作戦立て
「御厨村での行動についてなんだけれど、午の刻《午前11時から午後1時 》を挟んで動き方を変えようと思うの」
と右忠が右の人差し指をピンと立てて、自分の前に見えない線を引いた。
「弟について何か知っているかもしれないホオジロと話せるのは大体の時間の目安なんだけど、午の刻前までの小さくなった清隆だけなので、午の刻前まではお琴と清隆が組んでホオジロと話をして、私は市井の者に変装して村の人々に聞き込みをするわ。午の刻にお昼を食べて、午の刻後は私と元に戻った清隆で郷士にこの村の豊穣祭について聞こうと思うの。お琴は一応役人ではなく、私に付いている下女ということにしたいから、午の刻が過ぎたらいつものような仕事をして欲しいの」
右忠がざっと作戦についてお琴に説明してくれた。右忠の言葉に清隆はうんうんと頷く。先ほど清隆は「右京様と作戦について話をした」と言っていた。2人がそう考えているのなら、お琴が反対する理由はない。
「承知しました。私は午の刻前までは清隆様と行動し、午の刻後は宿で洗濯などしてお2人を待ちます。私に出来ることがあれば、遠慮なく仰って下さい」
お琴はそう言うと、ぺこりと頭を下げた。右忠は「ありがとう」と小さく呟き、
「お琴に頼むことはきっとたくさんあると思うから、また頼むわね。じゃあ、私と清隆は郷士の家へ入る時の作戦を立ててあるから、今度は清隆とお琴でホオジロと話す為の作戦を立てて頂戴ね。私は明日の準備があるから、先に部屋に戻るわ」
と言うと立ち上がって、そのまま清隆の部屋から出ていってしまった。
「あ、そうだ。私、お信さんから化粧を落とす米糠を貰うついでに、今日の夕飯について言おうと思うんだけど、2人は夕ご飯いるかしら?」
清隆の部屋の障子戸越しに右忠の声が聞こえた。お琴と清隆は互いを見合う。右忠様がいなくなった途端、清隆様との距離が急に近くなった気がする……とお琴は思いながら、自分のお腹をさする。お琴は正直そんなにお腹は空いていなかった。昼に食べた芋粥がまだ残っている。清隆はどう思っているのか、お琴は清隆の方をさり気なく見る。
「私は腹は減っていない。昼の芋粥が残っている」
どうやら清隆もお琴と同じだったようである。お琴は清隆の言葉に激しく同意の頷きをする。すると清隆は立ち上がり、部屋の障子戸を開けて右忠と対面した。
「私もお琴も腹は空いておりませぬので、夕食は要りませぬ」
清隆は障子戸の向こう側で立っていた右忠に伝えると、
「よかったぁ。私も化粧を落としたら人前に出られないから夕ご飯は要らないなぁと思っていたの。じゃあ、今日の夕ご飯は3人共要らないとお信さんに伝えるわね」
と右忠は返事をした。そして清隆の耳元に顔を近づけ、
「清隆。2人きりにさせたのだから、距離を縮めなさいよ」
と囁くと、にっこり笑って茶屋へ行ってしまった。清隆は囁かれた右耳を押さえ、顔を赤くして宿を去っていく右忠を見る。しかし、何も言い返せないまま、自分の部屋に戻ることにした。部屋の中にはお琴が顔を赤くして下を向いて座っている。そんなお琴を見たら、清隆はますます顔が赤くなり、一気に部屋の中の緊張感の加速度が上がった。これじゃあ、先ほどのようにお琴の隣に座れない……と判断した清隆は、右忠が座っていた場所で胡座をかいた。清隆の行動を見たお琴は、先ほどよりも離れた場所で対面する方が少し緊張しなくてすむわ……と、清隆の対応に感謝しながら清隆と向き合う。お琴の安堵の表情を見た清隆は少し複雑そうな表情を浮かべる。
「……右忠様からはホオジロと話す為の作戦を立てるように言われたのだが、率直に言うと、あの郷士の家の周りでホオジロが来るまで待つしかないと私は思うのだが……。お琴はどう思う?」
早速ホオジロについての話を清隆から振られたお琴は慌ててしまう。「えーっと、えーっと……」と言いながら、しばらく考え込むお琴。
「……そ、そうですね。まずは郷士の家の周りでホオジロが来るのを待って、小さくなった清隆様がホオジロが何と言っているか聞いた後、とりあえず声をかけてみるというのはどうでしょう?」
お琴の案を聞いた清隆は「それしか、今のところないよなぁ……」と小さく呟く。他の作戦は本当に無いかと考え込む清隆を見て、お琴は思わずきれいだな……と思い、感嘆のため息をついてしまった。お琴の視線とため息に気づいた清隆は、
「あ、すまない」
と言って、お琴と向き直る。お琴は自分の事は気にせず、色んな表情をして欲しいと思ったが、そんな事は口が裂けても言えず、
「いえ……。他に良い案は浮かびましたか?」
と尋ねるだけにした。お琴の問いに対し、清隆は首を横に振って、
「いや。とりあえず、明日は郷士の家の周りでホオジロを待ち、なんと言っているか聞いた後、声をかける作戦でいこうと思う」
と答えた。
「そうですね。とりあえず、ホオジロが何と言っているのか分からなければ何も始まりませんものね」
とお琴は清隆の言葉に同意する。これで作戦を立て終えたと判断した清隆は少し悲しげな表情で、
「明日よろしく頼む。これで部屋に戻って良いぞ」
とお琴を部屋から追い出し始めた。少しつっけんどんな清隆の言葉と態度に対して、お琴は何となく突き放された気がしたが、これ以上清隆の部屋にいる理由はないので、
「こちらこそ、明日よろしくお願いします」
と一礼して、清隆の部屋を出た。少し気まずい別れ方だが、明日は気持ちを切り替えて頑張ろう!とお琴は決めて、自分の部屋へ戻っていった。
お琴が自分の部屋に戻ってしばらく経った頃、
「清隆、どうだった?お琴との距離は縮まったかしら?」
清隆の部屋に化粧を落とした右忠が入ってきた。右忠は肌が少し焼けている以外はあまり変わっていないのだが、本人は化粧をしていない顔を気に入っていないので、寝巻きの肌小袖の袖で顔を隠している。
「……距離が縮まる訳がないでしょう。あんなに嫌がられているのですから……。布団を敷くのも頼めませんでした」
清隆は自分が寝る布団を敷きながら、ぶすっとした表情で答える。清隆の返事を聞いた右忠は、
「えっ?どういうこと?」
と顔を隠していた小袖を下ろして、清隆の顔を覗き込むように近づいていく。
「……離れて座れば安心した表情をされ、長くここにいて欲しいと思いながら作戦を考えていれば、ため息をつかれ……。今日は早く寝ようと思います」
清隆の暗く沈んだ声と表情に、右忠は何と声をかけるかけて良いのか一瞬戸惑うが、
「……まぁ、明日は気持ちを切り替えて頑張るようにね」
と当たり障りのない励ましをする。清隆は無言で頷く。
「あ、清隆が寝る前に。清隆、私の部屋の布団を敷いて貰えるかしら?無理ならお琴に頼むから良いけれど。作戦を立てる関係で、お信さんには今夜は宿で寝ないで欲しいと米糠を貰いに行った時にお願いしたから、お琴に今夜お信さんは茶屋で寝ることになったことを伝えに行こうと思っていたから、ついでに布団も頼むわ」
と右忠が話題を変えた瞬間、清隆は目を見開き、
「私が布団を敷きますので、右忠様は障子戸越しにお琴に伝えて下さい」
と言って、自分の部屋を出ていった。
「……私の呼び方を間違える位しっかり嫉妬するのなら、きちんとお琴に先ほどの態度をとった理由を聞けばいいのに」
右忠はため息ひとつ吐くと、お琴の部屋へ向かっていった。