裁縫箱の中
お琴は一の間から去った後、玄関前の廊下でお茶を運ぶ卯木と会った。
「お琴。これで私もお茶を運んだら、夕食の準備をしますので、先に土間へ行って、夕食の材料を切ってください。材料はいつもの場所に置いてありますので」
と卯木から指示を出された。卯木の言葉を聞いたお琴は、もう夕食の準備をしなければいけない時間だったのかと気がついた。
「承知しました。準備致します」
お琴は卯木にそう言うと、早速土間へ向かっていった。
お琴が土間の中に入ると、真成が困った表情をして土間の入口の隅に立っていることに気がついた。
「あれ?真成様、どうしたのですか?」
滅多に土間に来ない真成が、今ここにいることをお琴は不思議がる。
「あ、お琴……」
気まずそうな声を出す真成。お琴が目を合わそうとすると、真成は目を逸らす。
「ど、どうしたのですか?」
「あ、あの……」
短い筒袖の団栗色の小袖の上に短い灰色の袴を履いている真成を見て、お琴は気がついた。小袖の右腕部分が縫い目に沿って裂けていたのである。
「右腕のところ、どうしたのですか?」
「いや……。右忠様が来る前に庭を少し手入れしようと思って、木を切っていたら……」
「小袖を破ってしまった、と」
お琴の言葉に真成は小さく頷く。
「いつもは襷を掛けて作業をするのですが、少しだけだし、そのまま右忠様に会う時の格好で……と思っていたら……」
「……もしかして直して欲しくて土間へ来たのですか?」
また真成が小さく頷いた。
「分かりました。私、今日の夕食の材料を全部切ったら、真成様の小袖を直します」
お琴がそう言うと、真成の表情が明るくなった。右忠様に会う時の為に着るようだし、今着ている小袖は真成様の一張羅なのかな……と真成の表情を見て、お琴は思った。
「……ありがとうございます!俺も材料切りを手伝います」
「いや、男性を土間に立たせるわけには……」
「幼い頃より母から料理は教わっているので、その点はお気遣いなく」
真成はそう言うと、上衣を脱ぎ、白衣に袴姿になった。右袖が破れた小袖は使用人が座る木の板の上に置いた。
「包丁をお借りしても?」
「あ、はい。どうぞ」
お琴は料理道具を入れてある戸棚から包丁を取り出した。そして桶の水で包丁をすすぎ、包丁の水気を切って、真成に渡した。
「ありがとうございます。では、俺にどんどん切るものを渡してください」
「わ、分かりました」
真成に言われるがまま、お琴は味噌汁に入れる具材を渡し始めた。人参、今が旬のきのこ達が真成の手に渡ると、真成は人参の皮を綺麗に剥いて銀杏切りに、きのこ達も食べやすい大きさに素早く切っていった。真成の手際の良さに、お琴は「おぉぉ……」と小さく感嘆をもらすと、
「具材はこれで以上ですか?」
と真成に尋ねられた。
「は、はい。味噌汁に入れる具材はこれで終わりです」
「では、ついでに味噌汁だけ作ってしまいます」
真成は調味料が入っている戸棚から鰹節と味噌を取り出した。幼い頃の土間で料理をした記憶を思い出したのだろう。真成の言葉に、お琴は一瞬、そこまでやって貰っていいものか考えてしまった。しかし、
「あ、ありがとうございます。助かります。で、では私は真成様の小袖を縫い直しますね。見た様子だと、縫い目に沿って破れているので、それほど難しくない……と思いたいですが……。とりあえず、裁縫箱を取りに行ってきます」
と、真成に味噌汁作りを頼むことにした。
「ありがとうございます。裁縫は習わなかったもので、自信がなく……」
「私もやっと本仮縫いのやり方が分かった人間なので、あまり自信がないのですが……。精いっぱいやってみます!」
お琴はそう言って、裁縫箱を取りに本倉へ向かった。
「あ、あった」
玄関から伸びた廊下の突き当たりにある本倉の中に入ったお琴は、早速裁縫箱を見つけた。重箱のような裁縫箱の形を見て、
「……多分、上の箱だけ持っていけばいいんだよね。いつも卯木様が裁縫を教えてくれる時は、2段の箱じゃ無くて、蓋の付いた箱だけだったから……」
お琴は裁縫の手習いの時のことを思い出し、上の箱だけ持ち上げた。すると、
「……え?何これ……」
お琴は下の箱を見て、驚いた。下の箱には小袖の型紙が入っていたのだが、
「これ……、どう見ても小さいよね……」
お琴は上の箱を床に置き、小袖の型紙を手に取った。小袖の型紙は一寸より少し大きい位の大きさだとお琴は思った。
「人形よりも小さい型紙……。まるで小人の……」
お琴は自分で呟いた言葉に驚いた。でも、人形で遊ぶ年頃の人間はこの屋敷にいないものね……とお琴は頭の中で考える。
「これ、あの小人の服の型紙……かも」
お琴は直感でそう思った。そして、小人とのやり取りを思い出す。お琴のことを使用人扱いしたり、自分を武家の男子と言ったりしていた小人……。小人が榛名家の者だとしたら、あの悪態も納得がいくかも……。小人とのやり取りを思い出すと、そう考えるのが自然だとお琴は思った。
「もしかして、小人は榛名家と関わりがある者なのかも……。きっと、そうだわ!」
お琴は自分の直感を信じることにした。しかし、誰に小人のことを聞けばいいのか分からない。それに、今は真成に頼まれたことを優先させなければいけない。
「一旦見なかったことにして、2段の箱ごと持っていこう」
お琴はそう決めて、裁縫箱を持って土間へ向かった。