奉公前の時間
「お琴。昼過ぎにお屋敷に来るように言われているから、それまでは店の手伝いをするように」
次の日の朝食。上座から万吉、信貞、志げ乃、姉のお初、お琴の順にコの字型に並んで静かに食べている中、万吉がお琴に言い放った。お琴は未だ納得がいかず、万吉に返事をしない。すると、
「お琴、返事を」
という志げ乃の声と、お初の睨みがきた。お初の睨みは志げ乃譲りでかなりの目力である。2人からの圧迫もあり、
「はぁい……」
お琴はしぶしぶ返事をした。住み込みではなく、通い奉公だということだが、どちらにしろ、あの卯木という女の人と関わらなければいけないということだ。それがお琴にとって苦痛だった。もし、奉公をサボったら両親だけでなく、あの卯木という人も地の果てまで追いかけてきそうだ。逃げられない……とお琴は本能的に思った。
「今日はちゃんとお店の手伝いをしますし、奉公に行きますよっ!」
お琴はイワシと米と粟を混ぜたご飯を一気にかき込み、
「ごちそうさまでした!私、先にお店の方に行っています!」
そう言って、お茶碗を片付けにいった。
「あ、お琴ちゃん。ちゃんと店番しているね」
朝食を食べ終えた信貞が店の方に来た。きちんと座ってお客を待っているお琴を見て、感心しているようだ。
「奉公に行くので、しばらくは店の手伝いはできないと思うから……」
お琴は信貞に言うと、プイっと目を逸らした。
「じゃあ、お琴ちゃん。よろしくお願いします……」
と信貞はお琴に声を掛け、いつも自分が座っている場所に正座した。
「よろしくお願いします」
お琴は一礼して、信貞が座ったところより後ろに下がった。
「あれ?お父さんとお母さんは?」
「お昼を食べたら、店番を交替すると言っていたよ……」
「そうなんですね。まぁ、一緒じゃない方が今日はありがたいわ」
信貞は万吉と志げ乃がいないと、少しオドオドした感じが無くなる。こっちの方がいいのに……とお琴は密かに思っている。
周りが段々賑やかになってきたが、まだ葵屋にお客は1人も来ない。
「お義兄さん。お客さんが来るまで私、貸し物の埃取りをしています」
お琴は立ち上がり、乾いた布を持って店に置いてある日用品を拭き始めた。暇つぶしでもしていないと、無口なお義兄さんとの店番なんて耐えられないわ……とお琴は思いながら作業をする。
「今日は暇だわー」
日用品関係を全て拭き終えたお琴は、つい口に出してしまった。全くお客が来ないのだ。それは仕方ないにしろ、何か言葉を発しないと今の店の雰囲気に耐えられなかった。ちなみに信貞は台帳とにらめっこをしていて、お琴のつぶやきを聞いていない。
「はぁぁ……」
お琴がため息をつくと、
「お琴。少し早いけど、あんただけ早いお昼ご飯を食べなさい。もうできているから」
とお初がお店を覗き込んで、お琴を呼んだ。
「やった!……じゃなくて。お義兄さん、すみません。先にお昼をいただきます」
お琴は布を元の場所に置いて信貞に一礼すると、
「あ、お琴ちゃん。奉公、頑張って」
信貞はお琴に言った。お琴はげっ……と思ったが、
「あ、ありがとうございます」
とお礼を言った。
そしてお琴はお初と一緒に家へ戻っていった。