お琴、優位に立つ
お琴が奉公に行き始めた頃は、まだ山々の木々だけ赤や黄色に色が変わり始めていたが、今は山々だけでなく、里や町の方も秋色に深まってきた。
朝食を食べ終えたら椿屋敷に行き、掃除から夕食作りの仕事をしたら家に帰るという習慣にお琴は慣れてきた。掃除は1人でできる範囲が増えたし、夕食作りは野菜を切る仕事を任せて貰えるようになった。家族というか母と姉には、まだ気まずい思いを持っている。あの奉公初日の夕方のいざこざがきっかけだが、お琴は前から自分が抱いていた思いだから、急に消えるものではないと割り切っている部分もある。
母や姉のことよりもお琴には気になっていることがある。昼食前に掃除を1人でやっていると、どこからか視線を感じるのだ。視線に気がついて、お琴が振り向くと、遠ざかる小さな足音が聞こえる。この足音でお琴は視線を送る者の正体が分かった。1回2回なら我慢できるが、ここ最近毎日だ。何で自分を見てくるのかお琴は気になっていた。理由を聞くために捕まえようと追いかけても、すぐに逃げてしまうので、捕まえられない。今日も1人で二の間の拭き掃除をしているので、おそらく今日も見てくるだろう。視線を感じたら、今日は捕獲作戦を実行しよう!とお琴は思いながら、拭き掃除を始めた。
しばらくお琴が拭き掃除に専念していると、縁側と部屋の間の障子から視線を感じた。よし、来たな……とお琴は思い、
「い、痛たたっ……!」
雑巾を落とし、両手で胸を抑えた。はぁはぁと息切れを起こし、
「く、苦しい……」
と言って、畳の上に倒れた。すると、
「だ、大丈夫か!?」
障子の向こうから声が聞こえ、お琴に近づく足音が聞こえた。
「く、苦しい……」
「しっかりしろ!」
お琴は自分の額に誰かが触れたのを感じた。
「今、人を呼んでくる!」
「大丈夫。嘘だから」
お琴はそう言って、立ち上がった。お琴の前には橙色の素襖を着た小人が立っていた。あまりのお琴の変わり身に驚いたのか、小人は固まっている。
「あなた。私のことをずっと見ていたでしょう。何で私を見ていたのか教えなさい!」
お琴の言葉を聞いて、はっと気がついた小人は、
「……お前、騙したのか!オイラはてっきり仕事の疲れから体調を崩したのかと思って心配したのに!人の善意を何だと思っているんだ!」
と口を開いた。
「私が追いかけようとすると、あなたが逃げるからでしょう。何で私を見ていたの?」
お琴の詰問調の言葉に対して、小人は気まずそうな表情をした。
「……その、あの、……この間は悪かった。どうせ1日で奉公を辞めるとか言って……。頑張っている人間に対して失礼だった。お前、根性あるな」
小人の言葉を聞いて、お琴は驚いた。
「え?じゃあ、私に謝りたくて、ずっと私を見ていたの?」
「……そうだよ!悪いかっ」
小人は顔を赤らめながら口をとがらせ、お琴から目を反らした。お琴はなんだか小人がかわいく見えてきて、わざと小人の目を見る。
「……!やめろ!見るなっ!」
お琴の視線に気がついた小人は、自分の顔を見られないように素襖の袖で隠す。
「あなたって、かわいいところがあるのね」
「!オイラは武家の男子だぞ!男子に失礼であろう!もうオイラは行く!」
小人はそう言って、素襖の両足の裾を持ち上げて二の間から出て行き始めた。
「心配してくれてありがとう」
お琴が小人の背中に向かって言うと、小人はお琴の方を向き、
「オイラの家を綺麗にしてくれる使用人を心配するのは当然だろう。それよりもお前がオイラより優位に一瞬でも立つなんていう屈辱を受けたことが悔しい!……決めた。オイラをからかった罰で、明日から悪戯をしてやるからな!」
そう言うと、素早く二の間を出ていった。お琴は小人の捨て台詞なんて大したことないと思っていたが、その考えは間違っていたということに明日気づくのであった。