ホオジロの噂
「郷士の弟さんが可愛がっていたホオジロは普段からよく鳴く鳥だったのだけれど、弟さんがいなくなった日から突然周りの人間が驚く位の大きな声で鳴くようになったのよ」
お信は声のトーンを落として、3人にホオジロの話を始めた。3人はお信をじっと見つめる。
「しかも人が話しているかのような鳴き声だから、余計に村人から気味悪がられてしまって……。弟さんがいた頃は本当にさえずり程度の声の大きさだったから気にならなかったそうだけれど、弟さんがいなくなってから、大声で人が話しているように鳴くから、いなくなった弟さんがホオジロに乗り移って今の郷士様に呪詛をかけているんではないなという噂があるの」
お信はふぅとため息をつく。呪詛という言葉を聞いて、お琴は顔を強ばらせる。もしも本当に飼っていたホオジロに弟が乗り移ったとしたらどうしよう……とお琴は不安になった。先ほど、神社の鳥居前で聞いたあの大声がもしかしたらホオジロの声だったのかも……。ホオジロが呪詛をかけているとしたら、自分達の身は大丈夫なのかな……とお琴は思わず清隆を見た。お琴の視線に気がついた清隆は、お琴に向かって優しく笑う。清隆の笑顔でお琴は少し心が落ち着いた。
「……私達はこの茶屋に来る前に郷士の家の横を通ったのですが、その時に掠れた大声と郷士の兄の声を聞きました。あの郷士の家には兄の他に人はいるのですか?」
清隆はお信に尋ねた。お信は驚いた表情を見せ、首を横に振る。
「いいえ。ホオジロを気味悪がって使用人も皆あの家を離れてしまって、今は郷士様1人のはずよ」
お信の言葉に3人は顔を見合わせた。
「では、最初に聞いた声はホオジロの鳴き声ってことね。じゃあ、あの声が呪いの言葉だったのかしら?」
右忠が涼し気な表情でぽつりと呟いた。右忠の言葉に清隆は顔をしかめる。
「……ホオジロが呪詛を……というのは信じ難いです。確かホオジロの鳴き声は人の言葉に聞こえると言われていますから、単純に村人が勘違いしているだけなのでは?」
右忠に向かって清隆が言った。その言葉に右忠はうんうんと頷くが、お琴は、
「えっ、ホオジロの鳴き声って人の言葉に聞こえるって初めて知りました!」
と驚き、目を見開いて清隆を見た。お琴の反応に気がついた清隆は、
「鳥の鳴き声が人間の言葉に聞こえることを聞きなしというのだが、ホオジロの鳴き声は「一筆啓上仕候」、書状の書き出しに使う決まり文句の言葉に聞こえるのだ。あまり書状を書かない者には馴染みのない言葉なので、ホオジロの鳴き声の部分部分を聞いた者が「人の言葉に聞こえた」と伝えたものが段々変わって呪詛になってしまったのではないかと私は思う」
とお琴に説明しつつ、自分の考えを話した。清隆の話を聞いて、確かにあまり文字を書くという習慣がない者が村に住む人の中には多いと聞いたことがあるとお琴は思った。そして呪詛ではないという話を聞いて、少し安堵した。
「まぁ、噂なんて変わっていくものが多いですものね」
清隆の話を聞いたお信も納得したようである。お琴は人の噂だから当てにならないものねと更に安堵した。
「でも、弟がいなくなった日からホオジロの鳴き方が変わったのだから、何か理由があるのかもね」
と右忠が清隆に向かって、微笑みながら言った。清隆は静かに頷く。お琴は2人の仕草が気になった。2人の仕草の意味を知って、2人と同じ場所に立って真相を調べたい……と思い、お琴は2人の仕草の意味を考え始めた。
「ふふっ。右京様は面白いことを仰るのね。ホオジロが鳴き方を変えたことに理由があると考えるなんて。まるでホオジロが人間と同じように考えがあったり、意思を疎通できるかのような言い方ですね」
お信がくすくす笑いながら、右忠を見つめる。
「いえ、そんなつもりは……」
と右忠は言いながら、口元を押さえつつ、また清隆をちらりと見る。お琴はお信の言葉を反芻する。「ホオジロが人間と同じように考えがあったり、意思を疎通できる」……私や右忠様はホオジロの気持ちを理解することはできないけれど、小人になった清隆様は動物と話すことができるから、ホオジロの気持ちを理解することができる……。……あっ!もしかして、さっきの右忠様の目配せは、清隆様にホオジロに郷士の家で起きた弟行方不明について尋ねろってことかも!それで清隆様は頷いて返事をしたのだわ!と、お琴はやっと先程の2人の意味深な仕草を解読することができた。
「お信さん、芋粥おごちそう様でした。とても美味しかったです」
右忠は手を合わせ、お信に向かって礼をする。清隆とお琴も慌てて手を合わせ、
「お御馳走様でした」
「おごちそう様でした。こんなに芋粥がおいしいものなんて知らなかったです」
とそれぞれお信にお礼を言う。
「いえいえ、お粗末様でした。これから皆様はどうするのですか?」
お琴が重ねた3人の茶碗をお信に渡すと、それを受け取りながらお信が尋ねた。
「郷士の家で起きた出来事の真相を調べる方法をしっかり立てるために、まずは宿を探そうと思います」
と清隆が答えた。その答えを聞いたお信は「あら……」と漏らし、
「だったら、ここに泊まったらどうかしら?右京様はいつもそうしているし、どう?」
と提案してくれた。この提案に乗らない者は3人の中にはいなかった。
「ありがとうございます。是非そうさせて頂きたいです」
清隆が安心した表情でお礼を言った。右忠とお琴は頭を下げて、礼を伝える。
「じゃあ、この茶碗を奥へ持っていったら案内するわ」
お信はそう言って、茶碗を持って一旦奥に行ってしまった。3人は荷物を持って、その場で座ったまま、お信が戻ってくるのを待つことにした。