昼食前の時間
宿に着いたお琴は、息を切らせながら小上がりに座り込む。お琴の肩から降りた清隆は壁と自分の部屋の障子のすき間をぬって、部屋の中へ入っていった。
「オイラが元に戻るまで、そこにいてくれ」
宿に入る際に言われた言葉。清隆の言いつけを守りつつ、上がった息を整える。しばらく待っていると、清隆の部屋の中からボンッという小さい爆発音が聞こえてきた。清隆が元の姿に戻ったようだ。これから清隆は着替えるので、部屋から出てくるのはもうしばらく後だろう。お琴は宿に入る時に思わず開けっ放しにしてしまった宿の出入り口を閉めつつ、外の様子を感じる。風に乗って聞こえてくる祭囃子の音色。おそらく神社で練習をしているのだろう。間の前にある茶屋に遮られてあまり見えないが、道端で何人かの子どもが祭囃子に合わせて踊っている。こういうのどかな風景を見ていると、羨ましく思うが、それ以上に今の自分は幸せだと感じる。祖父母が亡くなってからは、羨ましいと思うことさえ許されなかった環境にいたので、今の自分は本来の自分に戻りつつあると思う。今の環境にありがたいという気持ちで胸がいっぱいになる。
「待たせてしまったな」
後ろを振り向くと、枯草色の素襖を着た元に戻った清隆が立っていた。
「いいえ、大丈夫です。それよりも元の姿に戻る前に宿に着けて良かったです」
「本当だ。私1人だったら、危なかった」
2人はほっとひと安心し、何となく見つめ合う。
「あ、昼食までまだ時間がありますが、清隆様はいかが致しますか?」
見つめ合っているのが何だか恥ずかしくなり、急に話題を変える。清隆が「ふむ……」と考え始めるのを見て、自分の気持ちに気づいていないと安堵する。
「……私は昼食の時間まで今の出来事について記録しようと思う。これが本来の仕事なのでな」
「……あ。右忠様に報告する為にですね」
「……そうだ。今回は二度手間な気もするが、右忠様がこの報告書を見た後に領主様も読むのでな。書かねばならない」
「承知しました。……あの、私は昼食までにしておいた方がいい仕事とかありますか?」
自分にも仕事があって欲しいと希望を込めて清隆に尋ねる。すると、清隆は「うーん……」と長考に入ってしまう。しばらく頑張って考えた清隆だが、
「……いや、今のところ特にないな。昼食を食べ終えた後で充分間に合う仕事だからな……」
と考えた結果を伝える。それを聞いたお琴は、しょんぼりと落ち込んでしまった。清隆は答えを間違えてしまったとお琴の様子を見て気付くが、1度発してしまった言葉は取り消すことはできない。
「あー……、うん……。うん……。あ、そうだ!お琴、情報収集がてら村の中を散歩してきてはくれないか?」
急いで考えた仕事だが、お琴が食いつくかどうか、清隆はじっと窺う。
「情報収集、ですか……?」
満更でもないお琴の表情を見て、清隆はもうひと押しすれば……と確信する。
「右京様の手伝いをして欲しいのだ。情報は多いに越したことはない。頼んでいいか?」
お琴の顔がぱぁぁと明るくなる。清隆はよし、これで大丈夫だと安心する。
「承知しました。では散歩がてら、情報を集めて参ります」
お琴はそう言うと、両手の握り拳をぐっと握り、そのまま勇み足で宿を出ていってしまった。
「右京様は玄人だから、右京様のように上手くいかなくても落ち込まないように」
清隆はお琴に向かって声をかけるが、道を歩いていくお琴の耳には届かなかった。