清隆達の帰り
宿と川の間にある物干し竿に洗濯物を干し終えたお琴は、借りた桶と洗濯板を返しに茶屋へ向かう。
「あ、美味しそうな匂い……」
お琴はつい鼻をヒクヒクさせる。匂いの元は茶屋にあるようだ。段々強くなる良い匂いを嗅ぎながら、お琴は茶屋の暖簾をくぐる。
「お邪魔します。桶と洗濯板を返しに来ました」
「あ、はぁい!」
お琴の声を聞いたお信が茶屋の奥から出てきた。
「お信さん、ありがとうございました。今、夕食の準備をしていらしているのですか?」
お信に桶と洗濯板を渡しながらお琴は尋ねた。
「どういたしまして。今は夕食の下ごしらえだけしているのよ。まだお2人戻ってきていないから、戻ってきたら一気に作ろうと思っていてね」
お信が奥の方を見る。お琴もつられて見ると、勇作が何かを切っているところが見えた。
「じゃあ、お琴ちゃんは2人が戻るまで宿で待っていてね」
お信は桶と洗濯板を茶屋の西隅に置くと、また奥へ戻ろうとする。お琴はお信の言葉を聞いて、ただ清隆様と右忠様を待つのはしんどいわ……。そうだ!と頭の中で考えた。
「わ、私、何か夕食作りのお手伝いをします!」
このお琴の言葉に、お信は一瞬きょとんとする。お琴はお信の態度を見て、へ、変な事を言ったかな……と妙な緊張感を感じた。
「お客様なのだから、ゆっくり寛いでいて頂戴な。それにうちも食べ物屋だから、あまり他の人にうちの作り方とか知られたくないのよ。あ、せっかくだから清隆様達が戻ってくるまで、この近くを散策していたらどうかしら?」
お信が困ったように笑いながら提案する。確かに自分の仕事場を弟子でもない、赤の他人が入るのは商人の嫌がる行為だわ……と、お琴は自分の図々しさに気がつくと、
「あ、気がつかなくて申し訳ありませんでした……」
と言って、気まずさから半歩後ずさりをした。お信が何か言おうと口を開くが、お琴はそれを遮り、
「わ、私、清隆様達を待ちながら、その辺りを散策してきます」
と言って、お信の顔を見ることができないのもあり、下を向いたまま茶屋を出ていった。
「……ただ、お手伝いをしたいと思っただけなんだけどなぁ……」
お琴は茶屋から少し離れた道端で小石を蹴りながら、清隆達の帰りを待つことにした。もうじき申の刻《 午後5時頃》になるが、まだ清隆達は戻ってこない。
「……早く戻ってこないかな。あの女の子についても話をしたいんだけどなぁ」
お琴は1人でいるということには慣れているはずなのに、心の中に寂しいという感情が出てきていることに驚いた。
「きっと、私の中で清隆様に仕える時間が楽しいからかなぁ……」
お琴が呟くと、
「お琴、ただいま戻ってきた」
お琴の後ろから声が聞こえてきた。お琴は慌てて後ろを振り向くと、清隆と右忠が並んで立っていた。右忠はニヤニヤ笑っており、清隆は夕日に照らされているからか、頬をほんのり赤らめている。
「お、お帰りなさいませ!」
お琴は裏返った声で返事をする。今さっきの呟きを聞かれていたかしら……と、お琴は内心ドキドキしている。
「待っていてくれてありがとう」
「洗濯してくれて助かったわ」
清隆と右忠は交互に言う。お琴の呟きについて触れてこなかったので、お琴はとりあえずひと安心した。すると、
「宿で待たずに外で待っていたということは……。もしかして、何か話したいことがあったのか?」
清隆がお琴をじっと見つめながら聞いてきた。お琴は自分の気持ちがダダ漏れしているのかと、またドキドキしてしまう。
「あ、もしかして違ったのか?」
お琴の無言をそう捉えた清隆の問いに、お琴は首を横に振る。
「あ、いえ、話したい事はありますが、ここだと話しづらいので……。夕食の時に話します。私も洗濯物を取り込まなければならないので……」
「じゃあ、私も化粧を落としに宿に戻るわ。あ、お琴。洗濯物を取り込むついでに、お信さんに私達が帰ってきたことと、夕食は私の部屋でとりたいことを伝えて貰っていいかしら?」
右忠は白粉を手で少し拭う。
「承知しました。では失礼します」
お琴は一礼して、その場から立ち去った。お琴の一目散に走っていく後ろ姿を見送りながら、
「……清隆様に仕える時間が楽しいだって。お琴って本当に可愛いわね。お琴が清隆の妻になる日もそう遠くなさそうねぇ」
ニンマリとする口元を右手で隠しながら、右忠は清隆を見る。
「!……まぁ、仕事が楽しいと言って貰えるのは有難いことです」
清隆は耳まで真っ赤になった顔でわざとむっとした表情を作っているが、内心の嬉しさを隠しきれずにいることは右忠にはバレバレであった。




