縁側掃除の前
残りの内玄関の間、中の間、仏間の拭き掃除をし終えたお琴は、自分が思っている以上にフラフラになっていた。
「お琴。私はちょっと使いに出ますので、縁側の掃除を頼みますね」
「はい、分かりました……」
卯木はたすきを外し、四角く包んだ藤色の風呂敷を持って椿屋敷を出ていった。
「次は縁側だ……」
お琴は玄関から内蔵に続く廊下に置いてあった手桶と雑巾を持って立ち上がった。すると、クラっと立ちくらみをして倒れそうになってしまった。
「あ……」
足を出して踏ん張ろうとしたが、うまく足が出せない。倒れる……!とお琴は思って思わず目を瞑った瞬間、
「大丈夫か?」
という声と同時に、お琴は何かにぶつかった。
「あれ……?」
お琴は恐る恐る目を開けると、目の前は白地の着物があった。どうして……?と思って見上げると、清隆がお琴を見下ろしているのが見えた。その瞬間、お琴は清隆の胸の中に収まっていることに気がついた。見る見るうちにお琴は自分の顔が熱くなってくるのが分かった。清隆も涼しげな瞳を右に逸らして恥ずかしそうにしている。
「あ、も、も、申し訳ありません!」
お琴は離れようとするが、うまく足に力が入らない。
「だ、大丈夫だ。私の方は……。気にするな……」
心なしか清隆の声も恥ずかしそうに言っているようにお琴には聞こえた。
「も、申し訳ありません……」
お琴はゆっくりと清隆から離れた。目がなかなか合わせられない2人の間に気恥ずかしい空気が流れる。な、何とかして打ち消さないと……と思ったお琴は清隆の足元を見ると、清隆のうぐいす色の上袴の足の部分が濡れていることに気がついた。
「あ……!桶の水が……!申し訳ありません!」
「あぁ、気にするな。どうせすぐに乾く。お主に怪我がなくて良かった」
清隆はお琴の右肩を軽く叩きながら言った。清隆は涼しげな瞳に鼻筋の通った顔立ちをしているので一見すると綺麗を通り越して怖い印象になりそうだが、仕草や口調が優しいので、ある意味顔で損をしている人だとお琴は思った。
「お琴。さっきから私に申し訳ないと言っているが、我が家の家訓は「どんな者に対しても挨拶と礼をするように」だ。こういう時は礼を言うように。榛名家に仕える者になった以上、我が家の家訓を守るように」
清隆は鋭い目でお琴を見つめたが、耳だけが真っ赤になっている。あ、お礼を言って欲しいんだとお琴は直感的に思った。
「清隆様、助けて下さり、ありがとうございました」
お琴は笑顔で清隆に礼を言った。清隆は「うむ」と一言言って、涼しげな顔をしてお琴から目線を逸らした。
「お礼を言われて照れるなんて……。清隆様って案外可愛い方なんですね」
その言葉を聞いた清隆の目が見開いた。言ってからお琴はしまった!と慌てて口を押さえた。どうして思ったことをつい言ってしまうんだろう……。男の人が可愛いと言われて嬉しいわけがない。しかも相手は郷士様……。最大級の失礼な態度だ……とお琴はしょんぼりして、お叱りを受ける覚悟でいると、
「……お琴の思ったことをどんな相手にも言えるところは長所だ。相手が上であればある程、人は言いづらくなるからな。仕事に励め」
清隆は元の涼しげな顔に戻り、土間の方へ行ってしまった。ホッとしたお琴だが、今度は胸がドキドキしてきた。
「……あ!縁側を拭かないと!」
お琴は胸のドキドキをごまかすため、縁側の掃除を頑張ることにした。