3話
「わたくし、あの学園のようなややこしい状況下では絶対にお会い出来ませんわ」
フォルクス家の屋敷で卒倒した翌日の執務室、ディオスクロイ学園の女子寮へ帰る間際に、シュバルツ殿下には機会を見つけて学園で会えばいいと促され、父であるジル=フォルクスにマリーはキッパリと言い渡した。
「あそこには、高位貴族だけでなく、聖女認定者や皇太子殿下に皇女殿下、わたくしの知らない『記憶持ち』もいるでしょうし…」
溜息を吐きつつ、マリーは学園内の様子を思い出す仕草で首を捻った。あの、頭を抱えそうなややこしい学園で、自分は今までどうにかこうにか平穏を保ってきたのだ。それも全て『触らぬ神に祟りなし』精神の賜である。
しかし、万が一、状況が確定する前にシュバルツ=フォン=ハーゲルンゼに会っているところを今の聖女認定者に目撃でもされたらと思うと、想像だけで身震いした。
彼女は平民出身の男爵の娘ではあったが、聖教会に認定を受けた正式な聖女で、身分的には皇女の次の位置に当たるらしい。
マリーは彼女とは直接言葉を交わしたこともなく、その奇跡や付加価値については詳しく知らないが、彼女が皇太子や弟皇子に並々ならぬ関心を寄せており、且つ、歴代で見ても強い力のある聖女認定者だとは知っている。
「出来ればああいった方々に関わらずにいたいのですわ」
マリーはジルから視線逸らして、執務室の窓から快晴の空を見上げた。そこには聖女の纏う白を思わせる雲が浮かんでいる。
最初から、マリーにとっては、情熱的な認定聖女が同時期に学園在籍中であることも不幸の源であった。せめて、聖人聖女でも教皇候補であったなら、生涯婚姻しない為、元より2人に関心など持たないかもしれないのに…と考えずにはいられない。
そもそも論だが、ハーゲルンゼ皇国が認定聖人聖女と教皇候補を並列的に置いているのがよろしくなかったのかも知れないのだ。
先ず、この世界の聖人や聖女には、2種類ある。
1つは、教皇の属する聖教会にて実積を積み重ね、複数の代表司祭により推薦されて試験をパスする方法(これは後の教皇選出の際に教皇候補を意味する)
1つは、聖教会に属さぬまま奇跡を行い、その奇跡を複数の代表司祭に認められ、教皇の目の前で再び奇跡を起こせた場合(これは一代のみの聖人や聖女と認定される為、教皇候補にはならない)
これらのことから、同じ皇帝の御代に、奇跡を起こす聖人や聖女は1人現れれば良い方であり、複数現れた記録は、ハーゲルンゼ皇国が建国されてより二千年、一度もないとされている。
何せ、大陸広しと云えども、ハーゲルンゼ皇国は最も古く最も強大な国である。二千年の記録の最初は神代の時代であり、当然皇帝は神の直系で、当時は皇帝が教皇を兼任して聖教会をつくり、神の奇跡を体現していたらしい。
現在、聖教会は大陸全土に拡がっているが、二千年の間に教皇は皇帝一族から離れ、一方でその教えと価値観は着実に浸透していき、その大小はあるものの、聖教会に属する他の国々も、ハーゲルンゼ皇国聖教会の影響を受けることは避けられない状況である。
そのハーゲルンゼ皇国聖教会による『聖人聖女』以外の最も重要な教えに、『双子星信仰』と呼ばれるものがある。
それは、世界の成り立ちを双子星の存在で説明したものであり、神代の時代に別たれた魂の片割れを探す信仰でもある。
現在でも、奇跡を起こす聖人聖女は双子星のもう片方から魂を移された存在であり、稀に異なる世界の記憶を宿す人間が生まれるのも、魂が双子星の片方から魂の片割れを探してやって来たのだと説明されている。
人の魂は、同じ存在である双子星の間を行き来し、生死を繰り返す度に、大切な魂の片割れを求めて彷徨う。そのままだと、魂だけになった人間は行き先が分からずに双子星のどちらにも行けない。
だから人々は聖教会で祈りを捧げ、大切な人の魂が迷わずに済むように光の道を通す必要があると、司祭は礼拝の度に神妙な顔で人々に語りかける訳だ。
双子星信仰は絵画や絵本だけでなく、演劇やオペラの題材として古くから盛んに取り上げられており、聖教会を信仰の柱としている人々にとっては最早当たり前の内容で、信じる信じないではなく、事実としてある事象なのだった。
今や、聖人聖女の奇跡や、異なる世界の記憶によって齎される恩恵は、双子星信仰の確実性を担保する目に見える証拠とされ、ハーゲルンゼ皇国も聖教会も積極的にそれらを保護している。万が一、聖教会の力の及びにくい他国で生まれた場合でも、留学や婚姻で積極的に皇国本体に取り込むのが、皇帝と教皇双方の方針だった。
故に、ハーゲルンゼ皇国のディオスクロイ学園には必然的に『双子星信仰の申し子』の『記憶持ち』が集まるのである。
「お前は、以前から学園でシュバルツ殿下にお会いしていたのではないのか?」
「違います。昨日もお伝えしましたが、わたくしはシュバルツ殿下と一度も親しくした事はございません。況してや、宵の約などと……」
「いや!いやいや、それは!もちろん、お前が伯爵令嬢としての礼節を重んじているのも理解している。アレは軽率だった。父親として口にするべきではなかった。すまない」
慌てた様子でこちらの言葉を押し止めて立ち上がり、ジルは書斎の深い色合いの背もたれに左手を置いた。
居たたまれないのか、その顔を逸らしているが、だからと云って娘に卑猥な疑惑を掛けた罪は消えない。
「お父様、本当にすまないと悪かったと思ってらっしゃいます?」
「それは勿論だ」
「では、今回の婚約を破談にしてくださいませ」
無理難題だと承知しつつジルへ放つと、相手はウグッと言葉に詰まった。
マリーはそれを既に見切っていたようにゆっくりと目を細め、口元に見惚れそうな微笑を浮かべはしたが、その瞳の色は限りなく氷点下である。
そのままマリーは徐に立ち上がり、扉の傍で控えさせているニアに目配せした。マリーが彼女に全て打ち明けているのは、同席させた時点で父も気付いているだろうが、特に言及はない。
あの日、初めてニアを専属に望んだ時から、彼女の生殺与奪は主であるマリーに任されているし、勿論、その責任も須くマリーのものである。それはジルも承知だろうが、父がニアの実態を何処まで把握しているのかは分からない。
わたくしが彼女を使って何かやるとはお考えにならないのかしら?それとも唯々諾々とわたくしが従うとお思いになられているのかしら?
優雅な足取りで書斎を去りながら、マリーは立ち尽くすジルへ言葉を投げ掛ける。
「出来もせぬのに、許しだけは求める。お父様は、或いは大罪人よりも残酷ですわ」
「私は許しを求めた訳ではないぞ。ただ、娘の名誉をだな」
「謝罪は許しを得る為の道具ですわ。最も簡単で最も安易な」
娘の辛辣な言葉に、ジルは眉を寄せてはいたが、激昂したり反論するなと命令したりはしなかった。
「……お前は幼い頃より、妙に大人びた言動をしていたな。私は若しかしたら『記憶持ち』ではないかと危惧したものだ」
「危惧、ですか?」
「ああ、そうだ」
深く肯くジルに、立ち去り掛けた体勢からマリーは向き直る。正直、驚いていた。何故なら、記憶持ちに関する問いを父にされたことは今まで一度もなかったからだ。
「『記憶持ち』は、伯爵家に恩恵を齎すかもしれないのにですか?」
「だが、『記憶持ち』は苦労する場合が多いのだ。保護される代わりに、役立つ記憶を要求される。聖女だと認定されれば、聖教会へ連れ去られてしまう。例え伯爵令嬢であっても、皇帝教皇双方合意では、確実に幼いうちに奪われてしまうからな」
クシャリと顔を歪め、ジルは口元を片手で覆った。
「お前には平穏無事で波風のない人生を送らせたいと思っていたから、皇国や聖教会に直接関わる立場にはさせたくなかった。お前自身もそういう考えのようだし、安定した田舎の辺境伯あたりに嫁げば良いのではと当たりを付けたりしていたのだ」
マリーは微かに瞠目し、固く握りしめられたジルの右手が震えているのを視界の端に捉え、ゆっくりと目を伏せた。父の本音を漸く引き出せた事に安堵しつつも、逆に身動きが取れなくなっていく予感に苛まれる。
このような、親からの愛情を拒絶出来るほど、マリーも達観してはいない。実際、自分はまだ成人前の小娘でしかないのだ。
「お父様、シュバルツ殿下にお会いするタイミングはわたくし自身が要望を出したいと思います。勿論、非公式でしょうが、ある程度はセッティングされた場でなければなりませんでしょう?実際、わたくしはシュバルツ殿下をよく知らないのですから」
殊更明るい声で言葉を並べながらも、マリーは自ら面倒ごとに踏み入れた感覚に身震いした。
これから先が泥濘なのか、底なし沼なのか、それともある程度は生きやすい場所なのか、自分には見当もつかない。けれど、避けられないならば、どうにか掻い潜って行くしか道はないのだ。
「マリー、いいのか?お前は、」
「ええ、構いませんわ。では、一旦は寮へ戻りますわね」
父の言葉を遮り、マリーは気まぐれな神に試される気配を感じつつ、身を翻した。
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