茶屋の前
神社の横を通り過ぎると、民家が段々まばらになっているが、1本道はまだ西に続いている。その道を進むと、井戸の周りでおしゃべりをしている妙齢の女性達や道の真ん中で鬼ごっこをしている子ども達を見かけた。あまり豊穣祭の準備に関係ないのか、または自分の分担する所の準備が終わった人達なのだろう。この光景はゆったりとした時間が流れているようにお琴は感じた。民家が無くなり、遠くに西の村の入り口の門が遠くに見えてきた頃、白い旗が立っている1軒の平屋が道の右側に建っているのが見えた。
「あの旗が立っている所が、私が行きたかった茶屋なの」
右忠がお琴が気になっていた建物を指さす。清隆は平屋を見て、
「やっぱりここですよね」
と呟いた。どうやら清隆は知っている場所のようである。昼食場所まであと少しという思いが、3人の歩みを早くさせる。
「清隆様も知っている茶屋なんですね」
お琴は一緒に並んで歩く清隆に尋ねる。
「あぁ。あの茶屋の横に目安箱が置かれているんだ。だから、目安箱の中身の紙を取りに何度か寄ったことがあるのだ。まぁ、大体は右忠様が取りに行ってしまうので、回数はそんなにないのだが……」
「へぇ……。へ?目安箱って領主様が直接見たりするものだから、役人が管理するものではないのですか?あの茶屋は役人が営んでいるのですか?」
清隆の答えに疑問を持ったお琴は歩きながら、矢継ぎ早に清隆にまた尋ねる。
「それは私が答えた方がいいわね」
お琴の質問を聞いて、右忠がスッと右手を挙げた。清隆は静かに頷く。
「右京様、教えて下さい」
お琴は改めて右忠にお願いすると、右忠はにっこり笑った。
「目安箱を役人が管理するとしてしまうと、紙に書いた人が特定されやすくなる恐れが出て、自由に本当の書きたい事を書けなくなってしまってはいけないと思ったから、気軽に誰でも投書ができるように、茶屋の横に置かせて貰っているの。で、あの茶屋のご夫婦は役人ではないけれど、目安箱の関係で私達とは顔馴染みなの。だけど、ご夫婦はあくまで中立の立場だから、あの茶屋で御厨村の情報を得れば、偏った情報だけを拾わずに済むと思って」
右忠が説明を終えたと同時に、3人は茶屋にたどり着いた。茶屋はこじんまりとした平屋だった。軒下に置かれてある長椅子の上にある3枚の綿がたっぷり中に入っている座布団は座り心地が良さそうだ。やはり目安箱関係で国の役人が訪れるから、煎餅座布団は置けないのかな……とお琴は思った。客はお琴達以外はいないようだ。長椅子に座っていいかどうか3人が迷っていると、
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。奥は小上がりになっていますので、奥の方が涼めますよ」
と茶屋の中からえんじ色の小袖を着た小太りの女性が出てきて、3人に話しかけてきた。優しい声だが、ちゃきちゃきした話し方は商売人の話し方だ。
「あ、お信さん。お久しぶりです。右京です」
右忠は3人に話しかけてきた女性・お信を見て一礼する。右忠の顔を見たお信はぱっと目を輝かせ、
「あら、右京様じゃないの。また一段と綺麗になってぇ。馴染みの店なんだから、勝手に座っていいのにぃ。……あら、清隆様も……ってことは裏の任務で来たってことね。で、そちらのお嬢さんは?」
とくるくる視線を変えながら、3人に話しかけてきた。お琴は初対面の人と話すのは苦手なのだが、お信の愛嬌の振り撒き方は好感が持てた。
「は、初めまして。清隆様のお屋敷に使用人として働いているお琴と申します。よろしくお願いします」
お琴はお信に向かって、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくね。いやぁ、うちは息子っきりだから女の子が可愛くて仕方ないわぁ。娘がいたら、こんな可愛らしい子だと思うんだけど」
お信は目尻を下げて、お琴を見つめる。お琴は何だか恥ずかしくなって、照れて下を向いてしまう。
「何言ってんだい。俺達の娘というより孫になっちゃうだろう。自分を若く見積もるなよ」
茶屋の奥から渋柿色の小袖を着た初老の男性が出てきた。白髪混じりの頭で、顔が恵比寿様に似ている男性とお信は夫婦のようだ。
「お久しぶりです。勇作さん」
右忠がそう言って頭を下げる。勇作は右忠に気が付くと、「おぉ」と嬉しそうな声をあげた。
「右京様に清隆様。顔を出してくれて嬉しいです。……婿養子に行っちまった息子もお2人くらい顔を見せに戻ってくるといいんですがねぇ……」
勇作は2人を歓迎しつつも、寂しそうな表情を見せた。親はどんなに離れていても、子を思っているのだなぁとお琴は思いながら、この2人の息子を羨ましく思った。お琴は自分に対して、決して勇作のような素振りを両親は見せないだろうと分かっているのだが、他の親が自分の子を思っている姿を見ると、少しだけ心が痛む。
「お琴、自己紹介を」
清隆に促され、お琴ははっと気がつくが、
「あなた。こちらはお琴ちゃん。清隆様のお屋敷に勤めているんですって」
とお信が勇作にお琴の紹介してくれた。お琴はぺこりと頭を下げ、
「よろしくお願いします」
と勇作に挨拶をした。
「こちらこそ。よろしくな、お琴さん。まぁ、3人とも奥の小上がりに上がって下さいな」
勇作はにっこり恵比寿顔で笑って、3人を茶屋の中へ案内する。
「ありがとうございます」
「かたじけない」
「ありがとうございます」
右忠、清隆、お琴の順に頭を下げ、3人は勇作の後に続いて茶屋の中に入っていった。