花嫁修業
内玄関の間、中の間、仏間を拭き終えたお琴は掃除用具を片付けて、一の間へと向かった。卯木との手習いは一の間でいつも行っているのだ。本来はお琴の立場では使える部屋ではないのだが、清隆の厚意で手習いの時だけ借りている。
「失礼します」
お琴は縁側で正座をし、一の間の障子を開けた。すると、床をじっと見つめて考え事をしている清隆がいた。一の間の床は畳より床板の上面を高くした、蹴込み床になっており、床には掛け軸と皿が飾られている。お琴に気がついた清隆ははっとした表情をして、
「あ、お琴。そうか。手習いでこの部屋を使うのだな。すまないが、少しだけ床の間の飾り付けをやらせてくれないか」
と言って、床に飾られている皿を動かし始めた。一瞬どういう事なのか分からず、ぽかんとしたお琴だが、
「あ、私も何か動かしましょうか?」
と申し出た。眉間に少ししわを寄せていた清隆はぱっと表情を明るくして、
「ありがたい。助かる。一緒に床の飾りを考えて欲しい」
とお琴に頼んだ。お琴は物を運ぶつもりだったのだが、清隆の切実そうな声を聞いたら、自信はないが飾り付けを手伝わねば……と思った。
「私でよければ、ですが……。見栄えの良いようにできるかどうか、あまり自信ありませんよ」
「構わない。女子の視点が欲しいのだ」
清隆の答えにお琴は首をかしげた。
「……そういえば、一体なぜ床の飾り付けをするのです?」
お琴の問いを聞いた清隆は深いため息をついた。
「も、申し訳ありません。ついお聞きしてしまって……」
お琴は慌てて頭を下げると、
「……お前は私の前では使用人として振る舞うのだな」
と清隆がつぶやいた。
「え?私は清隆様に仕える身ですので、当然の振る舞いかと……。……あ。申し訳ありません!口が過ぎました!」
再度お琴は頭を下げると、
「よい、よい。頭を上げよ。当然のことなのに、わざわざ言う私が悪い。それに私はお琴の思ったことをはっきり言う性格が嫌いでないので気にするな」
清隆はお琴に向かって、少し寂しそうな笑顔を見せた。
「……実は夕方に来客があってな。その者は旧知の仲なのだが、いつも屋敷を見ては「色香の欠片もない、つまらない屋敷」だと言うのだ。その者曰く、慎ましさの中に垣間見る華やかさが男や女の色香、らしい。屋敷から全く私の色香が見えぬと言われるのも悔しいのでな」
清隆は言った後、口を少し尖らせる。お琴はそんな清隆を見て、意外と負けず嫌いなんだなと思ったと同時に、一瞬昼間の夢を思い出した。小人が大きくなって自分に謝る夢。有り得ない夢なのだが、妙にはっきり覚えている。しかしお琴は、なぜ今、自分が小人のことを思い出すのか不思議だった。清隆様と小人は全然違うのに。おそらく忙しくて、今時分思い出してしまっただけだとお琴は思うことにした。
「だから、今日はこの部屋にその者を通すので、この部屋を飾りつけようと思ったのだ。一緒に考えてくれないか?」
妙な間を感じたのか、断ち切るように清隆が改めてお琴に頼んだ。
「は、はい!」
お琴は勢いよく返事をしたが、
「……どうやったら華やかさが出るのでしょうね」
「そうだなぁ……。床には必ず掛け軸と皿を飾るように上から言われているから、それはそれは変えられぬし……」
「うーん……」
「うむ……」
2人は早速行き詰まってしまった。お琴はじっと床を見る。床に置いてあるものは山々に囲まれた里山の水墨画の掛け軸と無地志野の皿。水墨画は筆の動きが有名画家の誰のものでもないとないし、落款がないので、おそらく趣味で榛名家の誰かが描いたのだろうとお琴は思った。皿は美濃焼の1つ、志野焼の中の無地志野と呼ばれるもので、文字通り絵模様が少ない白無地の焼き物だ。水墨画と無地焼きの皿ではもの寂しい印象を与えるとお琴は思った。
「ここの床の世界は白と黒なのね……。そこに彩りを与えるとしたら……」
お琴は小声でぼそぼそ何か言い始めた。清隆は一瞬自分に話しかけたのかと思い、お琴の方を見る。しかし、違うと分かると優しい微笑みを浮かべてお琴を見つめた。そんな清隆に全く気がつかないお琴は、一所懸命考えている。そしてはっと考えが思いつき、
「あ!清隆様……」
清隆の方を振り向いた。すると、清隆と目がばっちり合ってしまった。お琴と清隆はびっくりして、思わず目を逸らしてしまう。
「あ、ど、どうした?お琴。何か良い案が浮かんだか?」
ゆっくりお琴の方を向きながら、清隆が尋ねた。
「あ、あの、季節の花を飾ったらいかがでしょう?今でしたら庭の桔梗とか見頃ですから……」
お琴もゆっくり清隆の方に視線を戻しながら答えた。お琴の答えを聞いた清隆は憂いが晴れた表情をして、
「それはいい案だ!では早速、庭にある季節の花を切りにいこう」
と言うと、
「それは私とお琴でやります」
という卯木の声が聞こえた。すると縁側の障子が開き、卯木が中に入ってきた。2人は卯木の登場にびっくりしたが、卯木が来て安心感が心の中に生まれた。
「お琴。今日は書道ではなく、華道をやりましょう。花を活け終えたら、清隆様をお呼びします」
「あぁ。では頼んだ」
卯木のてきぱきした指示を受けて、清隆は一の間を出ていった。
「では早速、華道の準備を致しましょう」
「はい、よろしくお願いします」
「では、まずは道具を揃えましょう」
卯木の指示に従い、お琴は華道の道具を取りに内蔵へ向かった。