第一章 ―朔― Ⅱ
目が覚めると、知らない場所にいた。
「起きたか。」
「ここは…?」
「私が定住している場所だ。さて、まずは色々決めようか。ついて来い。」
そう言って歩き出したので、わたしは慌てて後を追った。
外に出ると、今までいた場所が大きな洞窟のようなところだと知った。でも壁は岩のような気がするし、よくわからない。
「で?念願の魔王を前に、お前は何を望む。」
え………?
わたしはかなりの衝撃を受けた。魔王と言えば、三百年近く前から語り継がれている存在だ。代替りもせず、世界の王として君臨している。目の前にいる男の人は、いや、人と言って良いのかわからないが、とにかく、その人は、十代後半から二十代前半に見える。
「何だ。森の前ではあれだけ勇ましく叫んでいたというのに黙りか。時間の無駄だったな。」
「待って!!」
魔王が去ってしまう気がして、わたしは慌てて呼び止めた。
「雨を降らせる魔術を!土を豊かにする魔術を教えて下さい!このままではみんな死んでしまう!お願いします!お願いします……!!」
「私に雨を降らせるよう願うのかと思っていたが。」
「雨を降らせてもらっても、この先は?食べ物をもらうんじゃなくて、食べ物のつくり方とり方を学べと教わりました。それを教えてくれたじいちゃんは流行病にかかって………だからわたしが雨の降らせ方を教わりたいのです。わたしは村に帰れないけど、雨を降らせてみんなを助けたい。………………そしたら、また帰れるかもしれないから……」
ひたすら頭を下げる。お願いします、と頼むことしかできなかった。
「無理だ。」
「………っ」
しばらくの沈黙のあとに聞こえてきた言葉は、わたしが願っていたものではなかった。
「……どうして………」
「お前にはそれほどの魔力がない。魔力は修行で増やせはするが、生まれ持った才によって資質が決まる。お前に魔術を覚える資質はない。諦めろ。」
「そんな……」
『魔力』なんて、考えたこともなかった。わたしは役に立てない。……もう絶対に帰れない。
心が、深い深い谷底に墜ちていくようだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
わたしは地面に突っ伏して泣き叫んだ。
帰れない
帰れない
帰れない――――
「……うっ……ひっく………」
叫び疲れて声が枯れても、涙は止まらなかった。これからどうしたらいいんだろう。魔術を覚えることしか考えてなかった。
じいちゃんの病は治っただろうか。
わたしがいなくなって、みんなの食事は増えたんだろうか。
そろそろ井戸水も限界だ。
みんな死んでしまう。
また何も出来ないのか。
―――――――そのとき、絶望の中、手に水滴が落ちてきたのを感じた。
「雨…………?」
顔を上げると、魔王が両手を天に差し出すようにかざしていた。
空からは確かに雨が静かに降り注いでいた。
「お前には無理でも、私にはできる。お前の村がどこかは知らないが、今つくった雲は少しずつ移動しながら世界中に雨を降らせる。」
「……!!ありがとう!ありがとうございます……!」
これできっと井戸も大丈夫。
畑だってきっとよくなる。
わたしはお礼を言い続けた。
「……ありがとうございます……ありがとうございます………」
「別に礼はいらない。無償ではないからな。」
「え……?」
「さて、取引だ。といっても拒否権はないがな。」
取引……?わたしが渡せるものなんて何もない。
だけど―――
「何だってします!何でも言って下さい!!」
「何でも、とは大きく出たな。ではまずは名前だか―――――」
「は?」
え?名前?
予想外の言葉にわたしは失礼な反応をしてしまった。
これは仕方ないはず。魔王も怒ってなさそうだし大丈夫だ。うん。
「お前は今日から『朔』だ。」
そう言うと、どこからともなく葉が集まってきて、地面に『朔』と形作った。
「『朔』ってどういう意味?」
「………月のない夜。」
そのときの魔王の顔は、全く『魔王』には見えなかった。
◆◆◆◆◆
少し歩いたところに、綺麗な花壇があった。魔王が花を大切にしているなんて、誰が予想しているだろう。かなり驚いた。
「朔。この花は、毎年春に咲く。今年はちょうど今朝咲いた。」
それは、小さな薄紅色の花だった。五枚の花弁と数枚の葉。可愛らしいその花を、魔王はとても大切にしているようだ。
「次にこの花が咲く迄。春・夏・秋・冬を共に過ごそう。その間、私はこの世界の天候を安定させながら、朔に世界を見せる。そして四つの季節が巡り、またこの花が咲いたとき、朔の目に世界がどう映ったか、この先どのような未来を望むか、私に教えてくれ。その答え次第で、私はその先を決める。」
「世界……?未来………?」
「そうだ。この世界を『朔』がどう思うか。私はそれが知りたい。」