川の流れと共に
自分の部屋に戻ったお琴は、部屋の真ん中で寝転がった。
「……暇過ぎるよ。初日とはいえ、私は役に立っていないから、どこかで仕事をしたいのだけれど……」
お琴は大きなため息をつく。自分のやる気が空回りしていることに気づいているが、どうすれば良いのか分からない。
「……夕食ができるまで、ここで待っているのはつまらないから、少しだけ外に出てみようかな……」
お琴は夕食ができるまでと時間を決めると、すっと起き上がって自分の部屋を出ていった。
お琴が来たのは、先ほど洗濯をしに来た宿の裏の川だった。さっきよりも夕日が山際の方へ傾いている。
「涼しい……」
秋風が優しくお琴の体をすり抜ける。風を感じているお琴の耳にパシャ、パシャという水音が聞こえてきた。あら……?川上の方に誰かいるのかしら?と、お琴は川上へ目をやる。するとお琴から少し離れた所に、清隆が顔を洗っているのが見えた。
「え、き、清隆様?」
お琴の声に驚き、水面から視線を上げる清隆。
「お琴か?どうしたのだ?」
清隆は肩に掛けていた紺色の手ぬぐいで顔を拭く。
「夕食まで何もすることがないので、川を見ようと思ってここへ……」
お琴は1人ではなかった安堵感から、笑みを浮かべながら清隆の方へ近寄っていく。清隆は一瞬どきっと胸が高鳴るが、焦ればお琴に逃げられてしまうと思い、平静な素振りで立ち上がった。そして清隆は深呼吸をすると、優しくお琴に向かって微笑んだ。
「私は今日聞いた話を紙に書いてまとめていたのだが、終わってしまったらやることが無くなってしまったのでな。頭の中がぼんやりしてしまったので、すっきりする為に川へ来たのだ」
清隆の川へ来た理由を聞いたお琴は、改めて今日の自分は清隆の仕事で役に立っていないことに気がついた。私は暇つぶしに川へ来たのに、清隆様は仕事をし終えたから息抜きをする為に川へ来たんだ……。私は自分が恥ずかしい……と思い始めたら、お琴の目から涙が溢れてきた。そんなお琴を見た清隆は、
「ど、どうしたのだ?今の会話で気に障ることがあったのか?」
と言って、お琴にどう接して良いのか分からず、オロオロと頭や腕を無意識に振っている。涙を慌てて拭ったお琴は、
「ち、違うんですっ。わ、私、清隆様と右忠様のお役に立つ為にこの村に来たのに、全然役立っていない自分が悔しくて……。今だってお疲れの清隆様を癒すこともできずに、ただ突っ立っていて……」
拭えども拭えども涙が出てきてしまうお琴。清隆はお琴の気持ちに気が付くと、お琴の肩を軽く叩いた。
「お琴の気持ちに気が付かなくて申し訳なかった。お琴は充分に役立っているぞ。いつもなら私1人で行う情報収集に一緒に来てくれるだけで心強い。昼間の私は……ほら、あの姿だから他の人間に気付かれずに情報を集めることが出来るのだが、やはり無性に心細くなる時があってな。あの姿の時でも変わらず接してくれるお琴に感謝している。お琴、一緒にこの村に来てくれて本当にありがとう。また明日もよろしく頼む」
清隆は本当は自分の心の支えとしてお琴に来て貰ったことを言いたかったが、恥ずかしくて言えなかった。
「……私、役立っているのですか?」
清隆の言葉を聞いたお琴は泣き止んで、改めて清隆に尋ねる。
「あぁ、もちろん。私の言葉が足りなくて申し訳ない」
「いえ!私、全く役に立っていないと思っていたから……。充分すぎるお言葉を頂けて嬉しいです!」
お琴は清隆と見つめ合う。しかし、お琴は自分が泣くとすぐに目が腫れてしまう体質だと思い出すと、今もう腫れ始めているかも……。余計に目が小さくなるから恥ずかしい!と思い、慌てて両目を手で隠す。清隆はお琴の行動に一瞬戸惑うが、泣いていた女子を見るのは失礼だったのかと解釈し、何も言わずにすっと視線を逸らす。
「申し訳ありません。私、泣くとすぐに目が腫れてしまうので……」
お琴は今度は袖で顔を隠す。あぁ、それで目を隠したのかと納得した清隆は、
「なら、川の水で冷やせば良い。ここに丁度手ぬぐいもある」
と言って、肩に掛けていた手ぬぐいをお琴に差し出す。お琴は手ぬぐいを受け取って両肩に掛けると、川辺に座った。そして両手で水を掬い、顔に2、3度水をかけた。
「……気持ちいい」
顔を洗ったお琴は手ぬぐいで顔を拭く。お琴のすっきりした表情を見て、清隆は安心した表情をする。
「良かった。すっきりしたようだ」
「はい。清隆様、ありがとうございます。また手ぬぐいは明日洗ってお返しします」
お琴は清隆の方を向いて笑顔で一礼する。
「あぁ。承知した」
と清隆が答えると、
「あ、2人共こんな所にいたのね」
というお信の声が遠くから聞こえてきた。お琴と清隆が声が聞こえた方向へ顔を向けると、お信が2人の元へ駆け寄ってくるのが見えた。
「夕食ができましたから、右京様の部屋へお集まり下さいな」
2人の元へやってきたお信はそう言うと、体の向きを宿の方へと変えた。お琴はもうそんなに時間が経っていたとは思わなかった。
「右京様を待たせてしまっているのですね。それはいけないわ」
お琴は立ち上がり、清隆と一緒にお信の前に立つ。
「右京様は大丈夫ですよ。では、宿へ戻りましょ」
お信の言葉の後、3人は足早に宿へと戻っていった。