【歓喜】大嫌いな幼馴染公爵に嫁いだのですが、幼い義理の息子(天使)が可愛すぎて離婚どころではありません!
「いいか、アリア。君とは契約結婚! あくまで愛のない結婚なんだからな!」
「ええ、わかっていますよ! 私の大嫌いな旦那様……!」
わたしとわたしの夫は、ばちばちと視線で火花をかわした。
わたし、ことエルミジット伯爵の長女アリアは、当年とって18歳。王立学園を卒業し、3歳年上のランカスター公爵レオンのもとに嫁いだ。
だから、ここはランカスター公爵家の王都の屋敷。その応接間だ。
わたしはレオン様と幼馴染で婚約者。本来なら、順当な結婚のはずだ。
レオン様は身分も高くて、王国有数の大地主。隠居中の先代当主は貴族院議長を務めていたこともある。
しかも、なかなかの美形かつ長身。この国では珍しい黒髪に黒い瞳とあいまって、「漆黒の騎士」なんて呼ばれている。
なんじゃその痛い二つ名は。
他の女性たちからは大人気らしいけれど、わたしからしてみればレオン様は「嫌な奴」の一言に尽きる。
幼馴染だけれど、わたしとレオン様は昔から喧嘩ばかり。子供のころはわたしに意地悪ばかりしてきた。
学校でもレオン様は冷たくて「学校では話しかけるな」なんて言われたこともある。言われなくても話しかけないですよ、と。
学園では成績一位を争うライバルでもあったので(ちなみにわたしは飛び級している。我ながらすごいね!)、ますます仲は険悪に。最後までわたしが勝ち越したので、レオン様はとっても悔しがっていた。いい気味。
そういうわけで、わたしたちは婚約者だから結婚したけれど、恋愛感情はまったくない。それどころか、一刻も早く結婚関係を解消したいとも願っている。
もちろん家の都合もあるから、そういうわけにもいかないけれど。
「ともかく、お互い好きな人ができたら、別れましょう」
「……わかっているよ」
なぜか不服そうにレオン様は言う。
この国の貴族は秋・冬は地方の領地の大邸宅で休暇を過ごし、春・夏は王都の屋敷に滞在し、国会の貴族院に出席して政治に関わる。
王都では男女含めて社交も行われるし、晩餐会や舞踏会で恋愛に落ちる貴族も多い。既婚者も含めて……。
教会は退廃・堕落だと言うけれど、今の時代の貴族では普通のことだ。
だから、わたしたちも本当に好きな人を見つけたら、不倫なんてせず、別れようと約束していた。
「まあ、アリアにそんな理想の相手が見つかるとは思えないが」
「な、なんですって! わたしはこれでも学園では美少女で知られていたんですよ!」
「なら、学園にいる間に相手を見つけられなかったのか?」
わたしはむすっと頬を膨らませる。学園で(それなりに)美少女として扱われていたのは、本当のこと。
茶髪で茶色の目でこの国では一番ありふれた髪と目の色だけれど、顔立ちは整っているし、長くつややかな髪も我ながら美しいと思う。
ただ、勝ち気すぎる性格のせいか、女子からの人気は高くても、男子からはあまりモテなかった……。
「まあ、私としてはそれで良かったんだが」
レオン様が小さくつぶやいた。私は聞き間違いかと思い、「いまなんておっしゃいました?」と聞き返す。
「いや、何も言っていない」
「え? でも、今……」
「何も言っていない!」
レオン様は強く言うと、咳払いをした。
「ともかく、君は今日からここに住むんだから、屋敷の案内をしないとな」
「レオン様、ご自身が案内してくださるんですか?」
「一応夫だから当然だろう?」
「てっきりメイド長あたりに任せるかと……わたしのことお嫌いでしょうし」
レオン様は顔をしかめ、わたしの言葉に答えなかった。
「それより、最初に話しておかないといけないことがある。驚かずに聞いてくれ」
「まあ、たいていのことには驚かないですよ。これでも学園では鋼の心臓の女とも呼ばれていましたから」
「そういう性格のせいでモテなかったのでは?」
「うるさいですね! 本題をどうぞ!」
「まあ、驚かないと言っていたから、率直に言うと、私には隠し子がいる」
「え? えええええっ!」
わたしは腰を抜かすぐらい驚いた。レオン様はちょっとあきれたようにわたしを見つめる。
「驚かないんじゃなかったのか?」
「驚きますよ! 隠し子! 結婚前に言ってください!」
「なにせ隠し子だったので、言えなかったんだ。すまない」
レオン様は珍しくすまなさそうな顔をする。まあ、もともと愛のない関係ではあるけれど……。
わたしは恐る恐る聞く。
「あのーお相手の女性は? その人が存命なら、レオン様にはすでに想いを寄せる異性がいるのでは……?」
「彼女は五年前に亡くなった」
わたしは悪いことを聞いた気になって黙ってしまう。レオン様は首を横に振った。
「ああ、いや、もともと一夜の過ちだったんだ。年上の使用人の女性でね……」
「そうだったんですか。それでその子は……?」
「この屋敷に住んでいるよ。おいで、ウィル」
レオンが手を叩く。すると、応接間の扉がちょっとだけ空き、その隙間から男の子が顔を覗かせる。
ちらっと顔をのぞかせたのは、金色の髪の男の子だ。10歳ぐらいだろうか。
青いサファイアのような瞳がきらきらと輝いている。ちょっと怯えたような表情が、かえって庇護欲をそそられる。
つまり……とても可愛い!
とてとてと、ウィルくんはこちらに駆け寄ってくる。
そして、小首をかしげた。
レオン様は珍しく優しい表情を浮かべた。
「ほら、ウィル。君の母となる人だ。ご挨拶しなさい」
「お、お母様……?」
ウィルくんがびっくりしたように目を大きく見開く。
驚いたのはわたしも同じだった。
「は、母親!? わたしがですか!?」
「アリアは私の妻。つまり、私の子供の母。何もおかしいことはない」
「か、隠し子の母親役をわたしにやらせる気ですか? だいたいこの子、10歳ぐらいですよね? レオン様、いつ子供を産ませたんですか?」
「12歳のときだ」
「うわあ……」
「そんなにドン引きしないでくれ」
「ともかく、わたしが母親なんて……」
わたしはなおも言い立てようとするが、そのとき、ウィルくんが悲しそうな顔をしているのを見て、思いとどまった。
子供の前で話すことじゃない。
涙目で、ウィルくんがわたしを見上げる。
「あ、アリア様は……僕のこと嫌い?」
怯えたようにウィルくんは言う。わたしは慌てて、身をかがめ、微笑んだ。
「そんなことないわ。ちょっとびっくりしただけで……」
ウィルくんがこくりとうなずき、しばらく沈黙が訪れる。
うながすようにレオン様がわたしをじっと見ていた。
わたしは観念した。
「そう。今日から、わたしがウィルくんの母親。よろしくね?」
わたしがそう言うと、ウィルくんはぱっと顔を輝かせた。
「あ、あの……よろしくお願いします」
うん。可愛い。
しかも良い子そうだ。
こんな子なら、母親役をしてあげてもいいかもしれない。
これがレオン様のとある作戦の一幕だとは、このときのわたしはまったく思わなかった。
☆
その後、わたしはウィルくんの相手をすることになった。
二人きりでウィルくんの部屋で過ごすことに……。
でも、何をすればいいかわからない。
「ウィルくんは……いつも何をして遊んでいるの?」
「え、えっと……本を読んだり、です。いつも……物語を読んでいます」
ウィルくんが緊張した様子で言う。
いろいろと事情を聞くと、どうやらウィルくんは屋敷の皆から放置されてきたらしい。
ひどい話だと思う。身分の低い使用人女性との私生児だからって、先代当主とその妻(つまりわたしの義父と義母)は、ウィルくんに構わないでいた。
優しい人たちだと思っていたのだけれど。レオン様とは違って、わたしはランカスター前公爵と前公爵夫人とは仲良くしてきたが、そんなことをする人たちには見えなかった。
仮にも初孫なのだから優しくしても良いと思うのだが、なにか事情はあるのだろうか?
使用人たちも同じでウィルくんには冷たい。
レオン様は実の息子に優しいみたいだけれど、少し前は学生だったので時間は取れず、今は公務で忙しい。
誰もウィルくんの相手をしてこなかったわけだ。
それなのに、ウィルくんはとても大人しくて良い子だ。
こてんと首をかしげるウィルくんはとても可愛い。輝くようなブロンドの髪も青い宝石のような瞳も……本当に人形のようだ。
しかし、それにしてもレオン様に似ていない。美形なのは同じだけど、黒髪黒目と金髪碧眼だし。
母親譲りなのだろうか……。
ただ、近年の遺伝学の成果によると、黒髪黒目の方が優性、ざっくりいえば親から受け継がれやすい性質のはずだ。
なんでわたしがこんなことを知っているのかといえば、わたしは学園では優等生だったし、勉強は大好きな方だ。
遺伝学の話とかは王立学園で学ぶようなことではないが、いろいろな本を読んだりするので知っている。
好奇心旺盛なのはわたしの美徳だと思うのだけれど、そのせいで「頭が良い女は嫌いだ」と言われて、モテなかったのは内緒だ。
ちなみにレオン様はそういうことは言わない。嫌いな相手だけれど、そういうところは悪くないと思う。
まあ使用人の女の人に手を出して、隠し子とかありえないと思うが。
ただ、ウィルくんに罪はない。
「ね、アリア様は子供の頃、どんなことをして遊んでいたんですか?」
「わたし? そうねえ、木登りとか、あとみんなでクリケットとか」
「えーと……」
「ふふっ、言いたいことはわかるわ。あんまりお嬢様らしくないものね」
「は、はい」
「お嬢様らしくするのって窮屈で嫌いなのよね。まあ、わたしはそんな感じだから、あまり気を遣わなくていいよ」
ウィルくんはもじもじとしている。まあ、気を遣うなと言われても、10歳も年上の初対面の女性には緊張するだろう。
ウィルくんは真面目そうな子だから、なおさら。
わたしはなるべく優しい表情で微笑んだ。ちゃんとできているかしら?
「そうそう、物語を読むのも好きだったの。今もね。ね、ウィルくんのおすすめを教えてくれる?」
「え? ぼ、僕のおすすめ?」
「そうそう。たくさんお話を読んでいるんでしょう? きっと面白いのを知っているわ」
「で、でも……僕なんか……」
「そんなに自信なさそうな顔しないで。ね?」
身をかがめて、わたしがウィルくんに笑いかけると、ウィルくんは顔を赤くしてこくんとうなずいた。
それから本棚に近寄って、わたしはいろいろとウィルくんのおすすめの本を教えてもらった。
学園卒業後から嫁入りまで、忙しくてなかなか本を読めていなかったのよね。
もちろんウィルくんが読んでいるのは児童書が多いけれど、面白い児童書は大人が読んでも面白い。
ウィルくんがおすすめしてくれた本はどれも面白そうだった。
いくつかはわたしが読んだこともある本があって、話が盛り上がったし。
本の話をするときのウィルくんは、目をきらきらさせながらいろんな話をしてくれた。
うん。可愛い。やっぱり、あの冷酷幼馴染公爵とは大違いだ。
「アリア様って、大人なのにすごく話しやすいね」
ウィルくんが微笑んでそう言ってくれる。
「それは良かったわ。大人といっても、まだ18歳だしね。そうだ」
ぽんと手を打つ。
部屋のなかで本を読むのも良いけれど、せっかく天気も良いし。
これまでウィルくんにはできなかったこともさせてあげたい。
「外で遊ばない?」
「そ、外? でも……」
「あ、もちろん、嫌なら無理にとは言わないから、安心して」
「い、嫌なんてことはないけど……でも、そのお祖父様たちになるべく庭には出るなって言われているから」
隠し子だからだろうか。なるべく人目につかないようにしているのかもしれない。
だけど、それにしてもやりすぎだ。
こう言ってはあれだが、貴族の私生児なんてありふれている。一人や二人いても、別段それほどの不祥事ではない。
実際、レオン様には、腹違いの妹がいるけど、普通に王立学園に通っている。ちなみにわたしとは大の仲良しだ。
なにか事情がありそうだ、とわたしは思う。
だとして、ウィルくんのせいじゃない。
「なるべくってことは、絶対に出るなっていうことじゃないのよね?」
「そうだけど……」
「なら、お義父様にはあとでわたしから話しておいてあげる。外でテニス、してみない?」
なぜテニスかというとわたしが得意だから! お母さんらしく良いところを見せたい。
というのは一番の理由ではなくて、ウィルくんが読んでいた本がテニスの話だったからだ。
テニスが楽しそう、でもやる相手がいない……というようなことをウィルくんが言っていたので、わたしは提案してみたのだ。
ウィルくんはもじもじとすると、こくんとうなずいた。
ふふっとわたしは笑うと、ウィルくんの手をつかんだ。
ウィルくんがびっくりしたように顔を赤くする。
「ほら、行きましょ!」
わたしたちは二人で庭に出る。さすが公爵邸。テニスコートも完備である。
ウィルくんにラケットを渡して、やり方を教える。
すると、ウィルくんはすぐに基本的な動作はできるようになった。
この子、頭いいんだ……。物覚えがすごくいい。
「すごいわ、ウィルくん!」
わたしが褒めると、ウィルくんははにかんだような表情を浮かべる。
「あ、アリア様に褒められると嬉しいな……」
しかも素直で可愛い!
金色の髪を撫でると、くすぐったそうにする。
「ね、ウィルくん。わたしのこと『お母様』って呼んでくれる?」
「い、いいの?」
「もちろん! だって、わたしは君の母親だもの」
「あ、アリア……お母様」
ウィルくんがとても恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに名前をつぶやく。
そんないじらしく照れてるウィルくんの様子が愛おしくて、わたしはひしっとウィルくんを抱きしめてしまう。
「お、お母様!?」
「わたしはあなたの味方だからね?」
「うん……ありがと」
ウィルくんはそう言うと、わたしの背中に小さな手を回してくれた。
☆
そして、三ヶ月が経った。
公爵夫人といっても、わたしはまだ見習いみたいなもので、それほどやることは多くない。
領地の経営は先代当主が行っている。
社交や趣味の料理を除けば、ウィルくんと楽しく遊ぶことが日課だ。
ウィルくんもだいぶわたしに懐いてくれた。あとはウィルくんにわたし以外の友達を作ってあげられるといいのだけれど。
そのうち、わたしやレオン様と同じように、王立学園にも通わせてあげたい。
けれど、それには貴族の子弟であることが条件。隠し子ではなく、ちゃんと認知される必要がある。
レオン様や先代たちを説得する必要があるわけだけれど、さて、どうしたものか。
夕方。遊び疲れて寝てしまったウィルくんを、わたしはベッドで寝かしていた。
寝顔も可愛い……。横の椅子に腰掛けて、わたしは眺めている。
この子は、健気で真面目で頭が良くて……本当だったら、将来有望な子だと思う。
だけど、やはり隠し子という立場がそれを許さない。
公爵家の後継者には私生児はなれない決まりだ。
正式な子ども、公爵とその正妻の子供が後継者となる。
つまり、レオン様とわたしということなのだけれど。
「そうねえ」
わたしはつぶやく。
結局のところ、いくらわたしが「レオン様のことを嫌い!」と言ったところで、実際に離婚するのはなかなか現実的ではない。
家と家同士の政略結婚だからだ。貴族階級の重要性が薄れ、大衆化したこの国では、昔ほど絶対の必要性があるわけではない。
といっても、何の理由もなく結婚を解消すれば不祥事なのは間違いない。
たとえば、王太子が敵国の王女との恋愛が認められず、駆け落ちしてしまった。この話は大恋愛として演劇やトーキーでかなり持て囃されている。
ただ、残された人間たちは幸せにならなかった。王妃様は心労で倒れてしまったし。
レオン様もそうだ。王太子殿下はレオン様より少し年上で、二人は親友とも呼べる間柄だった。だが、隣国へと消えた王太子殿下と、レオン様は二度と会えなくなり、悲しそうな顔をしていたのを覚えている。。
わたしはいろいろと考えた。
ウィルくんのこと、レオン様のこと。
そうしているうちに、わたし自身もうとうとしてしまったらしい。
毛布がかかってる。誰かかけてくれたんだろうか?
それに、なんだかくすぐったい感触がする。
「……え?」
わたしが目を開くと、あまりにも驚愕することがあった。
レオン様がわたしのそばに立って、茶色の髪をそっと撫でていたからだ。
それも、とても優しそうな顔で。
戸惑いのあまり、わたしは硬直し、すぐに目をつぶった。
何故か寝たフリをしてしまう。
ど、どういうこと!? わたしのことを大嫌いなはずのレオン様が……なぜ?
「アリア……」
レオン様が切なそうにわたしの名前を呼ぶ。その声の甘さにわたしはどくんと心臓が跳ねるのを感じた。
まるで、レオン様がわたしに特別な感情を持っているかのような……。
もし、髪を触られる以上のことをされたら、どうしよう?
わたしは跳ね起きて拒絶するべきなのか、それとも……。
でも、レオン様は相変わらず、わたしの髪を撫でるだけだった。だんだんくすぐったくなってくる。
なんか、これはこれで心地いい……。
じゃなくて!
このままじゃダメだ。
レオン様に真意を問わないといけない。
それに同じ姿勢で寝たフリをしているのもつらくなってきたし。
「そろそろ、ウィルが俺の子じゃないと説明しないといけないな」
レオン様がとんでもないことをつぶやいたので、わたしは心の中で「えっ」と叫ぶ。
隠し子じゃなかったの? なら、誰の子どもなんだろう……?
髪を撫でられてる場合じゃない。
わたしは目をぱちりと開ける。
すると、レオン様が「はっ」とした様子で、慌てて飛び退る。
まるでいたずらが見つかった子どもみたいだ。
「い、いつから起きていた?」
「ちょっと前からです。わたしの髪って、そんなに触り心地いいですか?」
思わず、わたしはくすくす笑いながら聞いてしまう。
レオン様がかあっと顔を赤くした。なんだか、レオン様が可愛い。
「べ、べつにそういうわけじゃない……!」
「じゃあ、どういうわけなんですか?」
「何も理由なんて無い! べつにアリアが可愛かったからつい触っただなんて、そんな……」
そこまで言ってから、レオン様が手で口を押さえる。
本音がバレバレだ。
それって、つまり、わたしが可愛いから髪を撫でていたってこと?
今度はわたしの方が顔を赤くする番だった。
レオン様が頬を膨らませ、ジト目でわたしを睨む。
「今のは忘れろ」
「忘れろ、なんて言われても、忘れられませんね」
「おまえは意地悪だな」
「あら、レオン様ほどではありませんよ」
言ってから、後悔する。喧嘩がしたいわけじゃない。
口を開けば、お互い憎まれ口ばかり。だから、レオン様はわたしのことを嫌いだと思っていた。
わたしもレオン様のことを嫌いだと思い込んでいた。
でも、本当は……?
レオン様が突然、真面目な表情になる。「バレたなら仕方ない」と。
そして、そっとわたしに手を差し出した。
どういう意味だろう?
「俺は真実の愛を見つけたんだ」
「え?」
「もう契約結婚なんて必要ない」
レオン様ははっきりとした声でそう言った。
わたしは……脳が沸騰しそうになるほどの衝撃を受けた。
なにそれ? わたしは用済みってこと?
さっきまでわたしの髪を撫でていたのは何だったの?
それに……!
「納得できません!」
「へ?」
「ウィルくんの面倒を見ろと言ったのは、レオン様です! なのに、どうして急にそんなことを言い出すんですか!?」
「ちょ、ちょっと待て! 落ち着け! アリア」
「だいたい、あの子を一人ぼっちで放っておいたくせに! 今、わたしを追い出したら、ウィルくんをどうするんですか!?」
「ご、誤解だ! 君はこの家から出ていく必要はない」
「なら、愛人と二股をかける気ですか!? さ、最低っ!」
「俺の妻は一人だけだ! つまり……君だ」
わたしは今度こそ完全に固まった。
どういうことだろう? さっき契約結婚は必要なくなったって言ったばかりなのに。
「契約結婚は必要なくなった。なぜなら、俺は真実の愛を見つけたからだ」
「だから、お相手は誰なんですか!? レオン様なら、選びたい放題でしょうね! 学園にいたころも、婚約者の私がいるのに、毎日毎日可愛い女の子から言い寄られていましたもの!」
「落ち着けって……。というか、もしかしてヤキモチ焼いていたのか?」
「だ、誰がレオン様のせいでヤキモチ焼いたりするものですか!」
「俺は君が言い寄られていたら、嫉妬していたけどな」
「え?」
「あー、つまり、だ。俺が必要なのは君だ。真実の愛、なんてものがあるなら、俺は君にしか抱けない」
「え? え? 契約結婚は必要ないっておっしゃったじゃないですか」
「そう。契約結婚は必要なくなった。これを……レオン・ランカスターとアリア・エルミジットのあいだの結婚を本当の結婚にするからだ」
わたしは脳が追いつかずにフリーズする。
レオン様は顔を耳まで赤くして、咳払いする。
「俺は君のことが好きなんだ。アリア」
「い、いつからですか……?」
「ずっと昔から」
「だ、だってレオン様はわたしのことを大嫌いだって……」
「最初はそうだったさ。君の何もかもがいけ好かなかった。勝ち気で生意気で……」
「……悪かったですね」
「それに、俺より優秀だったしな。だが、そんな感情はいつしか反転した。君だけが本当の僕を見て、僕と張り合ってくれた。君と一緒にいるのが楽しくなっていたんだよ」
「も、もっと早くおっしゃってくれればよかったのに」
「言えなかったのさ。俺はガキだったからな。自分の感情を認めることができなかった。それに君は俺のことを嫌いのようだったし」
「べ、べつに心の底から嫌いだったわけではありません」
「それでも、俺と心からの結婚なんてしてくれないと思った。君のことだし、もし力ずくで籠の鳥にしようとしたら、逃げ出しかねないだからな。だから、契約結婚なんて持ちかけた」
「ど、どれだけ回りくどいんですか……」
「俺は手に入れたいものは、慎重に慎重を期して手に入れる主義なんだよ」
手に入れたいもの、というのは、わたしのことらしい。
わたしはうろたえた。
まっすぐな感情をレオン様にぶつけられ、わたしはどうしたら良いかわからない。
嫌いだと思っていた。でも、本心から嫌いだったわけじゃない。
もし、レオン様が本気なら、わたしは――。
「そ、そうだ。ウィルくんの話です!」
「話をそらしたな。君でも照れることはあるのか」
「仕方ないでしょう! こんなことを急に言い出すレオン様が悪いんです」
「まあ、それは悪いと思っているよ」
ぽりぽりとレオン様は髪をかく。
「それでウィルくんのことですけど、さっきレオン様の子供じゃないって言ってましたよね?」
「ああ、それも聞いてたのか。つまり……」
ウィルくんの本当の父親は前王太子だという。母は王太子と駆け落ちした隣国の王女。
二人は密かに産んだウィルくんを捨てて亡命してしまった。
王家にとっては、ウィルくんは困った存在だ。特に第二王子を始めとする王位後継者からすれば、目の上のたんこぶ。
血筋だけ見れば、ウィルくんはもっとも由緒正しい王族であり、王位継承順位も第一位になる。
だから、ランカスター公爵家は――というよりレオン様がウィルくんを保護した。ウィルくんは命を狙われかねないから、身分を隠して公爵家の隠し子ととしたのだ。
それが真相らしい。だとすれば、たしかに屋敷の人間がウィルくんに冷たい理由もわかる。
「最初に教えてくださればよかったのに」
「敵を騙すには味方から、というだろう? それに、君には俺の子と思ってもらった方が……その都合が良かったというか……」
「へ?」
「ウィルに愛情を持てば、この家から出ていくなんて言わなくなるだろうと思ったのさ」
たしかにわたしはウィルくんのために、この家から出ていくことを拒否しようとした。
そのぐらい、今はウィルくんに思い入れがある。
わたしは呆れたようにレオン様を睨んだ。
「隠し子がいるって聞いて、わたし、レオン様への好感度がかなり下がってたんですけど」
「え? そうだったか?」
「そりゃそうでしょう? でも、まあ、考えてみれば、学園の女の子に興味なさそうにしていたレオン様が、愛人と隠し子なんて、ないか……」
「まあ俺は君にしか興味はなかったしな」
レオン様はなんてことなさそうに言う。
わたしは頬が熱くなるのを感じた。
こういうことを平気で言うのは反則だ。
わたしは立ち上がって、抗議しようとする。
とその拍子によろめいてしまう。そこをレオン様が抱きとめる。
「寝起きでふらついたのか?」
「あ、ありがとうございます……」
レオン様に抱きしめられる格好になって、わたしは動揺した。
たくましい腕も固い胸板も……。妙に意識させられる。
レオン様はふふっと笑うと、わたしをぎゅっと抱きしめた。
どうしてか、とてもドキドキさせられる。「好き」って言われただけなのに、わたしってこんなにちょろかったのかな……。
「アリア。俺は君とちゃんとした結婚生活を送りたいと思っている。できれば、このままこの家にいてほしい」
「い、いますよ。もちろん。ウィルくんのためですから……」
「ああ。たとえ血は繋がっていなくても、ウィルは俺の子どもだと思っている。大事にしたい」
「なら、ちゃんと王立学園には通えるようにしてあげてください」
「それは当然だ」
「あと、この家の継承権もウィルくんに……」
「それはできない」
レオン様は首を横に振った。どうしてだろう? やっぱり自分の子供じゃないと思っているんじゃない?
レオン様はわたしの内心を察したように微笑む。
「ウィルにはいずれ王族に戻ってもらう。身分にふさわしい待遇を受けられるようにするつもりだ。その方がウィルのためにもなる」
「あっ、そういうことですか……」
「この家を継ぐのは俺とアリアの……もう一人の子供だ」
レオン様がちょっと恥ずかしそうに言う。その言葉でわたしも想像してしまい、レオン様をぽかぽかと叩く。
「いま、エッチなことを想像したでしょ!?」
「そういうアリアこそ想像したんだろ!?」
わたしたちはもみ合いになり……そのままベッドに倒れ伏す。かなり広いベッドなので、ウィルくんが寝ているスペース以外に、わたしたち二人が寝れそうなぐらいの場所がある。
事故とはいえ、わたしはレオン様に押し倒されていた。
あっ、とわたしは声を上げた。レオン様の顔がすぐ近くにある。
まるで……キスでもされるような雰囲気で。
わたしはギュッと目をつぶった。次の瞬間、キスされていても、わたしは受け入れていたと思う。
でも――。
「あれ、お母様? お父様?」
ウィルくんの寝ぼけた声にレオン様が一瞬で立ち上がった。わたしも慌ててベッドから起き上がる。
「うぃ、ウィルくん?」
「お母様とお父様が仲良しだと……僕も嬉しいな」
ウィルくんが柔らかく笑う。
そんなウィルくんの言葉に……わたしとレオン様は顔を見合わせ、そしてくすっと笑った。
まだこれからどうするかは決めていない。
でも、ウィルくんが、そしてレオン様がいるなら。
この結婚生活もとても……とても楽しくなりそうだ!