手に収まらぬほどの*
推奨:第一部読了
時間軸:帝都陥落後
アニナ/ウォルテール
「招待客は、こんな感じで良いでしょうか」
アニナが腕を組んで、名前が羅列された紙を見下ろす。隣で名簿を眺めながら、ウォルテールは少しだけ唸った。話題は、目下計画中の結婚式である。
互いの親族、友人、職場での関係者。招待客はおおよそそんなものだが、悩ましい点がひとつあった。
「……カナンは招くべきだろうか」
「……それですよね」
顔を見合わせて、しばらく沈黙する。カナンによる帝都侵攻の余波は、まだ収まりきらない頃である。幼くして新たな皇帝となった第二王子ユイン、その側近の座に納まって実権を握っているカナンは、帝国中を回っては日夜忙しくしている。こんな個人的な式に呼んでも、体が空いているかどうか。
……そもそも、招待して良い関係性なのか?
「正直、ちょっと気まずいですよね」
「俺の家族も来ることを考えると、尚更な……」
アニナは目を伏せて、肯定はしないが否定もしない相槌を打った。もの言いたげな様子なのでじっと待っていると、彼女はおずおずとこちらを見る。
「……でも私、カナンくんをのけ者にするみたいなこと、したくないです」
「うん」と、自然と声が漏れていた。自分でも驚いた。アニナは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに表情を和らげて微笑む。
「ロウダン様、」
躊躇いがちの囁き声で、アニナが呟いた。顔を向けると、甘えるように肩に頭が乗る。
「……それとも、他のお客様が嫌がるでしょうか」
カナンは属国の出身である。帝国の領土は、属国や元々別の王国だった土地が大半を占める。その点で、彼は帝国において一定の支持を受けていると言えた。カナンが属国に対して親和的な態度を示していることもある。
一方で、国内の権力者は帝国の人間が占めている。帝都圏ではカナンに対する反発は未だに大きい。表沙汰にはなっていないが、彼の周囲では相当な数の暗殺騒ぎや刃傷沙汰が起こっている。軍部の中でも、それを当然だとする人間は多く、実質的な解決には至らない。恐らく一つ一つを叩いてもきりがないだろう。
アニナの表情は晴れず、城で何か見聞きしたのだろうと悟って、ウォルテールは少し眉根を寄せた。片手で肩を引き寄せると、アニナは更に寄りかかってくる。
「私、カナンくんを好きでいても良いのかしら」
気落ちした様子で漏らすアニナを見下ろして、数秒言葉に詰まった。湯上がりでまだしっとりしている栗毛を手持ち無沙汰に弄びながら答える。
「……俺が妬かない程度になら」
間を置いて、ぷっとアニナが噴き出した音が聞こえた。それから心底おかしそうな笑い声が続き、指先で目尻を拭いながらアニナが振り返る。
「ロウダン様のことはね、あのね、『とっても大好き』ですから心配要りませんよ、わっ!?」
屈託のない笑顔を見ているうちに妙な感慨が込み上げて、ウォルテールは思わずアニナを抱き寄せていた。「何するんですかぁ」とアニナは照れ混じりで背に腕を回してくる。そのまま、少し黙る。
「……私ね、誰のこともすぐに好きになっちゃうんです。昔から、どんなに嫌なことをされても、すぐに許しちゃうの。一度好きになると止められなくて」
そう言いながら胸元にぐりぐりと額を押し当ててくるアニナの体が、本当に小さいのだ。両腕で強く抱き竦めればあっさり折れてしまいそうに心許ない。
「悪い癖だって分かってるんです。気持ちの切り替えができない馬鹿だってことも。……でも私、誰かを憎むのが苦手な自分も嫌いじゃないんだもの」
うっかり背骨を砕かない程度に、慎重に腕に力を込めた。アニナが喉の奥で忍び笑う。「そんなに恐る恐るしなくても大丈夫ですよ」と、小さな手が頭を撫でた。息を止めたウォルテールを見上げて、彼女がふわりと頬を綻ばせる。
「――ほんとうに、優しい人なんだから」
そう言うと、アニナは両手でウォルテールの右手を握り込んだ。思ったよりも強い力だった。真っ直ぐな眼差しで微笑む彼女を見ながら、感嘆の溜息が漏れる。自分には勿体ないほど強い人だと思った。
人が懊悩し、拘泥しているような事柄を、この人はこんなにも小さな体で、こんなにも容易くしなやかに飛び越えてゆくのだ。
ふと両手を頬に添えて顔を寄せると、アニナは瞬く間に耳まで真っ赤になった。「あ」だの「う」だのと漏らしながら、両目を見開いて縮こまっている。息を漏らして笑うとアニナがぎゅっと目を閉じた。
「――失礼します、明日の予定に関してなのですが、」
「わ、わーッ!」
前触れなく扉が叩かれると同時に、アニナが限界を迎えたらしい。真っ赤な顔で腕を振り上げた拍子に掌底がもろに顎に入り、ウォルテールは思わず仰け反って呻いた。なかなか筋の良い突きだった。新兵の訓練に放り込んでも良いかもしれない。
(初出:2021/4/4)