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日々を語るのは家  作者: 尾結いなり
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尾無し狐と桃の仏像 1

 春眠、暁を覚えず。

 春の気候が心地よくて、つい寝過ごしてしまう――という隣国の詩だ。

 全くもってその通りだ。どうして、春のお天道様はこんなにも人を(おっと、俺は妖怪だったな)堕落させるのだろう。

 もうひと眠りするかーと、夢の世界に意識を持って行こうとした時、


――うっぐ、うぅ……。


 どこからか泣き声が聞こえてきた。

 ……またあいつか。すぐに泣き虫の正体が思い浮かび、自分の中(陰明寮内)をくまなく探す。

 机にかじりつき、筆を動かす陰明師。腕一杯に書物を抱え、廊下を歩く式神。師の教えを一語一句聞き漏らさぬように、帳面に書き留める見習い陰明師達。

 おや、どうやらここにはいないようだ。となると、あっちかな?

 敷地の外れに建つ俺の分身に意識を飛ばす。

 この分身は牢舎として使われている。主に悪事を働き、陰明師に捕まった妖怪が収容される。だが時折、規則を破ったり、上司の反感を買ったりした陰明師や式神もぶち込まれる。


「うぅ……ひっぐ……」


 思った通り、薄暗く、狭い牢舎に泣き虫はいた。

 格子に挟まれた通路で、折った膝に顔を埋めて、肩を震わしている。

 泣き虫の名前は、十岐(とき)。一見すると幼い顔をした少年だが、その正体は妖怪だ。

 勾玉の首飾りが、陰明師に仕える妖怪『式神』であることの証だ。


『今日から式神になった九尾だよ』


 数か月前。十岐を式神に迎え入れた陰明師の言葉に、皆、耳を疑った。

 何故なら、新入りの式神には、九尾の象徴である九つの尾が一つもなかったからだ。

 妖狐や化け狸など、尾のある妖怪はそこに妖力を宿すと聞く。

 そのいわれ通り、尾無しの彼は、九尾の十八番である変化も、狐火を飛ばすことすらも出来なかった。

 正直、何でこんな奴を式神にしたんだ? と疑問に思ったさ。


『――十岐。今からそう名乗りなさい。

 君にはね、陰明寮の掃除や雑用をこなしてもらうよ』


 陰明師が彼に与えたのは、名前と仕事、それと――


『これを使いなさい。狐の姿のままでは、箒を握ることさえ難しいだろう?』


 人間の死体だった。

 十岐は死体に憑依して、与えられた仕事に従事した。


『新入りのおかげで、どこもかしくもぴかぴかだ。気持ちよく仕事が出来るってもんだ』


 そう感謝する一方で、十岐を気に入らないと思う式神もいる。

 人間と妖怪が関係する相談事を解決に導く――それが、陰明師と式神の仕事。

 話し合いで収まることもあれば、逆上し、危害を加えてくることだってある。

 そうなれば、拳、刃、弓、妖術が飛び交う戦場と化す。

 当然、傷を負う。そのまま戻らない運のない奴だっている。

 式神であるのに、術一つ使えない理由で、その仕事を免除されていることが十岐が一部の連中に嫌われている理由なのだ。

 連中は十岐を見かける度に、陰口を囁く。それだけでもひどいが、直接意地悪を働く心ない奴らもいる。

 今日も、そいつらから牢舎の見張り役を押し付けられたに違いない。


「……ひっ……ふっ……ひっぐ……」


 ああ、見てられねぇな。よし、ここは俺が……っと、危ねぇ、危ねぇ。

 十岐を慰めようとしたが、この前のことを思い出して、慌てて踏みとどまる。

 以前にも彼を泣き止まそうとしたことがある。人間の母親が我が子を抱いて揺らして、あやすように。

 しかし、家の俺がやった結果――、

「じ、地震だ!」「早く外へ!」「頭を守るんじゃー!」

 ……とまぁ、大事になっちまったんだ。

 結局、彼の涙が止まるまで待つしかないのか。


「いい加減、泣き止まぬか」

「……?!」


 突如、牢舎に響く声。

 十岐は顔を上げ、泣きすぎて真っ赤になった目で、声の主を探す。


「こっちだ。お主の後ろ――もっと視線を下げてみろ」

「――わぁっ?!」


 格子の奥にいたのは、黒い小人だった。

 雀ほどの大きさのそれは、墨で塗りつぶしたかのように全身真っ黒で、目や鼻や耳、口など顔を成形する部分も見当たらない。一体、どうやって声を出しているんだろうか。

 ただ、枝の如く細い腕に巻き付けられた赤い紐だけが色彩を放っていた。

 そういや、この小人、先週、陰明師が捕えた妖怪だったな。こんな小ささで一体、どんな悪さをしたんだか。ちなみに今、小人以外の囚人はいない。

 他人の容姿についてとやかく言うのは失礼承知だが、こいつ――、


「真っ黒で不気味――と言いたいのであろう?」

「――っ!!」


 どうやら、十岐も同じことを思っていたようだ。小人に心中を見抜かれ、赤面している。


「ご、ごめんなさい……」

「平気だ、気にせんよ。慣れているからの。だから、お主も気にするな」

「……え?」

「確かに、お主はチビで間抜けな面をしているが……誰に何と言われようが、鶏が鳴いているとでも思っておれ」

「ちょっと待って」


 濡れた頬を、着物の袖でゴシゴシ拭い、


「何で、僕が容姿を悪く言われて泣いていることになっているんですか? そもそも、この体は依代。本当の僕はりりし――ううん、何でもない」


 言いかけた言葉は、凛々しい。自分が尾のない狐だと思い出して、口をつぐんだろう。


「では何故、泣いていたのだ? 泣くと、幸せが逃げてしまうぞ」

「……元から僕に幸せなんてものはありませんよ」

「……そうか。なら、幸せになれる方法を教えてあげよう。

 ――我をここから出すのだ」


 はぁ?! 何言っているんだ、こいつは!!

「するわけないでしょう!」と、十岐も眉を吊り上げる。


「そもそも、脱獄して、幸せになれるのはあなただけでしょう!」


 その通りだ。

 今度は、陰明師に叱られた十岐が牢舎に入ることになる。

 しかし、小人は十岐の着物の袖を掴んで、諦めを見せない。


「せめて話だけでも聞かぬか?」

「聞きません! 壁に向かって、話せばいいでしょう!」


 小人を振り切り、牢舎を出て行こうとする。

 だが、見張り番の最中であることを思い出したのか、十岐は溜息をつき、再び座り込み、項垂れる。

 そんな事情を露も知らぬ小人は、十岐が心変わりをしたと勘違いして、声を弾ませる。


「おお! 聞く気になってくれたか!」

「そうじゃありません」


 嬉しさのあまり、その言葉は聞こえなかったらしく、小人は話を続ける。


「――さあて、まずは何から語ろうかな」


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