疲れはてた結果
「お琴のおかげで部屋の中で戻る事が出来た。ありがとう……え、お琴?大丈夫かっ」
涼しげな笑みで部屋から出てきた清隆は、廊下でぐったりと倒れているお琴を見つけて駆け寄った。
お琴は息を切らせながら、清隆を見つめる事しか出来なかった。連日走る事が多く、今疲れが頂点に達してしまったのだ。
「ほ、本当に申し訳ない。水を持ってくるので、もう少しそこに居てくれ」
清隆はお琴の脇を通り抜けると、草履を履いて茶屋へ行ってしまった。
話したいのに疲れて話をする事が出来ないなんて……とお琴は悔しがる。清隆に気を遣わせるつもりは全くなかった。それなのに結局清隆に助けて貰う自分が本当に不甲斐ない。
ひんやりとした床が気持ちよくて心地いい。そんな事を考えながら、横になって息を整えようとする。すると、
「……あ」
宿の出入り口に立っている右忠が声を上げた。
お琴は右忠に気付くも、右忠への労いの言葉を発する事が出来なかった。何か言おうにも焦りから肩で息をしてしまう。
「お琴、大丈夫?」
右忠がお琴の元へと駆け寄ってきた。ほんのり顔を紅潮させている。精一杯の速さで戻ってきてくれた事はすぐに分かった。
清隆様にも右忠様にも心配かけて、私は何をやっているのだろう……と、お琴はますます情けなくなってしまう。落ち着くために深呼吸をすると、清隆の時に比べ、幾分か話せるまで体がいつもの状態になってきた気がした。
「だ、大丈夫です……。連日走る事が多く、今日が一番疲れが達してしまったみたいで……。ちょっと疲れきって起き上がれないだけです……。それよりも右忠様が無事に戻ってこられて何よりです……」
「私の事より自分の事を考えなさい!……ちょっとごめんなさいね」
右忠の断りは一体何なのだろうと思っていると、右忠はお琴の両肩をがしっと掴んだ。
突然の右忠の行動に驚いて固まっていると、右忠は一瞬でお琴をすっと起き上がらせた。自分の力では起き上がれなかったのに、こんなにいとも簡単に右忠はやってのけてしまった。起き上がれなくてもがいていた時間は何だったのだろうか。
「どう?部屋まで歩けそう?」
右忠はお琴の両肩を優しく掴んで体を支える。
右忠は女の人の格好なのに、目を合わせようとすると緊張してしまう。
「あ……。清隆様が水を持ってきてくれるので、それを飲んだら部屋に戻ります」
お琴は両手の平をしっかり床につけ、自分の体を支える。
お琴の力の入れ具合を見た右忠はこれなら大丈夫だと判断して、ゆっくりとお琴から両手を離した。
「じゃあ、清隆が戻ってくるまで私もここにいようっと」
右忠はにっこり笑うと、お琴の隣に腰を下ろした。
右忠が隣というのは少し緊張するが、1人という心細さが無くなった。
「冷たい廊下で横になるのは、体を冷やして逆に良くないと思って」
先程の行動の意味を知ったお琴は右忠の言葉に頭を下げる。右忠の気遣いに感謝していると、
「私が清隆の手助けが出来ない所をやってくれて本当に感謝しているわ」
突然右忠が頭を下げた。
頭を下げる右忠にお琴は戸惑ってしまう。「ありがとう」と言われ慣れていないので、すぐに言葉を返せない。一所懸命頭の中で言葉を探す。
「わ、私なんてただ……。お、お役に立てているのであれば嬉しいです……」
右忠と目を合わせられず、しどろもどろになってしまう自分が恥ずかしい。きちんと「ありがとう」に向き合いたいのに、体が勝手に照れてしまう。
「あ」
右忠の声が自分に向けられたものではないと気付く。
右忠はお琴の方を見ていなかった。
右忠が見つめる方向、宿の出入り口に目をやると、竹の筒を持った清隆が立っていた。
清隆は唇を真一文字に締めて、筒を持つ手を震わせている。
「あ、清隆様……」
お琴が声を掛けると、清隆は我に返ったようにはっとする。そんな清隆を見て、右忠はクスクスと笑っている。
清隆の反応を不思議に思うが、何か考え事をしていたのだろうとお琴は勝手に解釈することにした。
「お琴、水だ。大分元気になったようで安心した。……右京様が傍に居てくれたおかげだな」
清隆はぶっきらぼうに言うと、乱暴にお琴に竹筒を渡した。
そんな態度だから、お琴は素直にお礼を言えなくなってしまった。清隆の態度も最後の言葉も妙に引っ掛かってしまう。一瞬清隆と目が合うが、思わず反らしてしまった。
清隆はむっとした表情でぐいっとお琴に竹筒を押し付けてくる。
受け取らないわけにはいかなくなってしまった。
「あ、ありがと、ございます……」
無愛想な態度で清隆から竹筒を受け取る。しまった……と思ったが、もう後には引けない。謝るなら今だが、清隆の態度に納得していないのに自分から謝る事は出来ない。これ以上ここに居られないと思った。
「わ、私、お水は部屋で頂きます。筒は昼食の時にお信さんにお返しします」
勢いよく立ち上がろうとするが、ふらついて足に力が入らない。
その様子を見た清隆と右忠はお琴に向かって手を差し伸べたが、清隆は右忠の手を見ると、自分の手を引っ込めてしまった。
「大丈夫?」
「は、はい……。ありがとうございます……」
右忠に支えて貰ったお琴は、ゆっくりとした足取りで部屋へ戻っていった。




