人魚姫の夢
ポチャ……ポチャ……。何かが水底に落ちる音がする。それはまるで何かの願いが掌から零れ落ちるよう。
ポチャ……ポチャ……。
ポチャ……ポチャ……。
そんな時、誰かが云った。
「願いを叶えてあげましょうか?」
その声が響いた瞬間、意識が戻されたーーーー……。
いつも通りの朝。外では皆、忙しく仕事を始める。
今日も私は足手まといなのね、と彼女は無い脚をさすった。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ウェルチ」
「早速ですな。お嬢様は」
機嫌が悪いなんて、彼は云うけれど、いつもの事だわ。
「いつも……でしょう?」
「仰る通りですが……」
「……ですが、今日くらい、明るくしていなければいけません。何せ、お嬢様の婿殿をお迎えする日なのですから」
「あぁ……だから、そんなに嬉しそうにぴょこぴょことしっぽが動いているのね?」
「……な……ごほん。そんなんじゃ、ありません。獣人とあるものしっぽは付き物です」
「でも、嬉しいんでしょ?」
「う……嬉しくない訳……」
「ないわけないわよね? ウェルチ?」
「……嬉しいですけど……うぅ……お嬢様、意地悪です……」
ひたりひたりと忍び寄るように唄う声がする。
「君が人魚姫だね?」
「初めまして。僕は紅蓮だ。紅蓮・アダージュ。以後お見知りおきを」
「俺はラ・ム・サールだ。お嬢様。獣人族だ」
「僕達には君が必要なんだ」
ねぇ……どうして……お嬢様が必要なんでしょうか?
脚のないお嬢様を。
君の名を呼びもしない彼らが……。
ポチャ……ポチャ……。何かが水底に落ちる音がする。それはまるで何かの願いが掌から零れ落ちるよう。
ポチャ……ポチャ……。
ポチャ……ポチャ……。
結婚し、引き取られた先。籠の中の変わらない日常。脚無しの私に出来る事など何も……。
聴きたくない。
聴きたくない。
真っ暗な夢の中、誰かの声がする。
泡をごぼごぼと吐き出したかのように、闇底から昇って来る。
聴きたくないーーーー!!
そう叫ぶ声がして目が覚めた。
ある日、男が現れた。人の成りをしているが、その実、人でも獣人でもない者。
「ねぇ……君は、逃げ出したい?」
そう訊いた彼。
ある日の隠された庭先でだった。
彼に逢い、夢を視なくなった。水底の夢を。けれど、ねぇ……。
「名前を呼んで」
「私を愛して」
その言葉が届かない。
まるで本物の人魚姫。どうして声が無いの?
その言葉だけが……。
「君は逃げた方がいいよ」
庭先にまた彼が居る。
哀しそうに、私を見つめて。
「脚をあげる。自由に飛んでみなよ。此処から出る為に」
夢のようだった。けれど、現実だったらしい。
無い筈の脚を本来ある場所に取り戻した私。
その脚で初めて外へ歩く。
「赦さないよ」
声が響いた。水底から濁流が押し寄せるように。
「また、君は僕達から逃げるの?」
「俺達を裏切るのか?」
「あんなに愛してあげたのに」
知らない。知らない。私は知らない。
なのに何故? こんなにも怖いのだろう?
彼らがこんなにも怖いのだろう?
人間は土の罪を、獣人は獣の罪を犯す。
「君は必要とされ、愛された。けれど……」
「見つかったのは土の中。脚は獣の胃袋の中だよ、×××」
「君を助けられなかった」
「君を……助けられなかった」
「僕が君を“迎えに行く筈だった”のに」
「ねぇ……君を助けられなかった僕を……」
ポチャ……ポチャ……。何かが水底に落ちる音がする。それはまるで何かの願いが掌から零れ落ちるよう。
ポチャ……ポチャ……。
ポチャ……ポチャ……。
そんな時、誰かが云った。
「願いを叶えてあげましょうか?」
その声が響いた瞬間、意識が戻された。
もう二度と、そう呟いた声が泡となって、消えてーーーー……。