小人の悪戯
次の日。お琴はいつも通りに椿屋敷に行くと、
「あ、お琴」
門を出ようとしている卯木に声を掛けられた。
「卯木様、おはようございます」
お琴は深々と頭を下げた。
「今日はちょっと使いを頼まれたので出掛けますが、昼食作り前には帰ってきます。それまでいつも通りに掃除をお願いします」
「はい、分かりました」
卯木はお琴の返事を聞くと、
「では、行ってきますね」
「お気をつけて」
足早に椿屋敷から出ていってしまった。手には何も持っていないから、きっと言づてを頼まれたのだろうとお琴は思いながら、卯木を見送った。
お琴は椿屋敷の中に入るが、静かに入らなければいけない。清隆を起こしてはいけないと卯木から言われているからだ。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
お琴は小声であいさつをし、椿屋敷に上がった。
「お琴。おはようございます」
真成が一の間から出てきた。真成は灰色の小袖を着ている。今日は椿屋敷で仕事をするのだろう。
「真成様、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
お琴が真成にペコリと頭を下げると、真成はお琴の右肩に軽く触れてきた。お琴はびっくりして頭を上げると、真成はゆっくり頷いた。どうやら頭を下げなくていいという意味でお琴の肩に触れたようだ。口で言ってくれれば、こんなに無駄にびっくりしなくて済むのに……とお琴は思いながら、真成を見つめる。
「今から俺は庭の畑へ行ってきます。何かあったら遠慮なく声を掛けてください」
真成はそう言うと、玄関を出ていった。お琴は真成の言葉では言わず、相手が思わず胸が高鳴るような仕草で伝える方法は止めて欲しいのだが、真成に悪気がないので言えない。
「はぁ……」
と小さくため息をつきながら、風通しを良くするために一の間と縁側を繋ぐ障子を開けたお琴は目が点になった。
「な、何これっ!」
一の間の畳の上が黒い動物の足跡だらけになっていたのだ。一体どうして?椿屋敷に動物はいないはずなのに……。あ、清隆様が餌をあげているから、もしかして入り込んだ?とお琴が考えていると、
「大次郎、外に出るぞ!」
という声が聞こえたと同時に、一の間の奥の襖が開き、茶色い犬がお琴めがけて飛び出してきた。
「きゃあああ!」
お琴が叫び、怖くて目をつむって座り込むと、
「大次郎、ちょっと待ってくれ」
という声が聞こえた。茶色い犬はハァハァ言いながら、お琴の前で待っている。
「びっくりしただろう」
お琴は聞き覚えのある声にゆっくりと目を開けると、小人が犬の頭の上から、お琴の様子を見てニヤニヤしていた。
「あ、あんたの仕業なのね!信じらんない!」
お琴は座り込んだまま、小人に向かって怒鳴った。
「オイラはただ友達を家に上げただけだ。たまたま友達がちょっと足の裏が汚れていただけで」
小人が含んだ笑みで答える様子を見て、お琴ははっと気がついた。
「……これがあんたが昨日言っていた仕返しの悪戯ね!」
「ご名答。オイラ1人の力での悪戯はたかが知れているから、こうやって友達に協力してもっているんだ。どうだい?掃除のしがいがあるだろう」
「じゃあ、目的は達成されたのだから、その友達に出ていくように言ってちょうだい!」
お琴が息巻くと、小人はフッと笑い、
「……今日はこれで止めてやるけど、仕返しはまだまだ続けるからな!行こう、大次郎!」
と言って、犬と共に庭へ出ていってしまった。お琴は小人の悪戯に怒りでいっぱいだったが、汚れが畳だけでよかったと思った。
「……絶対、悪戯なんかに屈服しないんだから!縁談のことも悪戯のことも謝らせてやる!」
お琴はそう決めて、両の手で握りこぶしを作った。