打診
白桜が桃苑を伴って、都を見物していた同時刻。
国王・桜月の御所にて、桜月と王妃・春玲、左丞である柊明が顔を付き合わせなにやら話し込んでいる。
左丞とは、国政の実権を握り、王の補佐をする役職である。
梅の花が咲く季節とはいえ、宮の中はひんやりとして、吐く息が白くなる。
暖房のために隅に置かれた火鉢から、木炭が爆跳する小さな破裂音が、ときおり聞こえてくる。
「白桜は?」桜月は、内官が入れてくれた暖かい茶を飲みつつ問う。
三人の前には、小さな几があり、そこには三人分の暖かい茶が入った湯飲みが湯気を立てている。
湯飲みは、漆黒の地に金の塗料で国花である。牡丹の花が描かれている。
「恐らく都でしょう。白桜に言いつけておいたのですが……。わたくしの言いつけは聞かぬようで……」
春玲は口元を押さえる。
「まぁいい。戻ったのちに話をしよう」
桜月は湯飲みを机に置くと、身に纏っている唐紅の深衣を正す。
「話というのは他でもない。我が息子白桜のことだ」
桜月は徐に口を開く。
「白桜もはや十八。そろそろ、妻を娶っても良いのではと思うてな」
「白桜様に正妻を?」
柊明の問いに桜月と春玲は揃って頷く。
「では、わたくしに正室選びの手助けをせよと?」
柊明の問いに反し、桜月は頭を振る。
「いいや。そうではなく……。
柊明。そなた、娘が一人いたはずだが……」
「愛娘の白蓮のことでございしょうか」
「左様」桜月は大きく頷いた。
「余は白桜の正妻に、左丞の娘を…と思案している。
幼馴染みということもあり、白桜のことを理解し良き支えになってくれるだろうと」
思ってもいない言葉に、柊明は眼と口を開け呆けた表情を見せる。
国の左丞という政の重鎮である柊明にとって、愛娘が未来の国王と正室になれば、自分は外戚として王室の後ろ盾が付くことになり、より重要な官位、即ち丞相に就ける可能性も高くなる。
この縁談は、柊明にとってもまたとない好機である。
「王様。ありがたきお言葉にございます。
白蓮は幼少の頃より白桜様を好いてお慕いしておりました。これ以上の慶事がございましょうか」
柊明が莞爾を浮かべ、幾度も頷いた。
「お嬢様が白桜を、好いていらっしゃるのはわたくしも承知をしております。
この縁談は、お嬢様にとってまたとない、好機となりましょう。白桜が即位し、お嬢様が国の母となれば、この国はより富にあふれる国になるかと」
春玲は柊明を見据え、柔らかく微笑む。
「祝言の日取りや詳細は内官によって、通達をさせる。
まずは柊明自ら、愛娘に縁談が来たことを説明した方が良かろう」
王宮から邸への道すがら、柊明の足取りは軽く笑みを押さえられないでいた。
普段なら、行きも帰りも輿に乗るのだがこの日は、思いもよらない好機にわざわざ使用人が用意をした輿を断って、自ら帰路につく。
邸の門を潜ると、庭の手入れをしていた使用人らが、一斉に手を止め「旦那様。お帰りなさいませ」と、頭を下げる。
この国の身分の高い者の邸は皆、小さな家の集合体であり、家と家を渡り廊下で繋いでいる。
柊明が邸の中へ足を踏み入れると、一人の少女が姿を見せた。
少女は、この邸にて白蓮に仕えている侍女であり、名を梅月という。
梅月は、雀色の髪を二輪に結い飾りの付いていない簪を差している。
梅月が身に纏っているのは、薄黄蘖色の衣に淡緑色の裙であり、広い裾が汚れぬように襷を締めている。
「白蓮はどこにいる?」
自室に続く渡り廊下を歩きながら、振り向きもせず梅月に問う。
「お嬢様ならお部屋にいらっしゃいます」
「すぐに、私の部屋に連れてこい。話がある」
「承知いたしました」
そう言い残すと、身を翻す。
「お嬢様。旦那様より、お部屋にお伺いするようにとのご通達にございます」
梅月は白蓮の部屋の前で声を掛ける。人が動く気配がしたかと思うとすぐに、障子戸が開き一人の美しい少女が姿を表した。
薄荷色の衣に天色の裙を合わせ、純白の薄布を用いた披帛を肩から流している。
披帛には、金色の糸で亀甲模様が刺繍され、裙には白蓮の名の通り純白の糸で蓮の花が刺繍されている。
漆黒の髪を、梅月と同じく二輪に結い、金色の歩揺を指している。
「お父様が?」小鳥の囀りのような声音と共に、白蓮は小首を傾げる。頭を動かす度、歩揺の蓮の飾りが涼しげな音を立てる。
「お話したき儀があると」
「そう」白蓮は素っ気なく答えると、渡り廊下を歩き出す。
柊明の部屋の前にて、梅月は口を開く。
「旦那様。お嬢様をお連れいたしました」
「中へ」柊明の声に、梅月は襖を開く。
部屋の一番奥に備え付けられた、一組の几と椅子があり柊明が椅子に腰を下ろし、莞爾を浮かべている。
白蓮は部屋に足を踏み入れると、袖から白い指を見せぬように隠し揖礼をする。
「座りなさい。
梅月も中へ」
部屋の外で控えている、梅月に促す。
白蓮が几を挟み向かい合い、梅月が襖を閉め控えると柊明は口を開く。
「白蓮。そなたに縁談が来ている」
柊明の言葉に、白蓮と梅月は揃って目を見開く。
「お相手はどこの殿方でしょうか」
「誰だと思う?」
柊明は身を乗りだし、悪戯を企むかの如く笑う。
「わたくしがこ存じの方でしょうか」
縁談の相手が、想いを寄せている者だとは夢にも思わず問いを重ねる。
「ああ。良く知っているはずだ」
白蓮の視線が宙を浮く。
柊明は笑みを浮かべたまま、相手の名と身分を明かす。
「縁談のお相手は、この国の王子・白桜様だ」
まさか―。
白蓮は口を開け呆けた表情を見せる。
「誠にお嬢様は白桜様の正室に?」
梅月は猜疑を掛け問う。思わず、声が上ずる。
「誠だ。
今日、王様と王妃様から打診があった。白蓮が良ければ正室にと。
祝言の日取りなど詳細は後に、内官が通達に来る。
良かったな。好いている者の元に嫁げて」
白蓮は顔に満面の笑みを浮かべ、何度も頷く。白蓮は速く脈打つ胸に手を置き、目を閉じ自分に起こった慶事を咀嚼していく。
白蓮は現在、数え十七。年齢から考えても、いつ縁談の話が持ち込まれてもおかしくない。だが、まさか自分が王室に正室として嫁ぐなど、少しも予想していないことであった。
故に、感慨も一入である。
慶事を噛み締めている白蓮から、梅月に視線を移し柊明は口を開く。
「梅月。
侍女のお前も、女官として王室に入ることになる。白蓮のこと宜しく頼む。
それと白蓮」
白蓮は目を開け、柊明を見据える。
「王室に嫁ぐということは、いわば王族の一員となるということだ。それ相応の、覚悟がいる。甘えは一切許されない。
白桜様が王にご即位されれば、そなたはこの国の母となり、共に弥栄な国を造らねばならぬ。
故に、王様と王妃様の懐に入り、また白桜様のご寵愛を受け、立派なお世継ぎを授かり、王室を繁栄させること。
これがそなたの使命だ」
「承知をしております。お父様」
白蓮の真摯な目から、どのような苦境に立たされようと、必ず王妃の座に登り詰めるという、強い意志が感じられた。