一の間で
素襖をきちんと着た清隆が一の間に現れた。
「遅くなってすまなかったな。では早速見させて貰おう」
そう言うと、清隆は花が飾られている床の間から畳一帳分離れた位置に座り鑑賞前に一礼する。そしてじっくり鑑賞を始めた。
「……花器はこの床に合う質素なものにしたのだな。花は秋らしいもので揃えて……。床が華やかになったな。このくらいの華やかさが私は好きだ。お琴、感謝する」
清隆はお琴の方を向いて、優しい笑顔で感想を言った。
「あ、ありがとうございます」
正座をしていたお琴は頭を下げる。その様子を見て、卯木は少し安心した表情を浮かべるが、すぐに元の顔に戻す。
「では、私はお客様に出す御菓子を買いに行って参ります」
卯木は清隆とお琴に伝えると、スタスタと一の間を出ていってしまった。頭を上げたお琴は清隆様と2人きりだ……と思ったら、先ほどの出来事を思い出してしまった。思い出してしまうなんて……。は、恥ずかしい……とお琴は清隆と目を合わせずに下を向くが、清隆の胸元が目に入ってしまった。清隆はきちんとした着方をしているのに、お琴は先ほどのはだけた胸元を思い出してしまう。な、なんて私ははしたないの!とお琴は見る見るうちに顔が赤くなってしまった。くるくる変わるお琴の表情を見た清隆は、
「……八つ時*午後3時*頃に客人は来るらしいから、御菓子を買ってきてくれるのだろう。御菓子と酒を出せば、ご機嫌な方だからな……」
と場の雰囲気を変えようと話題を振るが、お琴の耳には届いていないようだった。すると、
「失礼します、清隆様」
と一の間に真成が入ってきた。
「もう少しでお客様が来るのですが、他に用意するものはありますでしょうか」
真成はお琴と清隆の間に流れる雰囲気に全く気がつかずに用件を話す。
「うむ……。もうないと思うから、いつもの午後の仕事をして欲しい」
「承知しました。……お。床に花が。これはお琴が生けたのですか?」
清隆の後ろの床がいつもと違うことに気がついた真成はお琴に尋ねた。この真成の声で2人きりではないと気がついたお琴は、
「え、あ、そ……」
と答えようとするが、うまく答えられない。そんなお琴を見て、真成は優しく笑い、お琴の鼻をツンと軽くつついた。一瞬、鼻に意識がいったが、はっとしたお琴は真成と目を合わせる。
「私が生けました!」
「よかったです。元のお琴に戻ったようですね」
真成は優しく微笑むと、つられてお琴も微笑んだ。そんな2人の様子を見て、
「真成。今の態度は花を生けた人に対しての態度ではないだろう。生けた花にも生けた人にも感謝を示すのが華道であろう」
口を少しとがらせながら、清隆が言った。清隆に言われた真成は少し考えて、言葉を選ぶ。
「俺はただ、お琴が元に戻ったら……と思っただけでした。すみません、華道に疎くて……。では、用意するものがなければ俺はこれで失礼します」
「あ、私も庭掃除に行きます!」
真成に続いてお琴が言うと、一瞬涼し気な清隆の表情が曇った。しかし、お琴と真成は全く気がつかない。真成とお琴が出ていった一の間で、1人ため息をつく清隆を誰も知ることはなかった。