4話
マリーが寮へ戻った後、父のジル=フォルクスを通じて出したこちらの要望に、弟皇子側の側近が応る形で遣り取りし、2週間かけて漸く合意に至ったのが、約半月後の本日。
今日が、まさにそのシュバルツ=フォン=ハーゲルンゼとの直接対面日だった。
「あぁ…、せっかくの日和ですのに……」
マリーは早朝から皇都のフォルクス邸へ帰宅していたが、数名の侍女に念入りに磨き上げられながら、窓の画角から晴れ上がった空を見上げ、連続で溜息を零し続けていた。
そして現在、侍女ニアとフォルクス伯爵家の護衛官であるターナーに囲まれるように馬車に座していても、それは全く変わらなかった。
「こんな日和には庭園の東屋で本を手にボーッとするか、クッションを持ち込んで惰眠をむさぼるに限るわよね。一番有意義な時間の使い方じゃないかしら」
誰とはなしに呟くマリーに、ターナーは消えない眉間の皺を更に深くした。どうやらマリーの言動を咎めたいらしいが、幼い頃から父に仕えている様子を見ていたので、元々強面のターナーにも耐性がある。
「ターナー、こんな事で貴方も休日返上させて悪かったわね。余り大袈裟にしたくないし、本当はわたくしたちだけで赴くつもりだったのだけれど、お父様がお許しにならなくて、筆頭護衛官の貴方まで駆り出す事になってしまったわ」
「当たり前です。そもそも、このような誉れある場に、マリーお嬢様をこんな侍女たったひとり付けて送り出す訳もない。学園の女子寮内ならいざ知らず、いや、本来ならば女子寮であっても女性護衛官を付けて然るべきであって、」
「私じゃ、力不足って事ですか」
滔々と苦言を呈し始めたターナーに、視界を遮るようにニアが身を乗り出した。速度はそれ程でもないが、走行中の馬車内でバランスを一切崩さずに動けるのは、やはり彼女の生い立ちのせいか、それとも生来のものなのだろうか。
「この場で意見するつもりはない」
マリーが余計な思考をしている間に、ターナーがニアの言動を切って捨てる。一瞥もくれないその様に、ニアはいつもの無表情のまま、サッと左手を独特の動きで振ろうとした。
「嫌ですわ、ターナー。ニアに関しては全て主であるわたくしの責ですのに。全てを決めたのはわたくし。意見がおありなら、わたくしの力不足を指摘すべきですわ」
瞬間、透かしの入った扇を素早く広げ、丁寧に応えながらマリーはニアを制した。視線を向けなかったが、こちらの意図はどうやら伝わったらしい。ニアの動きがピタリと止まり、ゆっくりと左手を元の位置に戻した。
まさか、暗器でも出して筆頭護衛官を始末するつもりだったのかしらと考えたが、マリーは微笑の中にそれを隠す。
そもそもこんな狭い空間で暴れられたら、自分にも被害が及ぶではないか。
主に血飛沫とか後始末とか。
「マリーお嬢様はお優しすぎる」
「そんなことはないのよ、ターナー」
それは、本心から云った一言だったのだけれど、何故かターナーは微笑ましげにマリーを見詰め、微かに目元を緩めた。
「幼少期よりマリーお嬢様は慈悲深く、誰に対しても等しくお優しかった。どのような場でも身分や生まれでご判断しない姿勢を貫いていらっしゃる。それはとても尊い事と存じますが、元近衛騎士として云わせて頂くならば、御身を守る事を第一に、と」
恭しげにターナーは云い、フンスと満足したのか鼻から息をついた。近衛騎士隊所属から推挙される形でフォルクス伯爵家の筆頭護衛官になってより、かなりの時間を経たが、彼は元近衛騎士という肩書きをとても大切にしている。彼の人生の誇りで矜恃なのだろう。
しかしながら、それがニアや平民出身の護衛官らの反感を買う態度に繋がっているのも確かだった。
元々、フォルクス伯爵家は過去の親族間のイザコザから能力主義に舵を切っており、体面上の身分以外はそれ程拘りはない。役割に足る能力があれば、後は素行で判断し、よって今は必然的に平民出身の者も多く抱えている。だが、平民出身の者を使うという行為は、全ての責を主が負うということに他ならない。何故なら、貴族籍ならばある程度はその生家が送り出した責任を負うが、平民には責を背負う貴族籍がそもそも存在しないからだ。
つまり、何らかの問題が発生した場合、主は使用人の生殺与奪の権利を有する代わりに、貴族に対しては己自身が身を切る必要があるのだった。
現状を考えれば、貴族が平民出身者を使いたがらないのも致し方ないのかも知れない。
「大丈夫よ。わたくしほど、己の身の安全を考えている令嬢は他にいないと自負していますから」
マリーが言葉を紡ぎながら、扇の隙間で優雅に微笑むと、ターナーは年甲斐もなく頬を染めてからハッとし、態とらしく咳払いをした。そして、こちらから視線を外しつつ、何故が隣に座るニアを睨みつける。無表情なニアの目が、再びの殺意に染まる前に、マリーはサッと扇をニアに手渡し、代わりにニアの携帯していた書類を受け取った。
「マリーお嬢様、それは、」
好奇心に負けたのか、こちらに視線を戻してターナーは問う。その反応にマリーは微かに苦笑したが、彼は全く気付かなかった。
おそらく彼自身、元近衛騎士だからなのだろう。騎士としてのプライドの高さと規律を重んじる反面、狡猾さというものがあまりなく、良くも悪くも素直というか単純な男で、彼のこういうところが欠点でもあるし、人間的な部分でもあった。
「お調べ頂いたのよ。シュバルツ殿下のご趣味やお好みのものを」
ニッコリしながら、マリーはペラ1枚しかない個人的嗜好に関する部分について述べた。
勿論、嘘は云っていない。手の中には分厚い報告書があるが、その九割方がシュバルツ=フォン=ハーゲルンゼの素行信条調査と、皇帝一族周辺動向の調査資料というだけだ。
「それはそれは!今回のお話、フォルクス伯爵様は大変光栄の至りとお喜びで!マリーお嬢様もそうでいらっしゃるのですね!」
表面的なジルの言葉をそのまま本音だと受け止めているターナーは、勢い込んでそう述べた。しかし、期待にキラキラしているその目を見遣り、マリーはこれ見よがしに溜息を吐く。
「勿論、光栄なお話なのだけれど、シュバルツ殿下ほどの方の婚約者にわたくしが相応しいかどうかは……。今回のお話、公式発表前にチラとでも漏れればそれこそ大騒ぎじゃないかしら。家の皆に迷惑をかけるわ」
「いやいやいや!このようにお優しいマリーお嬢様を、シュバルツ殿下に相応しくないなどと思う者がございましょうか!幼少の頃より存じ上げるこの元近衛騎士が、剣に誓って申しますぞ!勿論、チラとでも今回のお話漏れることはございません!知る者には私めが監視の目を光らせておきますので!お任せください!」
ドンッと大きな拳で己が胸を叩き、ターナーは誇らしげに鼻息荒く頷いた。確かに、興奮するのも無理もないかもしれない。フォルクス伯爵家が皇族の直系と繋がるのは久方ぶり、ここ100年程なかった事である。
とは言え、皇国の高位貴族は、皇国二千年の歴史の間に何処かしらで必ず皇族と繋がっている為、皆が遠い親戚のようなものだった。
「ええ、いつも貴方を頼りにしているわ」
そう優雅に口元を動かしてから、ターナーが伯爵家とマリーへの忠誠心に燃えているのを確認し、これで多少疑問に思っても、とりあえずはこちらの指示に従うだろうとマリーは納得した。
そのまま、改めて資料に視線を落とし、ペラペラと捲りつつ別の事を思考する。実際、父から渡されたこれらの資料は、とっくの昔に目を通しているので、別に今更読み返す必要もないのだが、出発直前まで使いに出ていたニア(マリーの命令でシュバルツ殿下の思惑を探っていた)が齎した情報により、マリー自身には静かに考えを纏める時間が必要だった。かと言って、マリーが黙ったままでいて、思い込みの激しいターナーに、こちらの感情を勝手に推測されても面倒くさい事になる。
結論として、横やりの入らない馬車内で相手を誘導するのが一番手っ取り早かっただけの話。しかし、隣に座るニアは変わらぬ無表情を貼り付けたままだが、眼前の男に心底腹を立てている様子である。
面倒くさい事に、昔から彼らは相性が悪かった。
「ニア、こちらに」
「はい」
暫くして、如何にも読み終えた風に資料を揃えてから、扇と交換し、ニアへ資料を押し付ける。すると彼女はサッと紙束を紐で閉じ、腰に下げた化粧直し用のポーチに折りたたんで仕舞った。
「マリーお嬢様、もうそろそろですぞ!」
覗き窓から視線を離し、ターナーは興奮気味に顔を向ける。それにようよう頷いて、マリーはそれを見上げた。
森の中を軽快に進む馬車の音に紛れ、木々のざわめきと鳥の囀りが聞こえる中、差し込む光に浮かび上がるそれは、白亜の城壁に囲まれ佇んでいた。
皇都の郊外、小高い丘の上に立つ皇族の別邸。それは邸というより古城と呼ぶ方が相応しい外観をしている。それもそのはず、嘗て教皇も兼任していた皇帝が、最初に建てた聖教会の小さな礼拝堂はこの城の地下にあるのだ。
とは言え、その事実を知るのは極一部の高位貴族と皇族だけで、現在は殆ど知る者もなく使われていない。どうやら年中行事や祭礼等にも使用しないように徹底しているらしく、その理由は、おそらく皇帝側と教皇側が個別の権力者となった現在の体制のせいだろう。少し想像しただけでも、今の教皇側に知られたら、管轄権で揉めるのは火を見るより明らかであった。
「とても立派な建物ですね」
「そうね」
落ち着いた声色でそう感想を呟いていたのだが、車寄せに到着し、御者の一人が扉を開くと、ニアは間髪を入れず、いの一番に外に飛び出した。御者が手を貸そうとしたのもまるっと無視した為、御者は目を白黒させている。
そのまま、毛を逆立てた茶色の猫のように警戒心MAXで辺りをキョロキョロしていたが、続いて下りたターナーに思い切り首根っこを捕まれていた。
「ターナー、許して上げて」
「しかし、お嬢様」
「あちらもお約束通り、必要最低限の人数でいらっしゃったみたいですし、先ほどのニアがあちら側の目に入らなかったのならば、内々の事ですもの、問題ではありませんわ」
御者に手をかりて下りるも、車寄せから続く入り口には人気がなかった。時間は合っている筈だがと、首を傾げていると、自分たちの到着した車寄せに、慌てた様子で侍従らしき男が現れた。どうやら此方は裏口だったらしく、彼は正面玄関で待ち構えていたようで、しきりに謝罪を口にし、此方が恐縮するほど頭を下げて青ざめている。
「マリー=フォルクス伯爵令嬢様、シュバルツ殿下がお待ちです」
マリーたちが相手の平身低頭っぷりに困っていると、ベテランらしき初老の男が新たに背後から現れてそう告げた。
その瞬間、マリーたちに先ほどまでとは比べものにならない緊張が走ったが、それも仕方なかった。
何故なら、その男の視線も声色も極寒の大地のように冷たく、此方を歓迎しているようにはとても見えなかったからだ。
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漸く次はシュバルツ殿下です。遅く現れる……ヒーローっぽい……次は活動報告にハロウィーンSSを
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