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fiel 上***

推奨:最低でも第二部「男難の相2」読了/できれば「サハリィの街にて3」読了

時間軸:第二部開始前

フィエル/サハリィ当主/???


「フィエル」


 父の声が呼ぶので、彼女はくるりと振り返った。爪弾いていた竪琴を置いて、「どうしたの、お父様」と立ち上がる。

 戸口のところに立っていた父の後ろに、見慣れない女がいた。思わず怪訝に瞬きをする。自分とさして変わらない年頃の、若い女に見えた。金髪は決して珍しい色ではないが、顔立ちが異国風の小柄な女である。


 父が一歩横にずれて、女の背を軽く押した。

「この子に、適当に服を見繕ってくれないかね。お前の昔の服なら、丈も合うだろう」

「良いわよ。でも、その子どこから連れてきたの?」

 眉をひそめて怪訝に窺うと、父は微笑んだ。


「知り合いが拾ってきた子で、身寄りがないそうなんだ。世話を頼めるね」

 何やら含みがありそうな表情に戸惑いつつも、フィエルは素直に頷いた。経緯は不明だが、彼女は大人しそうだし、よく見れば顔立ちも良い。ボロ布同然の服を着せ替えてやって、血色の悪い頬に紅をはたいてやったら、随分と可愛くなると思ったのだ。


 果たして、彼女の変貌はフィエルの予想以上であった。左右で形の整った両目をぱちりと開いて、女が不安げにこちらを上目遣いで見やる。眉を八の字にしながらも、彼女はまるでどこぞの姫君のように見えた。己の腕前に満足して、フィエルは悦に浸る。


 彼女に着せてみたい服は他にもたくさんあった。長い髪は癖がなくて弄りがいがありそうだ。素直で大人しそうな態度も気に入った。

「お前、可愛いわね。どう、私の侍女にならない?」

 長い睫毛を上下に動かして、彼女は面食らったように少し黙った。それから、おずおずと口を開く。

「……よろしい、の、ですか?」

 初めて口を開いた彼女の発音はぎこちなく、異国から来たのは間違いない。それでは、さぞ心細いことだろう。不安げな顔をしている彼女に、フィエルは胸を張って言い放った。

「当たり前よ。――サハリィ家の姫ともあろうこのフィエル・サハリィに、二言はなくってよ!」



 身寄りがないどころか記憶も名前もなかった彼女は、存外にすぐ屋敷に馴染んだ。飯炊き女たちの輪に入って笑っている彼女を遠目に眺めながら、フィエルはくすりと笑う。あの子がこんなに明るくなるなんて、何だか自分の手柄のように誇らしかった。

「それで、フィエル様がね」

 彼女の溌剌とした声が風に乗って届く。自分の名が聞こえたので思わず顔を向けてしまうと、飯炊き女の一人がこちらに気づいたらしい。背を向けていた彼女の肩を叩き、全員がフィエルを振り返ってしまう。何となくばつが悪くてはにかむと、彼女がぱっと立ち上がって駆け寄ってくる。

「フィエル様」と嬉しそうな声に目顔で応じて、フィエルは微笑んだ。妹がいたら、こんな感じなのだろうか、とふと考える。フィエルには兄弟も母もいない。


 毎朝フィエルが服を見繕って髪を結ってやるので、使用人の中でも彼女は一際美しく見える。庭師や厩番なんかから度々声をかけられているのも目撃したことがある。そのたび、少し困ったような顔をして立ち尽くしている姿も。

 もし、彼女がその中の誰かと恋に落ちて連れ添うことになったら、連れて行けないなと少し残念に思う。

 何せ、自分はもうすぐナフト=アハールの宮殿へ、寵姫として嫁ぐのだ。




 父に呼び出されたのは、出立が目前に迫った頃の宵の口であった。明かりの少ない談話室で、父とともに待ち構えていたのは、身を縮めて蒼白な顔をする名無しの彼女である。彼女が父と一緒にいるのは珍しい。真正面から視線が合ったのに、彼女はまるで火でも触れたように顔を伏せてしまう。

 妙だ、と嫌な予感が押し寄せて、フィエルはその場に立ち尽くした。「座りなさい」と父に促され、上手く動かない足を踏み出して、椅子に腰かける。


「さて」

 呟いた父の顔に、燭台の揺らめく炎の明かりが当たる。影の落ちた目元からは表情が読めない。

「お前が寵姫となるのは何のためか、言えるかね」

「……アドゥヴァ様の寵を得て、サハリィ家を繁栄に導くため、でしょう?」

「その通り。お前は昔から物わかりの良い娘だった」

 父は満足げに頷いて、フィエルをじっと眺めた。


「そのためには、他の娘たちとは一線を画すような、並外れて美しい姫を用意せねばなるまいな」

 部屋の隅で体を固くしている女を、父が一瞥する。その視線の意味を悟って、フィエルは息を飲んだ。

「フィエルとして『それ』を宮殿に入れ、お前はその侍女ということにするのが、最も相応しかろう」

 決して軽くはない椅子を蹴倒して立ち上がったのは、無意識だった。はっと息を飲んで、彼女が怯えたようにこちらを見上げる。父は恐ろしいほどに穏やかな笑顔で、「聞き分けなさい」と言うだけである。口元こそ笑っているが、その表情に親しみはない。まるで別人になってしまったかのようだった。


 父の言葉に、彼女はひたすらに身を縮めるばかりで、驚いた様子はない。だから、この話は既に彼女と合意の上なのだと悟る。

 瞳を揺らす彼女に対して、思わず「裏切り者」と呟いていた。

「あなた、最初からこれが目的だったのね? 卑しいこと……拾ってもらった分際で、なんて恩知らずなの!」

 強い語気で彼女を詰る。反論や否定の言葉を待っていたのに、彼女の口から出たのはただ一言のみだった。

「ごめんなさい、フィエル様……」

 長い金髪を揺らし、『フィエル』が濡れた瞳で囁く。その美しさに、心が決定的にひび割れる音がした。



 ***


 宮殿に入る前日に、ナフト=アハール近郊の街の宿屋で、フィエルは鋏を手に隣室の扉を叩いた。自分と同じ色彩をした長い髪が、瞼の裏にちらつく。宮殿に入るべく着飾った姿は、まるで自分よりよほど姫君のようで、それがどうしても、許せないのだ。

「フィエル様」

 細く扉を開け、不安げに顔を覗かせた彼女の髪を鷲掴みにして引き寄せる。片手に構えた鋏を見て、彼女がはっと息を呑んだ。


 自分が何をしようとしているか分かっただろうに、彼女はほとんど抵抗しなかった。無残に髪を切り落とされた姿を見下ろして、フィエルは荒い呼吸を繰り返す。

 分かっている。きっと、この入れ替わりは彼女が言い出したことではない。彼女もまた父に命ぜられてここにいるのだと。

 分かっているけれど、それでも、フィエルは彼女フィエルを許せなかった。


「良いこと、フィエルとして宮殿に入るのは私よ」

 声高に宣言する。彼女は虚ろな目をしてこちらを見上げていた。


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