出発
「お待たせしました」
お琴は玄関に立っている右忠に、風呂敷を抱いたまま、目が釘付けになってしまった。玄関に立っている右忠は笠を被って、髪を束ねる元結で髪を垂髪にし、えんじ色の小袖の下に深緑色の小袖を重ね着し、荷物包んだ風呂敷をを腰に巻いている。お琴は一つひとつ身にまとっているものは決して派手ではないけれど、それがかえって、右忠様の美しさを引き立たせているなぁ……。こういう綺麗な女の人になりたい……と思って、右忠を見ていた。
「一応、城仕え関係の人間ということでこの格好にしたの」
右忠はお琴が見やすいように、くるりと回る。
「あ、清隆は?この時間は、見えなくても傍にいるよね?」
「私の肩の上にいます」
お琴は自分の左肩を指さす。右忠はじぃっと見るが、やはり清隆の姿は見えないようで、首を横に一振りした。
「何で清隆はお琴の肩に乗っているんだい?」
右忠は視線をお琴の顔の方に移す。
「あ、清隆様の姿が見えることができるものの近くにいる方がありがたいということで……」
お琴の説明を聞いて、右忠はニヤニヤしはじめた。
「……馬鹿正直に話すなよ……」
清隆の小さな声が、お琴に聞こえた。お琴はどういう意味なのか聞き返そうとしたが、
「正直に肩に乗せてもらう本当の理由を話さなきゃいけないのは、清隆の方だろぅ」
右忠によって阻まれてしまった。お琴は右忠の言葉の意味も分からず、ますます首を傾げる。
「右忠様、余計な事を言わないで下さい!」
「へぇぇ。じゃあ、いずれは素直に本当の事を言うつもりなんだぁ」
「……そのつもりなので」
2人のやり取りを聞いているお琴は自分だけが分からず、取り残された気分になった。
「そろそろいいですか?」
卯木が縁側の柱の陰から、スッと出てきた。卯木の手には瓢箪の水筒と笠、そして手形と紙の束と筆筒をまとめた風呂敷があった。
「自分はいつだって大丈夫だよ」
右忠は飄々と何事も無かったかのように振る舞うが、
「……卯木も聞いていたのか……」
お琴が左肩を見ると、清隆はぶすっとした表情で下を見ていた。
「お琴。水筒と2人の笠です。あと1番大切な荷物も」
卯木は持っていた水筒と笠と手形、筆筒、紙の束を包んだ風呂敷をお琴に渡そうとするが、お琴がまだ着替えが入った風呂敷を手に持っている状態だったので、手を止めた。
「あ、お琴。風呂敷を自分に渡して」
右忠がお琴に向かって、手を差し出す。お琴は言われるがまま、右忠に風呂敷を渡した。
「荷物が多くなりそうだから、この荷物は自分が持つよ」
右忠はお琴から受け取った風呂敷をささっとたすき掛けした。
「右忠様、私が持っていくので大丈夫です」
「こういう時は、女子より力のある男に任せるものだよ。男の自分に格好をつけさせてよ」
右忠はにこっと笑う。お琴は今は女性の姿になっている右忠様に頼んでいいものか……と思っていたが、右忠の笑顔を見たら断りづらくなった。
「……ありがとうございます。お願いします」
お琴は右忠に頭を下げ、卯木から水筒と2枚の笠と風呂敷を受けとった。1枚は大きくなった時の清隆用だと察したお琴は、その笠をたすき掛けした。そして、もう1枚は誰のだろう……とお琴が考えていると、
「この笠はあなたのですよ」
と卯木が言って、お琴から笠を取り上げると、笠をお琴に被せた。
「お琴。気をつけて、いってらっしゃい」
卯木がお琴の目を真っ直ぐ見つめる。今日出ていく時も家族から何も言葉は無かったので、お琴は卯木の言葉に嬉しくなった。
「では、行こう」
右忠がお琴と清隆に声をかけ、玄関を出た。
「卯木、留守を頼む」
「承知しました。お気をつけて」
「卯木様、いってきます」
お琴は手形などを包んだ風呂敷をしっかり持ち、草履を履いて、玄関を出た。
門の前にいる右忠のところへお琴は駆けていく。
「それじゃあ、3人で御厨村に行こう」
右忠の言葉にお琴は頷いた。
「お琴。色々頼ることが多いが、頼む」
清隆は頭を下げる。
「もちろんです。友に遠慮しないで下さい!」
清隆とお琴は互いを見て、微笑み合った。清隆の姿は見えない右忠はお琴の笑顔を見て、優しく笑った。
「今日はいい天気で良かった。いい日に旅に出るなぁ」
右忠が空を見上げた。お琴も空を見上げ、にっこり笑った。いい旅になるといいなぁ……とお琴は思いながら、椿屋敷を後にした。