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1話



 



 皆さん、ご存じだろうか。人生とは、無理やり主人公プレイを強いられるゲームだ。それぞれ、産まれた瞬間から、どんなに無能でも主人公である。生きる為には食事をし、自分で呼吸しなければならないし、更に何らかの義務を果たさねばならない。

 

 例え、どんなにヤル気がなく、意識が低く、無気力無能でも、死なないならば生きねばならない!


 ああ、この理不尽…、この苦痛…、生きていくのが面倒くさい…、でも死にたくもない…


「こんなに意識が低く、無気力なわたくしが、シュバルツ=フォン=ハーゲルンゼ殿下の婚約者など務まりませんわ。お父様もご存じでしょう?」


 14歳の整った顔立ちの少女は、目の前のティーカップにも手を付けず、眉間にあからさまな皺を寄せて、透明度の高い空色の髪をサラリと耳に掛ける。


 現在、伯爵令嬢マリー=フォルクスは、珍しく寮から皇都の伯爵邸へと帰宅していた。

 勿論、同じ皇都内だ。さほど学園寮から屋敷が遠い訳ではない。しかし、普段は勉学に専念する為という理由で、長期休暇に入る区切りが来なければ、両親から顔を見せろと促されようが、何だかんだと言い訳をして、マリーは常に学園に留まっていた。


 そんな彼女が、書簡の返答を出した次の休日には朝から伯爵邸へと戻り、父であるジル=フォルクスに直談判を行っているのだから、今までのマリーからは有り得ないほどに素早い行動であった。


「お前がどんなに無気力でも、皇族からの申し出を断れない事くらいは理解しているはずだが」


 ジルは、諦めろとでも言うように言葉を投げると、談話室の優美なソファーに深く沈み、口の端を曲げてマリーから視線を逸らした。


 おや?とマリーは思った。


 今回の過分な縁談には、皇帝陛下の筆頭補佐官を務める父の、忠義に対する皇族の信頼の深さを示す側面もあるだろうし、幾ら野心皆無な父でも、多少は喜色の気配があるのかと思っていたら、どうやら違うらしい。


 眼前の、苦虫を噛み潰すが如き様に、マリーはジルもこの縁談を内心歓迎していないと知る。


「勿論、伯爵令嬢として必要最低限の礼節と常識は持ち合わせていますわ。ですから、今まで特に注目されることなく、悪目立ちもせず、噂に上ることすらなく、平穏無事に生きてこられたのです。わたくしは何も贅沢を申している訳ではございません。お父様が選んだ方の元に行くのは義務だと自覚しております。

 ですが、此度の縁談は余りにも…、身分違いではありませんか?」


 もしや、父も縁談を断る策を模索中ではないかと期待を込め、マリーは畳み掛けるように一気に言葉を並べてから、ようようジルの顔色を覗った。


「弟殿下なら、母君の身分も伯爵令嬢であったし、それ程は身分違いではないとの御判断だろう」


「本当に皇帝陛下からお父様へ直接お話があったのですか?」


 マリーの期待に反して、ジルからの答えはあっさりしたものだった。マリーは突き放されても尚、問い返す事で食い下がってみたが、旗色は頗る悪い。


「お前の()()()を知っているのに、私が陛下に自ら娘を売り込むと思うのかね?」


「いえ、それは確かにないですわね…。そもそも、お父様は職務には忠実ですが、出世への気概は皆無ですし。お兄様ほどではありませんが、つまらない安定思考で堅実家ですものね」


 暗に『皇族の婚約者には適さない』と己の質に言及され、マリーは不自然な程にニッコリと深い笑みを浮かべながら、己の父を皮肉った。

 普段、口角を僅かに上げる程度の微笑しかしないマリーにとっては、これは最早、強烈な憤怒の表現方法である。


「やはりわたくし、分かりませんわ。お父様のお考え通りなら、わたくしは不出来な娘ですから、このまま婚約などすれば、フォルクス家にとっては百害あって一利なし。ともすれば、禍根となるやもしれません。

 では何故、適正のない娘を生け贄の如く身分違いの婚約に追いやるのか。

 そんな風におっしゃるなら、いっそお父様が嫁げば宜しいのではありませんか?」


「野心的でないからこそ、今のフォルクス家は重用されているのだ」


 答えにもならぬ言葉を返され、マリーはクスクスと声をたてながら、ジッとジルを睨めつけるようにした。


「何を隠していらっしゃるのか知りませんが、きちんとおっしゃっていただかなければ、覚悟の決めようもないではございませんか」


「私とて、何を知っている訳でもないのだ…。ただ、陛下より、シュバルツ殿下たっての希望でお前と婚約させたいとのお言葉があった。…もしや、お前、心当たりがあるのか?」


 今更此方を覗う父の末尾に、苛立ちを隠せず、マリーは優雅な仕草で白檀の扇を広げて口元を隠し、考えるように首を傾げてみせた。


 今回の件、幾らヤル気皆無のマリーでも、死以外のどのような手段でも逃れようがないのであれば、その道に踏み入れるしかない。

 勿論、出来るなら皇族などと関わらず、身の丈にあった平穏無事な人生を送りたかったが、既に別の婚約者がいる訳でもないのに、断れるはずもなかった。


 こんなことなら、父の選定など待たず、とっとと適当な貴族令息でも誑かして婚約でもしとくのだったと後悔したが、今更だ。


「なるほど…シュバルツ殿下の希望…ですか…、いえ、全く心当たりはございませんわ。

 シュバルツ殿下は遠目にも黒髪の美しい怜悧な方ですし、皇位継承権の保有者でもありますから、一学年下とはいえ、ご挨拶させていただいた事くらいはありますけれど、特段、婚約を希望されるような接点は皆無ですわ」


 マリーは思考しながらハッキリ否定の言葉を紡ぎつつ、ジルの藍色の目を真っすぐに見詰め返した。


 シュバルツ殿下の容貌は、白き光に包まれた皇太子とは鏡映しの如く真逆だが、宵闇に臨む海の深い深い煌めきのような、底知れぬ美しさがあった。


 それは、言うなれば父のように、あるいは別種の人生経験を積んできたかのような瞳の深さなのだ。


「お父様、シュバルツ殿下はどういった方なのでしょう」


「どういったとは?」


「何かしら、お辛いお立場なのでしょうか?」


「まぁ、寵妃とはいえ、側妃の子であれば明確に扱いも違ってくるからな。シュバルツ殿下の母君も自ら前に出られる方ではないし…」


 自ら前に出る訳でもなく寵妃、この言葉だけで、色々察する。


 実際、シュバルツ殿下の母君であるテレーズ妃は、公事には殆ど姿を見せない。

 元々、お身体が弱かったらしいが、シュバルツ殿下を成してからはそれが顕著になり、離宮から姿を現すのは建国祭と生誕祭の2回のみで、ここ数年は聖女の花祭りにすら出ては来ない。

 しかも、顔を出しても、陛下や他の皇族や少しの高位貴族に挨拶をすると、直ぐに下がってしまう。


 だから、マリー自身はテレーズ妃を遠目で確認するのみで、直接話したことは一度もない。けれど、遠目でも分かるくらいにテレーズ妃は目立つ容貌をしていた。

 

 このハーゲルンゼ皇国にあって、1番多い容姿は金や茶褐色の髪色で、瞳も茶系が多く、テレーズ妃のような烏の濡れ羽色の髪と黒曜石の瞳は見たことがなかった。

 更に、その肌は一点の曇りもない乳白色で、細く弱々しく、小さき桃色の唇のいつまでも少女の如き風情のテレーズ妃は、未だ皇帝陛下からの寵愛を一心に受けている。


 まぁ、テレーズ妃と直接面識がなくとも、息子のシュバルツ殿下を見れば、その美しさは一目瞭然なのだし、元より皇族に興味の薄いマリーから見ても、陛下が長年彼女を寵愛するのも頷ける話だった。


「テレーズ妃は皇帝陛下が是非にと望まれて側妃となった。

 伯爵令嬢だが正妻の娘ではなく、実母は既に亡かったと聞いているが、東方の踊り子や歌い手だったのではとの噂もある。それをして、平民より下の階級であったと揶揄する者もいたが、陛下が黙らせた。

 今、シュバルツ殿下がテレーズ妃によく似ておられるのもあって、陛下は殿下を殊のほか大切にしておられる。しかし、だからといって、災いを招く周囲の迂闊な行いは、陛下の本意ではない」


 テレーズ妃もシュバルツ殿下も、不明瞭な噂が流れるのも致し方のない立場だが、実際の人となりはマリーにも分からない。


「理解していますわ。後継者争いなど、国が乱れる元ですもの……。

 では、もしや陛下は『伯爵令嬢』をシュバルツ殿下の正妃とすることで、陛下にも殿下にも()()()()はないと内外に示すおつもりなのでは?」


 マリーはパッと扇を下ろすと、急に表情を明るくして、期待を込めた瞳で身を乗り出した。


 今回の件、確かに現時点では絶望的に見える。しかし、例え、筆頭補佐官の父により、避けられぬ道だと命じられても、実質的に求められる存在が『()()()()』であって『()()()()()()()()()』個人ではないなら、脇道へ逸れる方法もあるかもしれないのだ。


 その結果、別の『伯爵令嬢』が巻き込まれ事故で大破しようが破滅しようが、マリー自身の知ったことではない。

 いや、寧ろ、野心満々の伯爵令嬢や、シュバルツ殿下の底知れぬ美しさに目が眩んだ伯爵令嬢など、今までだって雨後の竹の子だったのだ。

 陛下がシュバルツ殿下の為に望むとあらば、これはチャンスと、探さずとも虫の如く勝手にワサワサ沸いて出るだろう。


「わたくしなど、最初からシュバルツ殿下への個人的感情や興味は皆無ですし、お辛いお立場の殿下を、これから生涯に渡り公私共に支えてゆくなど、土台無理だと断言できますわ」


「……父として、お前の性根は理解していたが、それだけ状況を読みながら、シュバルツ殿下自身を真っ向から否定するとはな。

 あの、誰もが見惚れるような素晴らしい容姿を目にしても尚、その台詞を吐ける娘は、お前くらいのものだろう」


 呆れたように深い溜息を吐くジルに、マリーはゆるやかに首を振って見せた。


 確かに、シュバルツ殿下は美しい。流れるような豊かな黒髪のテレーズ妃そっくりの髪は、短く切り揃えられてはいるが、その黒き輝きは、擦れ違うだけで衆目を集める。

 更に、彼の白い指で、針のように真っ直ぐで細い黒髪を掻き上げ、少し伏せた黒曜石の瞳が一瞬流し目をするだけで、周囲の少女たちはヘナヘナと腰が砕けるのだ。

 彼は、現時点で13歳。まだまだ美少年の域を出ていないが、これから青年へと成長していけば、どれだけの男ぶりの美形に為るのか――――――。


『過ぎたるは及ばざるが如し』


 故に、以前よりマリーは、その容姿のみでも実際に人死にが出そうで、シュバルツ殿下の未来を想像するだけで、末恐ろしいと思っていた。


 しかし、想像に震えるだけで済んでいた過去の己は、考えれば平和なものだったのだ。


 現時点、マリーは今まさに、その災いが己に降り掛かかろうとしているのを感じていた。今更だが、気付いたからには、幾ら無気力なマリーでも、全力疾走でどうにかソレから逃れようとする。


「いやですわ、お父様。マリー=フォルクスは、己の身の丈を知っているだけですわ。どのような美しき宝石も、釣り合わぬ者が持てば滑稽なだけ。

 わたくしは、無気力無能な己を知り尽くしておりますし、滑稽な道化者に成り下がりたいとも思いません。

 わたくしの望みは、為るだけ苦痛の少ない、身の丈に合った平穏無事な生涯だけでございますから」


「フォルクス家の教育が行き届き過ぎた結果が、お前なのだろうな」


 そう呟くと、少し悲しげに眉をひそめ、ジルは膝を揃えてからマリーに向き直った。


「お前の考えは合い分かった。しかし、その希望的観測は間違いと云わざるを得ない。私とて、お前にいらぬ苦労をさせたい訳ではないのだ。

 最初は、フォルクス家の今後の為にも、陛下に出来る限り食い下がってみた。しかし、陛下の仰るには、()()()()()殿()()()()がお前に夢中だと、心底惚れ抜いていると、お前以外とは絶対に結婚しないと断言されたと……、『この世の誰より、マリー=フォルクスを愛している』のだそうでな……」


 何とも云いにくそうに、ジルは言葉を紡ぎ、信じられぬものを見るように瞠目するマリーに、ことさら神妙な面持ちで、声を潜めて問うた。


「本当に、お前には心当たりはないのか?いや、その……、学園で密かに()()()を交わしたとか……、そういう……」


 腹黒とは言え、成人前の乙女のマリーが、その卑猥極まる実父の発言を理解するには、ゆうに数十秒を要した。


「なっ、」


 未だかつてない程に吃驚し、衝動的に令嬢としての礼節を忘れ、生まれて初めてマリーはローテーブルにぶつかる勢いで立ち上がった。


 一瞬、ガチャン!とローテーブルの上の陶器が音をたてたような気がしたけれど、次の瞬間には、マリーはテーブルクロスごとティーセットをひっくり返しながら、貧血で床に卒倒していた。








ブックマークありがとうございます!宜しければ、ご評価ご意見ご感想などあれば嬉しいです!


次の更新は2日の夜です。

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