道祖神の木陰で
道祖神が祀られている場所に着いたお琴と清隆は、木陰で休んでいる右忠のニヤニヤした表情に気がつくと、お互いに不自然にパッと繋いでいた手を離した。
「右京様、少しお琴を休ませませたいのですがよろしいですか?」
清隆は右忠に尋ねた。右忠は
「もちろん。お琴、座って涼んで」
と快諾してくれた。
「ありがとうございます」
木陰に入り、笠を脱いで、その場に座るお琴。清隆は右忠とお琴の直線で結んだ距離の中間点で胡座をかいた。三角点のようになって3人は座る。木陰と実りの秋の匂いを乗せた風がお琴を心地よくさせる。清隆は静かに目を閉じて、風を感じている。右忠は胡座をかいて水筒の水を飲む。右忠の様子を見たお琴は、女性らしくないけれど大丈夫かな……と心配した。しかし、お琴は疲れて何も言えないので、周りの景色を見ることにした。周りを見回すと、1本道の先に木の板と木で組み立てた門のようなものが見えた。道の真ん中に門は立っており、屋根もないので、家ではなさそうである。
「あれが御厨村の入口だ。あそこで手形の紙を見せるのだ」
何の為の門なのか気になっていたお琴に、清隆が説明してくれた。祖父と自分がいた国には、人の行き来が多い場所にしか、あのような門はなかった。こんな場所に入口の門が必要だとお琴には思えなかった。しかし、そういえば、おじい様が両親が住んでいる国は治安に重きを置いている国だと言っていたと思い出す。
「あの入口も治安を良くする為のものなのですか?」
「よく気が付いたわね!」
右忠が飲んでいた水筒を地面に置き、胡座をかいている左膝をポンと叩いた。
「兄の代になってから各村の四方に門を築いたのよ。きちんとした村に入る目的がある人にしか手形は毎年配っていないから、夜盗や村狩りを未然に防げるようにしているの。万が一、危ない時が起きたら半鐘を鳴らして、隣近所の村に助けを呼ぶようにしているのよ」
「そうなんですね。手形が毎年変わるのも珍しいですね」
「毎年変えないと、写しとかされやすくなっちゃうでしょ。だから、手形にする手の傷をちょっと変えてみたり、墨の濃淡を変えているの。門番が持つ手形と村に来る人が持っている手形を合わせて手形の紙を確認するから、手形を押す作業は意外に大変なのよ」
右忠が右手をひらひらさせる。その振り方は、まるで自分の手が手形の判に使われているかのような振り方だった。お琴は右忠様って伝聞したことを体験したかのように話すのが上手ねと思い、クスッと笑う。
「え、本当に大変なのよ!1つの村に最低4枚は必要だし、手形が欲しいと言う者達の数を概算して押すけれど、足りなくなる事態は起こるし……。その度に手を貸して下さいと言われるの。他の仕事にも手が必要なのに……。自分が発案したことだけど、改良が必要だと思っているのよ」
お琴の笑いに反応した右忠は、手形作りの大変さを語り出した。お琴は右忠様の口ぶりは、本当に自分が作っているかのような感じだなぁと思いながら、
「そんなに大変なのですね」
と相づちを打つ。お琴の頷きに気を良くした右忠はにっこり笑う。
「こういう仕事もあるから、息抜きで私は旅に出るのよ」
右忠の言葉に、お琴は自分の耳を疑った。
「え?手形って右忠様が作っているのですか?」
お琴は思わず右忠に尋ねてしまった。その言葉を聞いた右忠は両頬を思いきり膨らませる。
「……私、そう話していたつもりだったのだけれど!」
ぷいっとそっぽを向く右忠。
「も、申し訳ありません!」
お琴は小さくなって、慌てて謝る。右忠はクスッと笑い、
「私はただの傾奇者ではないの。兄上の右腕として、日々精進しようとしている武士なのよ」
と言って、右目だけ瞑る。言っていることと今の格好に差がありすぎるが、右忠が領主様の右腕として、民の為に頑張っていることはお琴に伝わった。そんな右忠様だからこそ、清隆様は一所懸命仕えているのだとお琴は思った。
「さっきの質問は全然気にしてないけどぉ」
右忠はお琴の鼻の前に右の人差し指を出す。
「今の私は右忠じゃなくて、右京よ。右京って呼んで頂戴ね!」
そう言うと、右忠はお琴の鼻先を軽くつついた。お琴は一瞬驚いて、目をぱちくりさせる。
「返事は?」
「……はい、右忠様」
「それでよろしい」
右忠はにっこり笑う。それに釣られて、お琴も笑う。
「……では右京様、お琴。そろそろ御厨村の門へ向かいましょう」
今まで無言だった清隆が2人の方を向き、提案してきた。清隆の様子を見た右忠はクスリと笑い、清隆の方へ近づき、
「清隆、大丈夫。今の私は女だから。……男に戻ったら嫉妬して頂戴」
と清隆の耳元で話し、清隆をびっくりさせた。お琴はそんな2人の様子を見て、やっぱり綺麗な2人は何をしても絵になるなぁ……と思っていた。しかし、決してお世辞でも器量が良いとは言えない自分がこの絵の中に入るのは恐れ多い……と、お琴は木の後ろに隠れたくなり、2人を直視できなくなった。
「ん?どうしたお琴。あまり乗り気ではなさそうだな。もう少し休みたいか?」
清隆は自分達を見ないお琴の気持ちを、もう少し休みたいのではないかと汲み取ったようである。お琴は慌てて首を横に振るが、
「ち、違います!いつでも出発して下さい!……私は歩みが遅いので、お2人の後ろに付いて行きます」
恐れ多い気持ちを拭いきれずにいる。
「何を言っている?自分よりもか弱き者を助けるのが男子の役目。お琴の歩みに合わせて歩くのは当然の事なのだから、歩みが遅いのは気にすることではない」
「そうよ。私達3人で旅をしているのだから、3人で仲良く歩きましょ」
清隆と右忠はそう言って、立ち上がる。清隆はお琴に向かって、右手を差し出した。
「さぁ、共に行こう」
清隆の美しい位、清らかな態度にお琴は思わず目が眩んでしまったが、反射的に清隆の手を取っている自分がに気がついた。
「は、はい!」
お琴は立ち上がり、このまま手を繋ぐのかな……と思ったが、右忠の目があるので、どちらともなく自然に手を離した。ちょっと名残り惜しいな……と思いながら、右忠と清隆に挟まれたお琴は御厨村の門を目指して歩いていった。