4話『天使』
「……う、うぅ」
「あっ、大丈夫ですか?」
畳の上で呻く男の額に、固く絞った濡れタオルを乗せてやる。
それから同じように濡らしたハンカチで首の汗を拭ってやっていると、男のまぶたがうっすらと開いた。
その隙間から、何か探すように揺れる黒目が見える。
「……ここ、どこ?」
「えっと、木村商店の奥座敷です」
木村商店。
木村タミ子と言うお婆ちゃんが一人で営む、昔懐かしい駄菓子屋スタイルの個人商店だ。
店の軒先で限界を迎えた発熱男と、それを抱えた半べそ男子高校生。
僕だったら関わりたくない取り合わせだが、『あらあら大変』と言う、ちっとも大変そうじゃない台詞と共に颯爽と現れたタミ子お婆ちゃんは、店の奥の座敷へと僕らを招いてくれた。
ほとんど意識の無い彼をようやっと運びこみ、身体から引き剥がし、横に寝かせて数分が経ったところだ。
「木村? ああ、そっか。俺、風邪ひいてて……」
どうやら自分の体調の異変には自覚があったようで、彼が状況を把握するのは一瞬だった。
マスクもしていたし、具合が悪いのに無理をして外出していたのだろう。
彼が起き上がろうとするのを手伝い、用意していた水を飲ませる。
「僕、森園って言います。お名前は?」
聞くと、掠れた声で"佐藤"と言った。
「佐藤さん。どうしますか? 病院行った方が良いと思うし、タクシーとか、呼びましょうか? なんなら僕、付き添いますよ?」
「……いや、病院は昨日行って来たんだ。ただ、家になんもなくて」
なるほど。
食料が尽きて仕方なしに出てきたと。
病院に行った時に買い出しをしなかったのか。
それで体調不良のピークに外へ出てくるなんて、何とも要領の悪いことだ。
「ってことは、薬はあるんですよね」
「ああ。昨日も飲んだし、ちょっと治ってきた気がしたんだよ。だから、一番近い婆さんの店に……」
雨が振りだしたのはついさっき。
佐藤さんが傘をさしていたことを考えると、すぐ向かいにあるあのアパートだろうか。
あの距離なら連れて行けなくも無い。
乗り掛かった船である。
暇だし。
この人、僕のクッキー食べてくれたし。
広くはないが、タミ子お婆ちゃんの店は意外と品揃えが良い。
「家まで送っていきます。ついでに、迷惑でなければ何か作りますよ」
そう提案すると、佐藤さんは呆気にとられたような顔をして、一言。
「……天使か」
……言いすぎである。