宿の部屋の中で
着替えが入った風呂敷を小部屋の左隅に置いたお琴は、寝る時に使う布団一式に当たらないように寝転がって、部屋の真ん中で背伸びをする。そしてそのまま、コロコロと畳の上を寝転がる。部屋の中を3、4往復した後、
「んー、い草のいい匂い……」
うつ伏せになったお琴は畳の匂いを嗅ぐ。寝転がりすぎて、着ていた小袖が少し着崩れてしまっている。下の肌小袖が見える状態になっているが、帯を緩めたかったし、また後で着直せばいいやとお琴は気軽に考えて、頬杖をつく。すると北側の壁の下の方に障子戸の小窓があることに気がついた。お琴はすっと立ち上がり、小窓に近付く。自分の膝下よりもまだ低い所に作られた小窓。どんな景色が見えるのかな……とお琴は気になり、小窓の取っ手に右手をかけたその時、
「お琴、ちょっといいか?」
と出入り口の障子の向こう側から清隆の声が聞こえた。お琴は悪いことをしている訳ではないのだが、突然のことでびっくりして慌ててしまい、
「あ、はい!今、開けますね!」
と返事をすると立ち上がって、急いで出入り口の障子を開けた。
「お待たせしました!」
お琴は笑顔で清隆を見る。出入り口の所に立っていた清隆はお琴の方に視線を落とすが、すぐにお琴から目を逸らしてしまった。横を向く清隆の耳が段々赤くなっていく。お琴は清隆の反応の意味が分からず、
「清隆様、どうされたのですか?」
と清隆に尋ねた。すると清隆は慌てふためき、何か言おうと口を開けては閉ざすを繰り返す。ますます清隆の真意が分からないお琴は、
「清隆様、言いたいことがあるのなら言って下さらないと伝わりませんよ!」
と清隆の言葉を聞こうと詰め寄る。お琴の行動に驚いた清隆は慌てて後ずさった。
「清隆様!」
「わ、分かった!言うから近づかないでくれ!」
清隆は悲鳴に近い声で、両頬を膨らませ、唇を尖らせているお琴に懇願した。お琴は清隆の拒絶の言葉に衝撃を受け、清隆に詰め寄るのを止める。お琴のしょんぼりした表情を見た清隆は、
「……そ、その、お琴を嫌っている訳ではなく、お琴の着ているものが着崩れして、下に着ている物が見えていて……。め、目のやり場に困ってしまって……」
と気まずそうに理由を話した。お琴ははっと自分の今の格好に気がつき、胸元を小袖の襟で隠すと、
「も、申し訳ありませんっ!」
と清隆に背を向けた。
「いや、……言いづらいと躊躇っていた私にも非があるのだからお互い様だ。……あの、私と右京様で郷士の弟失踪の真実を探す作戦を立てたので、作戦を聞きに私の部屋に来て欲しいのだ。あと、私の着替えの風呂敷を持ってきて欲しい。戸を閉めておくから、着直しできたら私の部屋に来てくれ」
清隆はそう言いながら部屋の障子戸を閉める。お琴は自分が持ってきた風呂敷の中に、清隆の荷物が入っていることを思い出す。
「は、はい!承知しました!すぐに向かいます!」
お琴は障子戸に背を向けたまま小袖を着直す。清隆は足早に自分の部屋へ戻る。清隆の足音が聞こえなくなり他の部屋の障子戸が閉まる音が聞こえた頃、お琴の着直しが終わった。
「……恥ずかしいけれど、気持ちを切り替えて清隆様の部屋に行かないと……」
お琴は顔を赤くしたり青くしたりしながら部屋の中を彷徨いていたが、気持ちを切り替えて清隆の部屋へと向かった。
清隆の部屋の前に立ったお琴は部屋から少し漏れている話し声が途切れたら声をかけようと思い、清隆の部屋の障子戸の前に立ち、声をかける機会をうかがう。すると、
「……では、お琴を呼びに行ってきます」
という声と同時に、清隆の部屋の障子戸が開いた。障子戸のすぐ近くに立っていたお琴は、いきなり目の前の障子戸が開いたと同時に、目の前に清隆が現れて驚いて固まってしまう。清隆は清隆で目の前にお琴がいて驚いて何も言えない。
「清隆、どうしたの?」
清隆の後ろから右忠が顔をのぞかせる。そして清隆を挟んでお琴と対峙していると気がついた右忠は、
「あ、お琴!2人して何やっているの?もう、さっさと中に入った、入った」
清隆を押し退けてお琴の後ろに回ると、お琴の背中を押して一緒に部屋の中に入った。2人に続いて部屋の外に出された清隆は中に入る。
「お琴と清隆はここね」
右忠はそう言うと、2人を左側の部屋との区切りに使われている木の戸の傍に座らせ、自分は向かい側の木の戸の前に座った。お琴は清隆の隣に座った途端、先ほどのことを思い出してしまったが、
「よし、これで3人揃ったから話を始めましょ」
と右忠が言うと同時に、お琴は今は集中!と頭を左右に激しく振った。すると右忠は目を見開き、
「どうしたの?具合でも悪いかしら?」
とお琴に尋ねた。お琴ははっと気がつき、
「い、いえ、大丈夫です!あの、どんな話を?」
と慌てて強引に話の流れを変えた。右忠はお琴の行動を不思議がりながらも、
「じゃあ、郷士の弟行方不明の真相を調べるための作戦を話すわね」
と話を始めることにした。