与えようと町の領主から言われたのだが、どちらも断らせてもらった。その代わりにあるものをお願いした。
俺たちは町の復興を手伝いながら、それができあがるのを今日まで待っていたのだ。そして今、俺たちはそれを身に付けて、町の玄関に立っている。
「アルレ君、すっごく似合ってるよ! まるで勇者様みたい!」
エイプリルの視線は俺の頭からつま先までを何度も往復した。
俺たちが頼んだのは、新しく強い装備だった。
ドラゴンを倒して、その褒美で暮らしていくことが俺たちの目的ではない。俺たちには旅を続けなければならない理由がある。
これから向かう場所には、より強力な魔物がうじゃうじゃといることだろう。そんな世界を渡り歩いていくために必要なものだった。
「エイプリルもよく似合ってる」
今回の装備は特注のため、エイプリルの身体にぴったりと合っていて、前よりも洗練された印象だ。ふんわりとした袖やスカートは豊かな髪とともに風に揺らめいていて、まるで――
「女神様みたいだ」
思わず、口に出ていた。エイプリルの顔が一瞬で真っ赤になる。俺もようやく自分の失態に気が付いて、顔が熱くなった。
そのせいか、建物の角から現れた大きな影に気付くのが遅れた。エイプリルの背中をその影――ルスタスがいきなり鼻先でぐいっと押す。
「ちょ、ちょっと⁉ ルス坊⁉」
あのルスタスがこんなに大きな魔獣だったなんて、さらにはペガサスとキマイラの交雑種かもしれないなんて、今でも信じられないが、これが本来の姿らしい。
そんなルスタスが人ひとり動かすなど、造作もないことだ。エイプリルはつんのめるように俺の胸へと飛び込んでくる。
エイプリルは、「もー」と不満げにした後、声を立てて笑った。俺もつられて笑い出す。
そのとき、後ろから呼ぶ声がした。我に返った俺たちは急いで距離を取る。
振り返ると、そこにいたのはアストレアだった。俺と目が合うと、勢いよく頭を下げる。
「荷物持ちでもなんでも構いません。私を同行させてください」
アストレアが責任を感じているのは伝わってきていた。この発言も償いの気持ちからだろう。
「ついてこなくたっていい」
「そ、そうですよね……。私がついていっても、目障りなだけ――」
「そうじゃない」
アストレアに引け目を感じながら旅を続けてもらうのは嫌だった。
「純粋に俺たちと旅がしたいというのなら、ついてきてほしいんだ」
隣でエイプリルがふふっと笑みをこぼす。アストレアは涙ぐみつつも、最高の笑顔で答えた。
「はいっ!」
アストレアが俺たちの後ろに続く。取り戻した使役魔獣たちも加わって、随分とにぎやかになった俺たちは、次の町へとまた歩き出した。
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