「雨の下」02
眠っていたせいで僕は気付けなかったみたいだ。当然仮眠なのである。そこは譲れない。
でも気付けなかったのは本当で、いつの間にか教室のドアが開かれて、接近されていた事を。ポン、とかなり遠慮がちに軽く肩を叩かれたお陰で漸く目を覚まし、“彼女”を視界に入れて、理解して、つい勢い余って立ち上がってしまう。揺れる机と椅子。
「えっと……鳴海君、ですよね?」
彼女は静かにそう言ってやけに騒がしい僕を見る。
「う、うん。僕が鳴海和輝だよ。君は確か……」
僕は記憶の糸を辿っていく。全速力で。ここで思い出せないのは失礼になるからだ。当然の行為である。
「そうだ、織部さんだ! 委員会で何度か話したりしたよね」
コクコクと頷く彼女の顔は真っ赤だった。どうやらこれは、そういう事らしい。向かい合ってる僕だって、そうだったのかもしれないけど。
「……僕に何か用があるのかな?」
ここまでで分かっていながらそう聞いてしまう。意地の悪い奴だ。でも期待もあるし、不安もある。まさか彼女がイタズラに加担するような人には全く見えないのだが。
「ふぅ……あ、あのえっと……私、私……ですね」
今にも泣き出しそうな、そんなか細い声で一生懸命伝えようとしている彼女。
しかし僕はそこにフォローは入れられない。だってそれは彼女の頑張りを無駄にしてしまうような気がしてしまったから。と言うのは建前で、僕自身緊張でどうにかなってしまいそうだったのだ。
「私……鳴海君のことが好きです! あんまり話したことはないけど……でも! だからつ、付き合ってください!」
喧しく思っていた雨音が、僕の耳にはその時初めて拍手喝采の音に聞こえた。だから僕は即座にこう答えたんだ。答えなんて、一つしかない。考えるまでもない。心に従えば簡単だ。
「――――こんな僕で良ければ」
「鳴海君じゃなきゃ、嫌です!」
「っ……そっか。ありがとう織部さん……うん、そう。じゃあ、あの」
僕はこんな時にどうすれば良いか分からない。恋愛上手なら抱きしめてでもいるのかもしれないが、僕にはそんな大胆な事は出来やしない。言葉を頭の引き出しから引き摺り出す事すら難しくなっているのに。
だから、これが僕の精一杯。
右手を差し出して。
この手が握られたとき、僕はきっと雨を嫌いじゃなくなるだろう。
「これから、よろしくお願いします!」
何故なら――
*****
僕は、雨が嫌いだ。……正確に言えば嫌い“だった”。あの日まで。
今はむしろ大切な思い出。きっとこの先忘れる事の無い、大切な。
「雨の下」 完