早き良し
「帰りがあまりにも遅いから心配しましたよ!」
土間で卯木からの叱責を、豆腐が入った桶を持ったまま受けるお琴。確かに遅かったので、何も言えない……とお琴は思った。けれど、「心配した」という卯木の言葉に、お琴は少し嬉しくなった。この国に来てから、お琴を心配して叱る人なんて周りにはいなかった。叱られているのに嬉しくなるなんて……。不謹慎だけど、嬉しい……とお琴は胸の奥が温かくなった。
「申し訳ありませんでした。この次は時間に気をつけて行動します!」
お琴が潔く頭を下げると、卯木は軽くため息をつき、
「あまり心配させないで下さい。……では、昼食を作りましょう。お琴、清隆様の膳の用意を」
と言って、お琴から豆腐が入った桶を受け取り、包丁とまな板が置いてある台へと向かった。
「は、はい!」
お琴も返事をし、清隆用の膳の用意を始めた。
「だんだん秋が深まってきたなぁ……」
裏庭にある1人用の腰掛けに座りながら、お琴は季節の草木を見つめている。
昼食作り、残りの部屋の拭き掃除を終えたお琴は、卯木との花嫁修業の手習いの前に、少しだけ裏庭でひと休みをしている。たまに卯木がお琴に羽を伸ばすよう、計らってくれるのだ。だが、これはただのひと休みではないことをお琴は分かっている。
「……今日は歌道だっけ。和歌は苦手なんだよなぁ……」
お琴は今日の手習いの内容を思い出し、頭を抱える。卯木のお琴をひと休みさせる狙いは、今この時間は季節を感じて、次の歌道の時間の歌作りに活かせということなのだ。和歌とは様々な技法を使って自分の気持ちを詠うもの。どんな気持ちを詠っていいのか分からないお琴に、卯木は歌を作る取っ掛かりを与えるために外の景色を見る時間を許している。
「秋の草木が綺麗じゃだめなのかなぁ……」
お琴はしょんぼりした表情で秋の景色を見つめる。そして、清隆の話を思い出した。「友として、旅の同行をして欲しい」これはお琴にとって、ありがたい申し出だった。あまり人には言えないが、ここ最近の母と姉の風当たりが一層強くなってきているのだ。友が増えることも嬉しいのだが、あの家から離れたいというのが、お琴の本心だった。お琴が小さくため息をついた時、
「……!まぁ、……!」
「……かな?」
いつも静かな屋敷が何やら騒がしくなったのをお琴は察した。どうしたのだろう……?とお琴は思い、玄関の方へ様子を見る事にした。お琴が玄関へ近づくと、先ほどの話し声は聞こえず、パタパタと足音があちこちに聞こえてきた。誰かが忙しく動き回っているようだ。何か手伝った方がいいかもしれない……とお琴は思い、慌てて玄関から屋敷の中に入ろうとした時、
「あ、お琴」
玄関のところに先ほどの女の格好をした右忠が立っていた。
「う、右忠様!?どうされたのです?」
「うん、清隆とお琴の旅に自分も同行しようと思って。その事を清隆に話そうと思って来たんだ」
右忠は美しい顔でお琴に笑いかける。しかし、お琴はその笑顔ではなく、右忠のサラリと発した言葉が気になった。
「……えっと、右忠様。今のお言葉は一体どういうことでしょう?」
右忠は笑顔のまま、お琴を見つめる。
「だから、君達の旅に自分も同行することにしたんだよ。それで、お琴の家に挨拶しに行こうと思ってさ」
ますますお琴は意味が分からなくなった。
「な、何で私の家に挨拶に行くんですか?」
「だって、大事な娘さんを旅に連れていくんだろう?どんな奴と旅をするのか、親は気になるさ。清隆みたいな仏頂面とだけの旅って分かったら、親御さんは不安になるだろう?男と二人旅よりも、女の格好をした自分も挨拶しにいけば、親御さんは女性がいると安心してお琴を送り出すと思ってさ」
右忠のしっかりした理由のある答えに、お琴は少し驚いてしまった。お琴はあの家族なら、わざわざ挨拶しなくても喜んで私を旅に出すと思ったが、右忠様が私の事をきちんと考えて下さっていたんだ……と嬉しく思った。しかし、今日清隆様から話を聞いたばかりなのに、随分話が進むのが早いな……と話の展開に付いてこれない自分がお琴の中にいる。清隆様の友になったのだから、もちろん友として、旅に同行するつもりだけど……とお琴は考えている。
「そのことを清隆に話をしたくて、急なんだけど、ここに来たんだ」
「話なら、もうここで聞いてしまいましたよ」
玄関横の壁から、清隆がスッと出てきた。あ、清隆様。あの後、大きくなれたんだと清隆の姿を見て、お琴は安堵した。
「清隆を呼びにいくと言ってから、時間が経っているなぁと思っていたけれど、立ち聞きしていたとはねぇ……」
右忠はニンマリと清隆を見て笑う。
「……まだお琴には旅の出発日とか話をしていないのに、勝手に先に話を進められては困ります」
「何を言ってるんだい?早き良し、ちょうど良し危うし、遅しわろし、だろ?今回は早い方がいいんだ」
右忠の含みのある言い方を聞いて、清隆はピクッと左の眉を上げた。
「……一刻を争う事態になりそうということですか?」
「そういうこと。できたら、明日旅立ちたい」
「……分かりました。明日ですね。ですが、右忠様は連れていきませんよ」
「えぇっ!何故っ?」
清隆が放った言葉は右忠の心に刺さったようだ。右忠はわざとらしく、玄関の床に膝をつけ、泣き真似をする。お琴は、何だか男の人に捨てられそうになって追い縋る女の人みたい……と思った。本来はみっともない図なのかもしれないが、美しい2人なのでとても絵になる。
「何故って……。右忠様は領主様の弟君です。他にも仕事があるから、私がこの仕事をやっているのですよ。報告を受ける側が一緒に旅をするのはおかしいです」
「……でもさ、男女二人旅をお琴の親は許すと思うかい?お琴は嫁入り前の娘だよ」
右忠の鋭い質問に、清隆様は思わず口ごもる。
「この屋敷には、女性はあと卯木しかいない。だけど、卯木と真成に屋敷の事を任せるから、卯木からはお琴の家族にお琴が旅に出ることを了承して貰う話は出来ないだろう?旅に同伴しない者が旅の話をするのはおかしいからね。仮に卯木が私も付いていくから……と話をして、清隆とお琴が旅に出た後、卯木とお琴の家族が町でばったり会ってしまえば、嘘をついたことになる。だから、自分が女の振りをして挨拶に行けば、お琴の親も安心して、旅することを了承してくれる思うんだ」
清隆の一瞬の隙を突き、右忠が流暢に話を始めた。
「……右忠様。女の振りをしてお琴の家族に話をしたら、それも嘘になるのでは……?」
右忠に押されながらも、必死に清隆は反対意見を言う。
「だから。自分は女の振りをして、一緒に旅をするんだよ!それなら嘘にはならない」
右忠が胸を張って言った。清隆はしばらく考えて込む。
そして、
「……お琴は旅をしたいかい?」
と清隆はお琴に尋ねた。お琴の答えは決まっている。お琴はまっすぐ清隆を見つめ、
「はい!私は清隆様の友として、清隆様のお仕事を手伝いたいです!」
と答えた。お琴の答えを聞き、清隆は小さく頷く。
「……では早速、私と右忠様と一緒にお琴の親に旅をする了承を得るための挨拶しに行こう」
清隆の決断を聞いて、右忠はにっこり笑った。
「善は急げ、だね」