いつかね
君がうまれた時のことを教えてあげようか。
それはうららかな春のある日。
君は大分長い間胎内に居座ってから、満を持しておりてきたんだ。
ゆっくりゆっくり、旧時代のエレベーター並みの遅さでね。
待ってるこっちは君が本当におりてきてるのか気が気じゃない。
ママなんか俺よりもっと心配してたと思うよ。
だから、君が長い旅路を終えてようやくこっちに出てきた時、ママは「やっと会えた」って大泣きしたんだ。
それを見て俺も涙ぐんで、君の産声を聞いて誕生を実感した。
そうして初めて君の顔を見て――。
◆
「……大仏かと思ったんだよねぇ」
藤代修二がそう呟くと、隣にいる妻の依子は吹き出した。
「ちょっ! 大仏って何ですか!」
割とドスの聞いた声で憤慨する依子に、修二は「だってさぁ」とベビーベッドですやすやと眠る赤ん坊に目線を送る。
「顔パンパンのどすこいベビーだったからつい」
平均より大きいサイズだったからか、赤ん坊は頬にしっかり肉がついていて、身体つきも丸かった。「すごく立派な赤ちゃんね~」と立ち会った助産師も言っていたのだから、修二の所感はそう的外れでもないはずだ。
けれど依子は憮然としたまま「女の子に大仏なんて」と不満気だ。
「……でも、そんなこと言ったって、芽衣は修二さんに似てるんですからね」
「えー、似てるかなぁ」
「似てます」
この大仏ちゃんと俺が?
安らかな寝顔はまさに大仏。
(今度こっそり眉間にほくろを描いて写真撮ろうかな)
自分のたくらみにナイスアイデアとこっそりうなずいていると、良からぬ視線を感じたのか赤ん坊――芽衣の顔がゆがんだ。
ふえっと最初はか細く声をあげたと思ったら、びええええんといきなりの大号泣。
最初から飛ばし過ぎの泣きっぷりである。
これには依子も驚いて「修二さんが失礼なこと言うから!」と文句をつけながら、ベビーベッドの柵を下げて慌てた様子で抱き上げた。
「褒めてるつもりなんだけどなぁ~」
平和そうで良いじゃない、と修二は芽衣の頬をつついた。顔はあっという間に真っ赤でしわくちゃ。特に額のしわが深すぎて、誰よりも年若いはずの存在なのにそうは決して思えない。
「小さい赤ちゃんがおじいちゃんぽいって言うの、都市伝説じゃないんだなぁ。あ、違うか、女の子だからおばあちゃんか」
「もう!」
軽口ばかりたたく修二に依子も顔を真っ赤にしている。こっちはこっちでゆでダコ~とからかう間もなく、依子に芽衣を押し付けられた。バランスを一瞬崩しながらも、しっかり芽衣の首の後ろを支えながら抱っこを交代する。
「そんなこと言うなら、修二さんがフォローしてくださいっ」
言いながら依子はキッチンへと行ってしまった。どうやら喉がかわいたらしく、冷蔵庫から麦茶を出している。それを見届けつつ、修二は芽衣をあやすことにした。頭とおしりを支えて「よーしよし」とゆらしてみる。まるで泣きやむ気配はない。
「あれ? ねえねえ、パパだよ? 君の大好きな(存在になる予定の)パパですよぉ」
ねこなで声で話しかけるも、向こうはまるで聞いちゃいない。段々泣きすぎて、しゃっくりが苦しそうになってきている。ついでに鼻水も洪水だ。
(こりゃだめだ)
「依子ーっ、ヘルプミー!」
早々に音を上げれば、ちょうどコップに注いだ麦茶を飲み干した依子は修二を一瞥して「じゃあオムツ見てみてください」とそっけない。
「はーい」
大仏ってそんなにNGワードかなぁと思いながら、修二は芽衣をベビーベッドに寝かせた。粛々とオムツ替えの準備をする。芽衣がうまれて一カ月の間に何度もオムツ替えは経験しているが、修二はまだ少しこれに苦手意識がある。
まごついている間に依子が戻ってきてサポートしてくれた。その手付きには無駄がなく、たった一カ月でこうも差がつくものかと驚くほどだ。
キレイなオムツに履きかえた芽衣は一瞬表情を明るくしたが、すぐにまた泣きだした。オムツを捨てて手洗いをすませた依子が、そっと芽衣を抱き上げる。
「お腹すいたかな。おいで」
芽衣はいまだ泣いていたが、それでも母の存在に安心したのか、少しトーンダウンした泣き方に落ち着いた。これから自分の待ち望んだ時間が訪れると、赤ん坊ながらに予測できているのかもしれない。授乳が始まった瞬間から泣き声はやみ、落ち着いた空気が辺りに漂う。
修二はソファにて授乳をする依子を見やり、その柔らかい表情に目を細めた。
元々優しい顔立ちの依子だが、芽衣の相手をする時の彼女の顔は本当にとろけるような雰囲気なのだ。
(ああいうのを慈愛に満ちた顔っていうのかな)
修二はそんな感想を抱きながら自分も手を洗う。そうしてキッチンカウンターに置かれたままのコップにもう一度麦茶を注いで、依子のもとへ持って行った。授乳をしていると本当に喉がかわくようなのだ。ローテーブルに麦茶を置くと「ありがとう」と依子は嬉しそうな表情になった。どういたしましての代わりに微笑んで、修二は芽衣をのぞきこんだ。一心不乱に飲んでいて、喉が鳴る音が聞こえる。
「すごい飲んでるね。……末は酒豪かな」
「なんでそういう発想になるんですか」
依子は呆れた表情で修二を見た。
「希望もかねて? だって、将来娘と飲みに行くとか、割と男のロマンだと思うんだなぁ」
修二の言葉に依子は何度かまばたきをした。その後でふんわりと微笑む。さっきと同様の柔らかさに修二の胸は満たされた。
「そうなるといいですね」
「なってみせるよ」
力強くうなずいて、修二はそっと依子にキスをした。不意打ちをくらった依子は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。いきなりなんだとその表情が言っている。修二は照れ笑いをしながら「誓いのキスだよ」と言った。
「……将来、娘と飲みに行くっていう?」
「それくらい魅力的な父親になるってこと」
それを聞いて、依子は嬉しそうに笑った。
◆
いつか君がわかる年になったら教えてあげるよ。
君を初めてみた時に思ったこと。
羊水まみれ、顔をしわくちゃにして泣き叫ぶ君は、今まで見た何よりも俺の心を打ったって。
何の言葉もなく、何の表現も思いつかなかった。
ただただ涙があふれた。
多分それが命の重みなんだろう。
拙作『その手をとれば』藤代編のその後の一幕です。
普段から仲良くさせてもらってる竹野きひめちゃんのおかげで書けました。