超普通の日常パート・前編/小春
気分的には12月から冬本番のつもりでいて
「今年あったかい。よかったー」
と、安心していると1月後半くらいからぐっと寒くなって、そうそうこれが冬でした。油断していました。と反省することになります。
今年も反省しています。
冬は毎年毎年ぬくぬくのお布団との別れを惜しんで寝坊気味になってしまう私ですが、今年は一味違うのです。
朝が待ち遠しい。
なぜなら朝は、朝ごはんを椿さんの家で椿さんと食べられるからです。
今日はいつもより早く目覚めてしまいました。
とはいえあまり早くお邪魔してもご迷惑になるので、他の事に時間をさきます。
朝からドライヤーでブローなんかしちゃったりして。
あ、でもこれから髪をまとめるから意味ない動作でした。失敗。
床はスリッパを履いていてもきゅっと身をちぢこませたくなるほど冷たいのですが何のそのです。
動いていればあったかくなります。
足音を立てないように一階の台所へ。
陽が入らないので、電気をつけます。
まず昨日のうちにおかーさんがお米を研いで入れてある炊飯器のスイッチを入れて、冷蔵庫から卵を6個取り出してボウルに割入れます。卵焼きを作るので。
今日はおかずあと、高菜と明太子なので卵焼きは甘いのにします。
冷蔵庫に作り置きの出汁とお砂糖を入れて、卵をかき混ぜながら卵焼きフライパンを熱して、油をひいてと。
毎日の作業なのでなかなか我ながら鮮やかな手つきです。
卵焼きを焼くようになってかれこれ……4か月目突入なのですから。
あっ、ちょっと焦げてしまいました。
調子に乗っていました。初心忘るるまくっていました。
卵焼きを……卵焼きの単位ってなんなんでしょう。一……あっ、こんなことで悩んでなくていいんです。早くしなくては。
出来上がったふ、ふたかたまりの、いわゆる卵焼きそのものを見比べて、きれいな方を切り分けてタッパーに入れます。
もう片方はおとーさんとおかーさん用。切ってお皿に持って、あの、虫が入らない傘みたいなあれの中に入れます。
これ正式名称なんていうのでしょう。謎です。
卵焼きのタッパーと、明太子と高菜の入ったタッパーを重ねると明太子によくないからべつべつにもって、玄関先にとりあえず放置。
そして部屋で済ませたのですがもう一度洗面台で自分をチェックして、あ、学校のかばんが部屋でした。
あわてて戻って鞄を持って、コートはどうせ向こうで脱ぐので手にかけて、タッパーを離し気味に鞄に入れていざ出発です。
ただいま時刻は朝の六時半過ぎたところ。
日が昇ったばかりなので夜の空気がまだ抜けきっておらず、寒いです。が、動きっぱなしの私はけっこうぽかぽかなのでなんのそのなのです。
家を出て右に進んで、分かれ道を右に曲がって、曲がった先でもう一度右に曲がる。
目的地は家から目で見えるのに、歩いていくのはちょっとめんどうなのです。
うちの塀をよっこいしょと超えて行けばもっと近いんですが、泥棒さんと間違えられたらたいへんですから。おとなしく正しい道を歩きます。
椿さんのお家に到着です。
階段を駆け上がりたい気持ちなのですが、朝なので静かに静かに。
そうして3階までたどり着いて、角の部屋が目的地です。
ポケットから合鍵を取り出して、そっと鍵を差し込んで開けます。
いつも音を立てないように静かに回すのですが、どうやってもがちゃんという音がなってしまいます。起きちゃったりしないといいのですが。
ドアを静かに開け閉めして、お部屋の中に。
玄関にはきちんとそろえられた椿さんのスニーカー……ではなく、ぴかぴかの革靴でした。
お仕事の靴をまた間違えて履いて帰ってきてしまったようです。
「こっちのほうが履いている時間が長いので、くせで」
と、前に言ってましたっけ。
お仕事中の椿さんをずいぶん見ていません。
またあの格好いい姿を見ていたいのですが、お店にはあまり来ないでほしいと言われているので我慢です。
公私混同みたいで嫌なんですって。
「小春さんもお母さんが毎日授業参観に来たらちょっと居心地悪くないですか??嫌じゃないんですけど、うまく本気出せないっていうか……」
だそうです。確かにそうです。
私も椿さんが後ろにいたら全然落ち着きません。黒板なんか見ません。
勉強なんてできる気がしません。
あ、でも椿さんが黒板側に―――先生だったら勉強もっと頑張れる気がします。
家庭科でしょうか。
エプロンが似合いそうです。でも白衣はもっと似合いそうです。
だめですみんな椿さんの事が好きになってしまいます。絶対だめです。
想像上でやきもちをやいてしまいました。なにしてるんだろう。
無性に椿さんに会いたくなって、目的地オブ目的地へ急ぎます。
キッチンに明太子とかを置いて、寝室っぽい所へ。
カーテンは閉めない派らしいので、こんもりふくらんでいるお布団があるのがちゃんとよく見えます。
抜き足差し足で忍び寄ると、今日も枕を抱きしめて眠る椿さんがそこにいました。
今日もちゃんといました。
私の大好きな椿さんランキング同率三位の、ふにゃふにゃ寝顔の椿さんです。
開いてるわけではないのですが、しまっている訳でもない、なんとも言えないゆるんだ口元がとても魅力的なのです。あ、半開きってこういうことなのでしょうか。
椿さんはいつも素敵で格好いいのですが、今は、かわいいです。
ちょっと子供っぽい。
かわいい。
「好きです……」
あ、声に出てしまいました。いけません。椿さんはまだ寝ていてもらいませんと。
名残惜しいのですがこの場を離れて台所に向かいます。
冷凍庫にある一膳分に分けてあるご飯のかたまりをふたつ電子レンジに放り込んで、コンロのお鍋に火をつけます。今日はけんちん汁のようです。
椿さんが引っ越してきて、朝ごはんは椿さんの家で一緒に食べるということになった時に、いろいろ軽く問題が発生しました。
私とおかーさん的にはうちで一人分余分に作った朝ごはんをそのまま持っていけばいいと思っていたのですが、なかなかそうもいかなかったのです。
二人分のご飯をおぼんにのせてうちから椿さんの家に行くのは大変ですし、椿さんは椿さんで朝ごはん作って私を待っていてくれるつもりだったらしいのですが
「あら、じゃあ、そのぶんの食費をお支払いしますね」
「いえ、結構ですそんな、大したものではありませんし」
という、お金を自力で稼いでいない私は介入できない駆け引きがおかーさんと椿さんの間で行われ、結局、主食と汁物は椿さんが用意してくれて、おかずを日向家が持って行って朝ごはん、ということになりました。
そうなってからも、椿さんが早起きして色々を温めて待っていてくれるのが申し訳ないので、私が用意して、し終わったら椿さんを起こすという決まりになったり、お疲れっぽかったので起こさないで椿さんの寝顔を堪能し、私だけご飯食べて、置手紙してお部屋を後にしたら
「疲れてても、小春さんの顔が見たいんですよ」
と、怒るまではいかないのですが、不服そうに椿さんにそう言われて、一回はちゃんと起こすという決まりになったり。
ただ朝ごはんを食べるだけなのに、色々ありました。
「全然違う人と一緒になるってそういう事なの、椿さんが狐さんだからって訳じゃなくて、どこもそうよ?」
と、おかーさんは言っていました。
これからも色々あるのでしょうか。
楽しみでもあり、ちゃんと、椿さんに迷惑かけずに色々できるのか心配でもあり。
電子レンジの出来上がり音が鳴りました。
すぐに取り出すと熱いので、しばらくレンジの中に放置です。
お鍋は周りがぶくぶく沸いてきました。火を止めます。
これであとは椿さんが起きてから火をもう一回つければちょうどいい温度になるまでの時間を短縮できます。
起こして、と約束された時間までには、まだ時間がありますが、支度は終わってしまいました。
もう一回。
足音を立てないように気を付けながら、椿さんの元へ戻ります。相変わらず寝ています。
ずっと、見ていたい寝顔です。
でも早く起きて、ご挨拶しながらお話ししたかったりもして。
いっぺんに出来ない事を願ってしまうのは欲張りだな、と、反省します。
「んー……」
私のものではない声です。朝はすこし低い。
眉をぐっと寄せるのも、笑顔じゃないのも珍しいので、つい見てしまいます。
布団の中で大きく伸びをしたその人は、 すこし億劫な様子で目を開きました。
紅茶色の瞳は、涙ですこし潤んで光ります。
「ごめんなさい、起こしちゃいました」
「んー」
「まだ時間じゃないので、声かけますからもうちょっとおやすみに、なっ、て、もお」
喋っている途中で腕をつかまれて、ひっぱられてしまいました。
あわあわしていたらいつのまにか私、お布団の中にいました。
「……いっしょにおやすむ」
耳元で囁かれた言葉に、どきどきしてしまいます。
私は敷布団の上にあおむけに寝転がってるのですが、椿さんは私に覆いかぶさるようにうつ伏せでいらっしゃいます。
これは……これは……
私の大好きな椿さんランキングは、わりと不動だったんです。
第一位は、えへへ、と照れた様子で笑う時の椿さん。
第二位は、寝相がちょっと悪い、狐の時の椿さん。
第三位は、大人の微笑み椿さんとふにゃふにゃ寝顔の椿さん。
しかしそのランキングを、最近ぐらぐら揺らす、新たな椿さんがですね……今……。
「椿さん」
「うん。きょうもかわいいね、せかいいち、かわいい」
私がそう呼びかければ「何でしょう、小春さん」と返してくれるはずの椿さんなのに、全然違う返しをされてしまいます。
いつもとちがう。
そうです。
これはねぼけていらっしゃるのです。
「すき」
これがランキングを揺るがす、三日に一度くらい遭遇する、寝ぼけ椿さんです……!
「あ、や」
耳を、耳を今噛まれてしまいました。甘噛みくらいなのですが。
ええと、今までも寝ぼけていた椿さんには遭遇したことはあるのですが、こんなではなく……あの、今、椿さんは、は、発情期中でいらっしゃるので、その、寝ぼけた状態だと、包み隠せなくてたまにこうなっちゃうとのことで……らしいです。
ちなみに発情期がとっても大変だった12月は朝ごはんは「忙しくてすいません」と、うちに食べにいらっしゃってごまかしていたそうです。大変です。
「こはる、すき」
鼓膜が幸せでもうどうしましょうしている間に、椿さんは私の首を甘噛みします。
「椿さん、朝です」
「うん。ぎゅってしようね」
正気に戻ってもらうために、椿さんの脇あたりの服をつかんで揺さぶったのですが、抱きしめるのを私に要求されたと思われたらしい寝ぼけた椿さんに抱きしめられてしまいました。
「つ、つばきさん、んん、や」
「どこもかしこもかわいいね」
顔も声も椿さんなのですが、抱きしめてくる強さですとか、甘噛みとか、そう、まさに今、されているキスなども……かなり強引でして、寝ぼけた椿さんというよりも、そうです。や、野生の椿さんって感じなんです……なんだか落ち着かないのに、乱暴な人はあまり好きではないのに、今されて、全然嫌じゃないというか……
いつもなら「制服、しわになっちゃうといけませんから」って、この格好だとあまりぎゅっと抱きしめてくれないのに、今、もう、なんか、ぎゅっだし、太ももの裏をさわさわされてしまっております。さわさわというか、むぎゅむぎゅというか。
「やわらかい。かわいいね」
「……つばきさん。朝です、朝ですよ」
緊張しちゃいますが、全然嫌ではないので、私、その、いいんですが、正気に帰って色々察した椿さんは、泣きそうな顔で土下座してこようとするので、この野生の椿さんを止めなくてはいけません。
「うん、ちゅーしてくれたら起きる」
いつも、してますし、全然かまわないのですが、なんだか普段の椿さんと野生の椿さんはあまりに違いすぎるので浮気をしているかのような気分になってしまいます。
こ、これで起きるのでしょうか。
起きたらどうしたらいいのでしょうか。
ちょっと頭の整理がつかないまま、私は椿さんの首に腕を回します。