10話『開口』
「そうか。良かっ……た……」
「あ、あれ? ちょっ、佐藤さん!?」
ま、まさか……。
嫌な予感がする。
ソファーの上で、僕にもたれ掛かるようにして佐藤さんが崩れ落ちた。
小さく呻いているようだ。
「……う、ん。しゃ、喋り過ぎた」
「でしょうね!」
少し寝て、少し食べただけで、そんなすぐに治るはずが無い。この人は何度倒れれば気が済むんだろう。
まったく、何が悲しくて自分よりも大きな男に膝を貸さねばならないのか。
とにかくどうにかしよう。
やるなら徹底的に。
どうせ、今日一日で終わる関係では無くなったのだから。
「うぅ……体、痛い」
辛そうな彼の背中をさすりながら、こっそりとため息を吐く。頼まれなくたって僕はこの人の世話を焼いてしまう気がする。
まぁ、実際に頼まれたのは世話というより自立した生活を目指す為の手伝いのようだけど。
「佐藤さん、今日はとりあえず薬飲んで、後は絶対安静ですよ」
「森園、くん。あのさ……」
「喋るの禁止です」
「いや、でも……」
「治ったら聞きます」
これ以上口を開かせたら次は何を口走るか分からない。
そう思って強めに止めると、佐藤さんが訴えかけるような目をした。
僕の固い膝の上で。
意外と頑固だな。
そうは思ったが、心を鬼にして無視する。
えーっと、これから残ったお粥を保存して、洗濯物干して、それから掃除して。
あ、自分も何か食べなきゃな。
「佐藤さん。僕、洗濯物干したら一回自分の家に帰りますね」
「えっ……」
おい。
大の大人がそんな心細そうな顔するなよ。
これじゃどっちが年上か分からない。
僕はまだ十七だぞ。
「その方が静かに寝れるでしょ。夕方にはまた様子見に来ますから」
「……ありがとう。でも、悪いな。迷惑かけて」
「気にしなくても大丈夫ですよ。夏休みなんで暇ですし」
そう。夏休み。
バイトも補習も無い。
彼女もいない。できる予定も無い。
言葉のキラキラしたイメージとかけ離れすぎて忘れそうになるけれど、僕は今、確かに高校二年の夏休みを消費しているのだ。
「夏休みか。俺も、今、夏季休暇二日目だ」
「えっ……」
ちょっと待て。佐藤さん、昨日病院に行ったって言ってたよな。ってことは、休暇始まった途端に熱出したのか?
勤め先にとってはありがたいだろうが、何て言うか、ついてない。
僕より悲惨な夏休みだ。
しかし、そんな哀れみの眼差しなど意にも介さず、彼はふっと微笑んだ。
「ついてたな」
「え?」
「風邪ひいたおかげで、良い友達が出来そうだ」
「…………」
また。またかこの野郎。
口を開けばこっ恥ずかしいことをしれっと言う。
だから喋らせたくないんだ。
熱のせいか、それとも通常運転なのか。
本当に困る。僕まで感化されてしまうから。
「……出来そうって言うか、もう友達で良いんじゃないですか? 友達だから、また来るんです」
「森園くん、君……」
やめろ。何も言ってくれるな。恥ずかしい。
やめてくれホント。
青春ドラマじゃないんだから。
「だぁーっ! もう! もう本当に喋るの禁止です!」
「えっ」
「ほら起きて! 薬飲んで! 布団へどうぞ!」
「ちょっ……」
本当に恥ずかしい。
ちょっと嬉しくなってる自分が、一番恥ずかしい。
だから僕は、怒ったようなふりをして、赤くなっているであろう顔を必死で誤魔化した。