郷士のおもてなし
長助と一緒に来た土間は、家の西隅にあった。勝手口の近くにある竈や囲炉裏や置かれてある物をさっと目で確認するお琴。長助は食器が置かれている板の方へ行き、茶の準備をしている。
「2つの桶に水が汲まれてありますが、どちらの水を沸かせば良いでしょうか」
お琴は竈の横にある2つの桶を交互に指さす。
「あ、何回も沸騰させた水が茶釜の中に入っていますので、それを囲炉裏で沸かします」
長助は丸い茶釜を囲炉裏の横に置き、角の水指をお琴に渡す。
「すみませんが、水を沸かして貰って良いですか?私は器と抹茶を持ってきます」
「承知しました」
お琴は囲炉裏の中にある炭に火をつけ、茶釜を上に乗せて沸騰を待つ。……真面目に卯月様の手習いを受けておくんだった……と、お琴はこの後悔も火で燃やしたいと心底思った。
「まだ湯が沸くまで時間はかかりますが、器だけ先に用意しておきました」
抹茶を入れた4人分の器をお盆に載せて運んできた長助が、お琴の横に静かに座る。
「あ、私は白湯で良いですのに。こんな高価な器を用意して頂いて恐縮です……」
お琴は器を見て、一庶民が使って良い物ではないと悟り、自分の分は下げて欲しいと乞う。長助は「ほぅ」と少し驚く。
「見ただけで器の価値が分かり、茶の湯の心得もある方がこの器を使わなければ、器に怒られてしまいます」
「あ、ありがとうございます……。ですが……、私はそんなに茶の湯に詳しいのではないので、正直向こうで飲むのは自信が無いのです……」
お琴は下を向いて、首をブンブン横に振る。
「何事も経験です。私の家はご覧のように茶室がない家だから、その場で茶を点てて飲むことが出来ません。土間で茶を点てて客間で飲んで貰う方法ですので、本格的な茶の湯より幾分か気楽に飲めるのでは?」
長助はぶっきらぼうな言い方だが、お琴に「気負わずに」と言っているのが分かる。
「確かに緊張が少なくてすみますね。ですが、ここで茶を点ててしまうと、客間に着くまでに風味が落ちてしまうのではないですか?」
「そうなのですが、私は茶よりもお客様にあの部屋を見て貰いたいという思いがあって……」
長助の言葉を聞いた瞬間、お琴の目が輝く。
「あのお部屋の障子は新しい発想ですよね!障子の和紙を作品として使うなんて、なんて発想豊かなのだろうと私、感激致しました。客間へ戻ったら、作品をじっくり拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
お琴の興奮した様子に、一瞬長助は驚いたが、
「……そう言って頂けると嬉しいです。あ、湯が沸きましたね。茶を点てたら、客間へ行きましょう」
と、お琴に向かって、優しい声で話す。長助の言葉を聞いたお琴は、早く茶を点てたら、じっくりあの作品を見ることができる!とうきうきしながら、長助と一緒に茶を点て始めた。
客間は無音のまま、時が過ぎている。お琴はまだ来ないのか……と清隆はヤキモキしながら待っている。 本当なら右忠と話しながら待っていても良いのだが、右忠の正体が分かってしまう確率を減らす為に、あえて静かに待っている。これは2人の暗黙の了解なのだ。清隆は無意識に膝に置いた手で一定の拍子をとる。右忠はいつ障子が開くのかと、ちらちら障子を見る。障子に書かれてある文字や絵よりも、お琴の方が気になっているようだ。すると、
「お待たせしました」
という長助の声と同時に、客間の障子がすっと開いた。お琴が障子を開け、長助が4人分の茶が入った器を運びながら中へ入ってきた。お琴が中に入って障子を閉めている間に、長助は清隆達の前に器を置いていく。
「点ててから少し時間が経っていますが……。召し上がって下さい」
お琴が席に座ったのを確認した長助が、3人に茶を勧める。
「ありがとうございます。頂きます」
清隆が茶をひと口飲む。清隆が飲むのを見てから、右忠とお琴は茶を頂く。
「……茶の風味がしっかりしていますね」
清隆が驚いた表情で呟く。
「本当に。点ててから時間が経っている割にしっかりしているわ」
右忠も飲んで驚いている。正直お琴には卯月と一緒にやっている茶の湯の時に飲む茶と変わらないのだが、余計なことは言えない……と思いながら、黙々と茶を飲む。
「おそらく水が良いのだと思います。この村の清水は茶人がわざわざ汲みに訪れる位、茶に適した水だと聞いたことがあります」
長助、清隆、右忠が茶について話している中、横目で障子を見ているお琴。
「どうぞ。ぜひ障子をゆっくりご覧下さい」
お琴の様子に気がついた長助が声をかける。
「……!ありがとうございます!では早速失礼します」
お琴はすっと立って、障子に近づいた。障子には様々な漢詩や墨で描かれた風景画が張られてある。お琴はこの作品を決して忘れぬようにとじっと見つめる。
「い、如何ですか?」
お琴の無言に耐えられなくなった長助が尋ねる。お琴は長助の言葉にはっと気がつき、くるりと体の向きを変える。
「素朴だけれど、力強い作品ですね。漢詩を書いた方は珍しい書き癖を持っていらっしゃいますね。力や月などの角のところを筆全体で書いて字を大きく見せる方は初めて見ました。絵にも何となくだけれど、大きく見せようとする癖が出ているわ」
クスリと笑うお琴を、長助は感心したように頷きながら見ている。お琴は「ありがとうございます」と言って、自分の座っていた場所へ戻る。
「これは私の弟が作ったのです。本格的な書や絵に使う紙はあまり買えないので、障子の和紙に書いて嗜んでいたのです。捨てるのももったいないと思った私がそこの障子戸に張ったのですが……。そうしたら1つの作品になってしまった次第です」
長助は障子を見て、切なげに笑う。
「弟は周助と言いますが、周助は私と違って多才で人々の人望も厚かったのてす。それなのに……」
長助はぐっと下唇を噛み締める。清隆と右忠は何も言わずに長助の様子を窺っているが、お琴は何と声を掛けたら良いのか分からず、オロオロしている。そんな3人の視線に気がついた長助は、
「我が家より祭りの話をしなければいけませんね。豊穣祭の式目などを持ってきますので、少々お待ち下さい」
悲しそうに笑い、3人に一礼して客間から出ていった。静かになる客間。お琴はじっと障子の作品を見つめている。右忠は目を閉じて、長助が戻ってくるのを待っている。清隆はお琴のお陰で長助殿が弟の話をしてくれたが、何故あんなに初対面の者と打ち解けているのだ……。……面白くないとはいえ、理由もなくここを去るように言うのもなぁ……と複雑な思いを抱え、悶々としている。すると、
「あ、そうだわ。お琴、申し訳ないのだけれど、私の明日の分の着る物を洗濯して貰えないかしら?今日着ていた物を明日も着たいのよ。私の部屋の隅に丸めて置いてあるから、郷士様が戻ってきたらお琴は先に宿へ戻って頂戴な」
と、右忠がお琴の方を向いて言った。右忠のお願いを聞いた清隆は、うんうんと大きく頷く。お琴ははっと気がついた顔をすると、
「……あ!私も明日着る物を洗濯しないと!清隆様は洗う物はありますか?」
と座ったままだが、身を乗り出して清隆に尋ねた。
「私は一応数日分の用意があるから大丈夫だが、明日は頼む」
清隆は嫉妬がばれないように、微妙にお琴から視線を逸らす。
「……承知しました」
お琴はまた姿勢を元に戻すが、清隆があまり視線を合わせなかったことが気になった。障子の作品よりも清隆の態度の方が気になってしまったお琴は、もやもやした感じを持ったまま、長助を待つことになった。