旅の了承
「えっと、ただいま……」
葵屋の入口の暖簾をくぐりながら、お琴が中に入る。その後を清隆と女の格好をした右忠が続く。
「お琴……。どうした……?」
万吉がきょとんとした表情で3人を見つめている。どうやら店は閑古鳥が鳴いているようだ。店の中には万吉しかいなかった。
「えっと……、清隆様が父様と母様に話があるんだって。あ、こちらの方は右ちゅ……じゃなくて右京さん。清隆様のお知り合いなの……ね」
お琴はしどろもどろになりながら、説明をする。右忠から女の格好をしている時は「右京」と呼ぶように言われていたことを、お琴は忘れていた。その事を慌てて思い出し、つい変な話し方になってしまった。しかし、万吉は艶っぽい右忠に頭を下げられ、鼻の下を伸ばしていたので、お琴の態度は気にしていないようである。お琴は安心したが、娘として複雑な心境だった。
「あの……」
気まずそうに清隆が言葉を発すると、万吉は視線を清隆の方へ移し、
「ま、まぁ、裏の母屋へ回って下さいな。お琴、案内しなさい」
とお琴に言いつけた。
「……では、私の後に付いてきて下さい」
万吉にそう言われ、お琴は清隆と右忠を裏の玄関から母屋へと案内するため、1回店の外へ出た。
「おぉい、信貞。ちょっと店番を頼むぞ」
「はぁい」
店の外から、万吉が信貞を呼びつける声と、頼りない信貞の声が聞こえた。
「ねぇ、信貞ってお琴の兄上?」
少し高めの声で右忠がお琴に尋ねてきた。格好も話し方も完璧に女子に成りきっている。
「はい。義理の兄です」
お琴は傾奇者の格好をしている右忠と女装した右忠の差が激しすぎて、目を合わすことができずに答える。
「へぇ。じゃあ、姉上がいるんだ。女子2人だと、家の中がさぞ華やかになるだろうね」
「……いえ、あんなの喧しいだけです!」
お琴はつい語気を強めてしまい、しまったと思って慌てて口を塞ぐ。しかし、右忠は姉妹仲について察したようで、お琴の肩に軽く触れただけで、あとは何も言わなかった。清隆は何も言わず、右忠がお琴の肩に置いた手を見ていた。
「こちらが母屋です。こちらへどうぞ」
お琴は玄関で草履を脱いだ。後に続く2人も同じようにして、家の中へ上がる。お琴は普段お客を通す部屋に清隆と右忠を案内した。一応この部屋には床の間があるが、達磨大師の絵が描かれた掛け軸が掛けてあるだけなので、かなり質素な部屋になっている。右忠なら迷いなく「色気のないつまらない部屋」と言うだろう……とお琴は思ったが、右京は何も言わずに清隆の隣に立っていた。
「こちらで少々お待ち下さい」
お琴は清隆と右忠を上座に座らせ、万吉を呼びに向かった。しかし、その必要はなかった。万吉とお初が部屋に現われたからである。
「申し訳ありません。今日は妻の体調が優れず、床に伏せております故、代わりにお琴の姉のお初が話を聞きたいそうで……」
万吉があまり清隆達に目線を合わせずに話をする。その横でお初が深々と頭を下げる。朝、母様は普通に元気だったでしょう……とお琴は思ったが、どうせ私に関する話は聞きたくないと言って、仮病をしたのだとすぐに察した。お初は冷ややかな目でお琴を見ているが、お琴は気にしないことにした。
「では、話とは……?」
お琴の横に座った万吉とお初は清隆と右忠と向き合うように座ると、万吉が早速本題を振ってきた。
「では単刀直入に話をしたい……」
清隆はそう言って、話を始めた。
「というわけで、早速明日から仕事の為の旅に娘御を同行させたいのだが……、よろしいだろうか?」
「同性の私もおりますので、心配な事があったら、すぐに相談できるようにはなっております。女子の足でも半日で行ける村・御厨村へ行くので、ご安心下さい」
一通り仕事の内容を話し終えた清隆と右忠は、それぞれの立場で万吉にお琴の旅の同伴の許可をお願いする。最初は渋る振りをする万吉だが、旅に出た分、給金が増えると聞くと、掌を返したように態度を変えた。
「どうぞ、どうぞ!うちのみそっかすが役立つのであれば、いくらでも旅の同伴にしてやって下さい」
バンバンとお琴の背中を叩く万吉。
「あら、父様。みそっかすはまだ食べることができるから、役立つ用途はありますよ。お琴とみそっかすを同等の立場に置くのは、味噌に失礼よ」
お初はきつい言葉で、お琴を攻撃してきたり妹に辛辣な言葉を浴びせる為にいるのかと思うくらい、お初は冷淡な表情と言葉で、今の場の雰囲気を凍らせた。お琴はまさかお初が初対面の人がいても、自分の悪口を言うとは思っていなかったので、思わず泣きそうになった。しかし、お琴は負けまいと思い、下を向いて我慢する。万吉はそんな思いをお琴が抱いているとは露知らず、
「アハハハ!相変わらず、お初ははっきり言うなぁ!」
とお初を叱りもせずに、場の雰囲気を和ませようとする。その時、
「では!」
清隆がすっと立ち上がり、
「お琴には、早速旅支度をさせても良いということでよろしいかな?」
お琴の横に座り、下を向いているお琴の肩を掴み、お琴を立ち上がらせた。お琴は自分が清隆に密着していることに気づき、顔を赤らめる。
「では、お琴。着替えだけ用意して欲しいのだが……。自分の部屋まで案内してもらおうか」
間近で涼し気な瞳の清隆に見つめられ、ドキドキしたお琴の涙は一気に引いてしまった。
「は、はい……、こちらです……」
お琴は下を向いて、手で方向を示す。
「では、失礼」
そう言って、お琴と清隆は部屋から出ていった。残された3人は呆気に取られたが、
「……プッ!アハハハ!」
右忠の大きな笑いで、万吉とお初も遠くに行っていた意識が戻った。
「では、私も失礼しますね」
右忠はそう言って立ち上がり、万吉とお初を一瞥して、部屋を出ていった。




